ア カ シ ア

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始まりの物語 3

 緊張が少しずつ落ち着いた頃、私はリヒトくんに奇妙な気持ちを抱いていた。
 リアルでは今日初めて会うはずなのに……どこかで会ったことがあるような気がする。
 頭が狂って昔会ったことがあると錯覚してしまっているのか、本当にどこかで会ったことがあるのか……。何度思い出そうとしても、何も思い出せなくてもやもやした気持ちを抱く羽目になる。これがデジャブというものかもしれない。
 でも、何度考えたとしてもやっぱり思い出せそうにはなかった。
 家族以外の成人男性と接する機会なんて、学校や近所のお店くらいしか思い当たる節がない。教師でこんな人がいたとは思えないし、ありえるとすれば近所のお店……コンビニやスーパーの店員になってしまうけれど……どうもピンとこない。
 リヒトくんはとても大人に見えるのに(そりゃあ二十三歳の成人男性だし)、未だに緊張の糸が解けない様子で隣を歩いている。そのせいで私がじっとリヒトくんを見つめていたとしても、気付かれることも怪しまれることもなかった。
 正直、こんな可愛らしい成人男性とは接触した記憶がない。

「そうだ。ご飯でも行かない……ですか?」
 時間的に昼食の時間帯が待ち合わせで、そういえば一緒にご飯を食べようとメールで話していたことを思い出して切り出した。緊張で空腹とかぶっ飛んでいてすっかり忘れてしまっていた。
 成人男性……その印象を抱いてしまうと、つい敬語が飛び出してしまう。そういう気遣いをさせないためにリヒトくんはずっと年齢を隠していたはずなのに、気遣いを無駄にするようなことをして申し訳なく思った。
「あ、ああ。いろいろあるし、見て回る?」
「うん。でも、リヒトくんの食べたいものとかあるなら、それでも大丈夫。私あんまり好き嫌いないし」
「そっか。シオンも気になるとこあったら言ってくれ」
「はーい」
 意識していつも通りを装うと、案外なんとかなるものだと思う。ネトゲで接している時と同じ感じで会話をし、笑顔を浮かべてしまえば後はどうとでもなる。
 リヒトくんに装うとか、偽るとか……本当はそういうことはしたくない。
 けれど、まだまだ序盤でずっと緊張のままだったら、ずっとこんな感じになってしまうんだろうなっていう予測はしている。
 ……慣れたらいつも通りの自分で接しよう。
 自分までもが緊張でガチガチになってしまっては、今日が終わった時に後悔しそうな気がして、私は今を楽しむための精一杯のことをしようと思った。
 現に、緊張でガチガチだったリヒトくんが少しだけホッとしたようなオーラを出し始めているのを見て、このまま緊張が解けて楽しく過ごしてくれたら嬉しいな、と思う。
 そうだ……私はずっとこの日を楽しみにしていた。そんな日を無駄にはしたくない。
 鞄を掴む力が自然と強くなっていく。
 その強さは、今日を楽しみたいという気持ちの強さと比例しているようにも思えた。

「悪いな。こういうこと初めてで……緊張しちまって」
 ぶらぶらとお店を探しつつ歩いていると、リヒトくんがぽつりとそう話しかけてくれた。軽くリヒトくんの方へ視線を向けると、ほんのり頬を赤く染めた彼と視線がかち合って、更に色が濃くなっていくような気がしてくる。
「初めてなんてそんな……リヒトくんカッコいいし、こうやって女の人とかと出かけるの、よくあるのかなって思ってた」
 正直、この風貌で女の人と付き合ったことがないとかデートしたことがないとか、そんなことがありえるのかって疑問に思う。
 もう彼も二十三歳だ。一人や二人、何かあってもおかしくない年齢だと思うんだけど。
「オレは基本引きこもりだからな。あんまり女とは知り合うこともないし……外に出ても無愛想だから近寄りがたいって、あんまり人が寄ってこない感じがする。というか、遠巻きにこっち見て何か言われてる感じがしてさ……だからあんまり好かれないんじゃないかって思ってる」
 いやいやいや……それは多分、カッコいいという要素のおかげで近寄るのも恐れ多いとか、遠巻きに見てカッコいいね、イケメンだね、彼女いるのかな、なんて話しているんじゃないかと思うんだけど……。
 とは言わない。
 本人としては重大な悩みなんだろうし、私の憶測を伝えて更に悩ませるのも申し訳ない。だから、今はそっとそのツッコミは心の奥底にしまいこんだ。
「そうかな? 全然無愛想には見えないけど」
 明らかに表情豊かに見える彼に、一言それだけを伝えた。
 初めて会った時の驚いた顔も、緊張でガチガチになって焦っている顔も、話しかけるとホッとした顔も、照れている顔も……。まだ数十分しか一緒にいないのに、こんなにもいろんな表情を見てしまった私からすれば、とても無愛想には思えなかった。
「その……シオンは、身構える必要がないっていうか……うーん……上手く言葉にはできないけど……うーん……」
 ポジティブに捉えるなら、私という人間は彼にとって心開ける存在って感じでいいんだろうか?
 またしても難しく悩み始めるリヒトくんに、私は思わず噴き出してしまう。
「お、オレ変なこと言ったか?」
 噴き出したことに焦り始める彼を見て、本格的に笑いが止まらなくなってしまった。
「ううん、なんかすっごく可愛いなぁって」
 笑いを抑えながらも、なんとか声を振り絞って伝える。
 男の人に可愛いは褒め言葉じゃないって分かってはいるものの、今までの彼の反応がとてつもなく可愛いものだから仕方がなかったのだ。全部リヒトくんが悪い。勝手にそう押し付けながら、彼の反応を伺う。
 すると予想通り複雑そうな顔を浮かべて、一つため息までついてくれた。
「男に可愛いはねーよー。可愛いのはそっちだろ……常識的に考え……て」
 そして吐き出した言葉が、とてつもない威力を放ちながら私に伝わって爆撃を食らう。何度か脳内でリヒトくんの言葉が再生される。そのリピートの分だけ、私の顔が熱くなるのがよく分かった。
 いや、ただのお世辞にそんなに動揺しなくてもいいじゃないか。自分を落ち着かせる呪文を何度も唱えようとするのに、それはうまく発動してくれなかった。
「あ、いや、なんていうか! 可愛いとかは女の子とかに使うのが正しい使い方だと思っただけであって……いや、だからってシオンが可愛くないなんてそんなことはありえないのであって! むしろ予想通り可愛くて! どうしたらいいか! ってなんか親父くさいっていうかセクハラくさいっていうか、もうオレはどうしたらいいのか……」
 一気に捲くし立てるリヒトくんは、私以上に動揺を隠せないようだった。どうやらさっきの言葉は完全に無意識、何も考えずに飛び出してしまった言葉だったらしい。訂正しようとしても墓穴を掘ってどんどんツボにはまっていくリヒトくんは、正真正銘の可愛い男性だった。
 照れて言葉を失っていた私は、またしても噴き出して笑いが止まらなくなってしまう。そうすると、一瞬で固まった思考も一気にほぐれて気が楽になっていく。
「やっぱりリヒトくんは可愛いよ。うん。もうそれしか出てこない。うん。というか褒め言葉で悪口じゃないんだし、素直に受け止めなよ。見た目の大人なカッコよさと中身の可愛さのギャップがたまらなくて女子に大ウケ間違いないよ!」
 素直な気持ちをそのまま伝えると、リヒトくんは赤くなって私から視線を逸らした。
 ちょっと言いすぎというか、弄りすぎた……? とほんの少しの心配する気持ちが生まれてくるけれど、次の瞬間に全てが消え去ってくれる。
「……シオン的には、そういうの、あり? か?」
 面食らったような顔をしているであろう私は、またしても思考が固まってしまう。
 多分もう少ししたらすぐに柔らかくなって笑っているんだろうと思うんだけど……この問いかけには、どう返事すればいいのか悩んでしまった。
 顔が見えない彼がどういう心境で問いかけてきたのか……真面目に返すべきか、冗談交じりで返すべきか……きっとこれも答えは簡単なはずなんだ。
 なのに、うまい言葉が出てこない。
「あ、いや! 別に深い意味とかそういうのは全然なくって……あーくそ。悪い」
 苦笑したリヒトくんは私の心情を察したのか、居心地の悪そうな様子で謝罪をしていた。
 早く返答していれば、もしかしたら早々に恋人同士なんかになれたりして……なんて展開を勝手に妄想し始めた私は、本当にどうしようもない人間だ。
 いつもなら何でも上手くやっているはずの私が、大本命の土壇場だと何も出来ない状態に陥っている。
 またしても気まずい状況になってしまった私たちは、言葉にしたいことも上手く言葉にできなくて、もやもやした気持ちを抱く羽目になった。
 本当はこんなつもりじゃない。私はそもそも今日決着を付けたいとまで思っていて、そんな大事な日を駄目にするようなことなんて絶対にしたくない。
 リヒトくんだって、何かしら私に直接話したいことがあると言っていた。
 そろそろ学習してもいい頃で、バカ正直に同じことを繰り返す必要なんてない。

「アリだよ、私は」

 申し訳なさそうにするリヒトくんを見るのは耐え切れなかった。
 自分という人間を包み隠さずに曝け出したいとそう思える相手は、今隣を歩いている彼であって、それなら正直で素直な気持ちを伝えるだけでよかったんだ。
 どんな顔をすればいいのか分からなくて、とりあえず精一杯の笑顔を浮かべた。素直な気持ちと笑顔を捧げてみる。
 最初は何と言われたのか分からない様子だったリヒトくんは、少しずつ事態を把握していったようで顔を見事に赤くしていた。
「大人な男の人! カッコいい! なのに照れてるところが可愛い! 言動がいちいち可愛い! とまあ……そういうギャップ、私は好きだなって思うよ」
 追い討ちをかけているのは自覚している。それが分かって言葉にするのは……きっと、いろんなリヒトくんが見たいせいだ。
 普段ネトゲで接していても、顔はディスプレイに表示される作られたアバターでしかない。本当のリヒトくんの顔を見ることはできない。だから、何気ないチャットでの会話をどんな表情で行っているのか、ずっとずっと気になっていた。
 きっといろんな方法で顔を見ることはできるんだろうとわかっていたとしても、何だかそれを実行するのに抵抗があった。
 だからこうしてリアルに接しているということは、とてつもなく幸福なことなんだ……と、柄にもなく思ったりする。
「なんか……すごいシオンに弄られてる気がするよな」
 また一つため息を零しながら、彼は「ふと気付いた」という言葉をぽそりと呟いた。
「今気付いたの?」
 それに今気付いたことに私は驚いて、思わず真顔で返答してしまう。
「おっまえ!」
「あはは。大人げないぞ?」
「くっそー……後で覚えてろ」
 いちいち反応が可愛い。
「じゃあ、後で楽しみにしてるね」
 にこっと笑いかけて、私はようやく昼食の場所を真面目に探そうと辺りを見渡す。


「あ。お好み焼き食べない?」
 ふと、ちょっと奥に構えているお好み焼きのお店に目が行き、私は流れを変えようと提案した。
「ああ。オレはいいけど」
「じゃあ決まりね」
 ちらりと腕時計に目をやれば、あっという間に十二時を回っている。リヒトくんの賛同も得ることができ、迷うことなくお店まで歩いていく。
 二組ほど待っている人がいたけれど、十分もしないうちに入れますと店員さんに言われたし、メニューを見ながら会話をしていればあっという間だろうと思い待っていることにした。
「何食べるか?」
「いっぱい種類があるねー」
 最後尾の椅子に座りながら二人で一つのメニューを一緒に眺めていると、彼との距離がとてつもなく近い感じがしてドキドキしてしまう。
「この二十分で食べきったら五千円もらえるビッグミックスモダン焼きにしようかな」
「えっ」
「冗談だよ」
「んだよ……驚いて損した」
「リヒトくん、挑戦してみる?」
「いや、猫舌で食うの遅いオレには向いてねーや……」
 何気ない会話は、やっぱりチャットとは訳が違う。表情や反応が目に見えるというのは、やっぱり新鮮で抱く印象が違う。
 私はそれを実際に体験できたことを、とても嬉しく思う。
 まだ出会って一時間くらい。昼食もまだで、まだまだリヒトくんとの時間は始まったばかり。だけど心は満たされていて、幸せで、嬉しくて、楽しくて……。

 これからどうなってしまうのか分からないのに、安易に今日が素敵な一日だと決め付けてしまっていた。
 もうこの時には……出会うまでに抱いていた不安なんて、全部忘れてしまっていたんだ。そして……数十分前に抱いていたデジャブのことも、忘れてしまっていた。


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Copyright (c) 2012 Ayane Haduki All rights reserved.  (2012.12.08 UP / 2018.04.15 加筆修正版UP)