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始まりの物語 4

 五分くらい経った後に店内に入れた私たちはそれぞれ頼みたいものを手早く注文してしまうと、店員が運んできたお冷に口をつける。
 私の場合は緊張ですっかり喉が渇いてしまったせいなのだけれど、多分私より緊張していたリヒトくんも同じような理由なのかもしれない。
 半分ほど飲みきったリヒトくんをちらりと見ながら、私はこっそり小さなため息をついた。
「思ったより早く入れてよかったね」
 無言が気まずく感じる私は、とりあえず何でもいいから話しかけた。
「あ、ああ。腹も減ったしな」
 もしかしたら不意を突いてしまったのかもしれない。リヒトくんは少し焦った様子で私の言葉に反応し、やっぱりどこか動揺していた。
 見た目はいいし、大人って感じがするはずなのに……ちょっとした仕草や様子で余裕が見られないのを知ってしまうと、何だか少しだけホッとする。
 あまりにも大人すぎると、自分が子どもすぎて寂しいと思ってしまうからだろうか?
 だからリヒトくんとは大人と接している、という感覚があまりなかった。
 これももしかしたら彼の策略かもしれないけれど……。
「暑いなー。汗かいちまった」
 リヒトくんがおしぼりを頬に当てて顔を冷やしている。
 緊張であまり直視していなかったリヒトくんの顔を見てみると、薄っすらと汗をかいているように見えた。
 ずっとショッピングモール内にいたし、お好み焼き屋は鉄板で暑さを感じるかもしれないけれど……それでもやはりある程度の冷房はかかっていてそこまで暑さを感じない。
「そんなに暑い?」
「あー……緊張してるからかも」
 私の疑問には、素直な言葉を返してくれた。暑がりだからって言っておけば深く突っ込まれなくて済むというのに……本当に可愛い人だな。
「そっか」
 あまり突っ込むのもかわいそうなので、私はこの話題を深く追求しないことにする。
 本格的に汗を拭き始めたリヒトくんはかけていた赤縁の眼鏡をそっとはずし、おしぼりで顔を容赦なく拭き始めた。
「リヒトくん親父くさい〜」
「うるせぇ。だって冷たくて気持ちいいんだもんよ」
 何を言われても止める気配のないリヒトくんに笑みを零しながら、その様子を見守る。その時間はそれほど長くなく、一分も経たないうちに顔を拭くことを止めてしまった。
「あれ?」
 顔を拭き終えて一息つくリヒトくんに、私は思わず浮かんだ疑問に対して素直な声を零した。予想外の声に驚いたのはリヒトくんもかもしれないけれど、一番は私である。
 眼鏡をはずし、おでこを拭くために前髪を上げたリヒトくんを見て、私はとてつもない疑問と直面することになってしまったのだ。
「ん? どした?」
 独り言と思われた声はちゃんとリヒトくんに届いていて、私は彼の問いに対して何と返すかで悩む。
「えっと、うん。何でもない」
「何だそりゃ。気になるけど」
「ううん、何か変な声出ちゃって」
 明らかに気にしているリヒトくんを笑ってごまかしながら、私は浮かんだ疑問と脳内で睨めっこする。
 それは……さっき浮かんだデジャブと明らかに関係しているように思えた。
 この顔を私は知っている。
 そして……それが解答かは分からないけれど、心当たりもあった。
 だけど、その人物とは少し相違点もある。

 その人物はまず眼鏡をかけていない。そして前髪を上げている。
 だけどリヒトくんは眼鏡をかけているし、前髪を下ろしていた。
 ……まあそこは簡単にごまかせるところだから、別に気にしなくてもいいかもしれない。
 あとの問題は中身だ。
 その人物はとんでもなく無愛想で有名である。こんなに可愛く私と接してくれるような人じゃない。相手は多分私のことも知っているはずだ。もしも私をちゃんと把握しているのならば、こんな風に接してくるはずがない。
 だけどそれも、私みたいに装っているとすれば……。

 考えれば考えるほど、リヒトくんはその人物なんじゃないかと疑ってしまう。
「シオン? 大丈夫か?」
 心配そうに私の顔を見つめる彼にドキッとしながら、私は慌てて愛想笑いを浮かべた。
「あ、ごめん! 大丈夫! 何かお腹すきすぎてお好み焼きのことばっかり考えてたら頭がボーっと……」
 他に考え事ができなくなってしまった私は、咄嗟にそんな適当な言葉を並べてしまう。
「そんなに腹減ったのか」
 笑いながら話しかけてくるリヒトくんに、私は少しだけ恥ずかしさを覚えた。頑張って女の子っぽくを意識していたはずなのに、食いしん坊キャラとして定着してしまうんじゃないかという懸念が私を過ぎる。いや、まあ話が逸れるなら結果オーライなんだけど。


 それから程なくして店員が焼いていたお好み焼きにソースとマヨネーズをかけ、ようやく食べられる状態になった。
「いただきまーす」
 私はできるだけさっきの疑問のことを忘れようと、リヒトくんと何を喋るかとお好み焼きのことで頭にいっぱいにしようと考えた。
「熱いからとりあえず皿に……」
 ぶつぶつ呟いているリヒトくんを微笑ましく思いながら、私はミックス玉、リヒトくんは豚玉モダン焼きを食べ始める。
「やっぱり家とお店は別物だよね。美味しい」
 確かに熱いけれど、空腹のおかげで箸は止まらなかった。
「そうだな。たまには店で食べないと……あっちぃ……でも美味い」
 必死で冷まそうと息を吹きかけながら食べているリヒトくんも美味しいと言っていて、私は一つ安堵する。一応ここに入ろうと提案したのは私なので、もしも苦手だったらどうしようと思っていた。
 ゆっくりと食べているリヒトくんを見守りつつ、私もどんどんお好み焼きを食べていく。その間も少しずつ会話は進んでいき、それはとても楽しくて幸せな時間だった……はずだ。
 だけどやっぱり、忘れたかった疑問は頭の片隅にしっかりとこびり付いていたのだろう。いつこの疑問をぶつけてしまうのか、それが恐ろしくて私は少しだけ怯えていた。
 リヒトくんは楽しそうにしていて、私も現に楽しいと思っている。そんな穏やかな時間を壊してしまうんじゃないかというのが、今一番の恐ろしいことだった。

 鉄板にあったお好み焼きたちは姿を消し、その代わりに私たちの空腹が満たされる。
「美味しかったね」
 にっこりと笑顔を浮かべながら話しかけると、向こうも少々照れ気味に同意してくれた。その様子にまたしても安堵を覚えながら、気の抜けた笑みを零した。
「シオンはそっちの顔の方が素な気がする」
 すると、突然リヒトくんからそんなことを言われてしまった。それじゃあまるで、私の全てを見抜かれているみたいじゃない。
「そっちって?」
 素直な疑問をそのままぶつけ、私は彼の返答を待つ。
「うーん……何ていうか。ずっと無理して笑ってないかなって……気を張ってただけかもしれないけど」
 そして告げられた的確なコメントに、不意を突かれたような気分に陥った。
 ……確かに、装っていた部分はある。
 あまりにもお互いが緊張していたから、それを和らげるための装いだった。さっきもデジャブのことで疑われないようにと愛想笑いをした。だから指摘されて否定することはない。
「あは、まさか見抜かれてるとは思わなかった」
 へらっと笑いながら、私は参ったという気持ちでいっぱいになる。まさか……初めて今日出会った人物に見抜かれているとは思いもしなかった。
 誰にだってこのポーカーフェイスを崩されたことはない。家族でも両親くらいならこの程度通じるところはある。
 なのに、今日出会ったばかりの人には見抜かれてしまった。
 ……それは私が、隙を見せすぎたせいかもしれないけれど。
「オレが頼りないせいかもしれないけどな。でも、あんま気を遣わなくていいから」
 少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべながら、リヒトくんは優しい言葉をかけてくれた。そして言葉は続いていく。
「オレも普段は気を張りすぎているけど、やっぱずっとっていうのは疲れるし。今日はシオン相手だから、ちゃんと素の自分でいようって思ったんだ。カッコ悪いとこしか見せてないけど」
 リヒトくんの言葉を聞きながら、私は照れくさい気持ちになる。そんな気持ちで接するということは、私には心を開いてもいいっていう気持ちなんだって……そう捉えてもいいんだろうか?
「あ、ありがとう。私も普段はあんまり本心とか素を見せないんだけど……今日はありのままの自分でいようって決めてたの。だから、同じ気持ちで嬉しい」
 恥ずかしいと思いながらも、私は言葉を紡ぐことをやめない。
 普段から素直じゃない自分の、精一杯の素直な気持ち。
「オレたち、似た者同士だな」
 はにかみながら、リヒトくんがそう言った。
 その言葉が嬉しくて、私もついはにかんでしまう。
「そうだね」
 同意することでお互いの気持ちを共感できて、そんな些細なことが幸せなことのように思えた。
 以前、似たような台詞を交わした気がする。自分の分身の存在……友人の森島夏樹と仲良くなった時かもしれない。だけど、リヒトくんを森島みたいに分身とは思えない。森島と接する時と、リヒトくんと接している時に抱く気持ちとは違う。
 ……これが恋の力というヤツか。なんて恐ろしいんだろう。


「んじゃあ、ここのお代はオレに任せてもらおう」
 ぼんやりしているうちに、何かどさくさに紛れてリヒトくんが端にあった伝票を素早く手に取った。
「えっ! そんなの悪いよ! 私も……」
 あまりの不意打ちに驚いた私は装う余裕もなく、慌ててバックから財布を取り出す。メニューを見れば自分が食べたものの値段くらい分かるし、伝票がなくても問題はないはずだ。
「いいや。ここは大人の男に任せときなって」
「普段は年上扱い嫌がるくせに、こういう時だけ年上振るのはずるい」
 どんなにお金を差し出しても、リヒトくんは受け取ってくれなかった。余裕のある大人の言葉に、必死に歯向かう子どもの言葉はみっともないように思う。
 だけどやっぱり申し訳ない気持ちが強くて、どうにか諦めずに食いついていた。
「いいんだって。今日シオンはオシャレしてきてるだろ? それにはオレが知らない金がかかってる。それに比べてオレはこんなラフな格好だ。そしてオレは少なくともお前よりは金を持ってる。まあ……ちょっとくらい良い所見せてもいいだろ?」

 大人の余裕に苛立ちを覚えるのは、自分が子どもすぎて拙いからなのか。結局は私と彼に差があると知らされて悔しい思いを抱きながらも、年の差だけはどうやったって埋まらない。賢いと自負していた自分にできることは、今は甘えるしかないということだ。
「……じゃあ、お願いする」
 リヒトくんの言葉は正当だし、私がどう反論してもどうしようもない。
「だけど、いつか倍返ししてみせるんだから」
 私にできる唯一の反論は、できるか分からないような未来への宣戦布告。更に幼稚さを曝け出しているという自覚はあるものの、溢れる思いは止まることを知らない。
 予想通り噴き出すリヒトくんは余裕の笑みを浮かべていて、それが自分への苛立ちに繋がっていく。
「んじゃ、行きますか」
 私の言葉に返事をすることもなく、伝票を手にレジへと向かうリヒトくん。
 その余裕さにちょっとだけむっとしながらも、鞄を引っ掴んで早足で後を追った。

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Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved.  (2013.01.06 UP / 2018.04.22 加筆修正版UP)