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始まりの物語 5

 お好み焼き屋を後にした私たちは、広すぎるくらいのショッピングモールを行く当てもなくふらついていた。やっと慣れてきたおかげで会話はスムーズになり、緊張もある程度は消えている。
 服屋であれが似合うこれが似合うと買わないのに吟味してみたり、眼鏡屋で『今度はこの眼鏡でも買ってみるか』なんて悩み始めるリヒトくんがいたり、本屋でオススメの漫画や小説について話をしてお互い一冊ずつ買ってみたり。
 普段引きこもりと言っていたリヒトくんはとても楽しそうで、それが私の喜びにも繋がっていた。
 ただ遊んでいるだけ。
 そのはずなのに、まるでデートしているかのような錯覚に陥ってしまう。
 この時間が永遠であって欲しい。ずっとこうして二人で過ごしていたい。
 時間が有限であることにもどかしさを覚えながら、一つ一つの出来事をしっかりと脳裏に焼き付けていく。
 ……私に出来ることは、それくらいしかなかった。


「お、楽器屋かー」
 ショッピングモールの端っこに辿り着いた私たちを出迎えたのは、一軒の楽器屋だった。店頭にたくさんのピアノが展示されていて、小さな子どもたちが興味津々に鍵盤を叩いているのが見える。
 意外だったのはいち早く楽器屋に反応したリヒトくんだ。
 少しだけ早足でピアノに近づいて一つ一つ鍵盤に触れている。
「楽器とかやってるの?」
 ピアノに興味津々な彼とは違い、私はそんな彼に興味津々だ。リヒトくんがピアノに夢中なのを知っていて、私は一つの疑問を投げる。
「ああ。昔からピアノはずっとやっててな」
 すんなりと私の問いかけに答えてくれたリヒトくんに、私は思わず苦笑を浮かべた。
「そっか」
 それ以上問いかけることはせず、ただただピアノを触っている彼を見守ることしかできない。
「音楽はいいよな。どんなに辛くても、ピアノに触れてると辛かったことも忘れちまう。ピアノを弾くことが辛かったこともあったけど、今はある程度弾けるから楽しいし」
 独り言なのかもしれないし、語りかけてくれているのかもしれない。リヒトくんがある程度話し終えると、本格的にピアノを奏で始めた。聴いたことのない曲だったけれど、奏でる音がとても優しく、心地よくて思わず聴き入ってしまう。
 音だけじゃなくて、リヒトくんが楽しそうに奏でているのが視覚でも把握できて、心から音楽を楽しんでいるんだということに気付かされた。

「……やっぱり、そうだったんだね」

 きっと届かない呟きが、無意識のうちに自分の口から漏れていく。私の疑惑は確信へと変わっていくのがよく分かった。
 決定打は、この音色。
 もうきっと、どんなに自分をごまかしても無駄で、彼に問い質したとしても否定は出来ないだろう。
「さて、どうしようかな」
 楽しそうな彼を、幸せな時間を、壊してしまうかもしれないような問いかけを……いつ、どのタイミングでしてしまおうか。
 気付けば私はそんなことばかりを考えていて、崩れ落ちそうな身体を必死で支えることしかできなくなってしまった。

 ……ちゃんと私は、最後まで笑えるだろうか?


「シオン、疲れたか?」
 楽器屋を後にし、また当てもなく歩き始める私たちだったけれど、さっきまでやたらとお喋りだったはずの私が無口になったことで、リヒトくんが心配そうに声をかけてくれた。
 私もちゃんと分かっている。無言になってしまえば空気が悪くなることも、笑顔を浮かべなければ気まずくなってしまうことも。リヒトくんは悪くないのに申し訳ないと思わせてしまうことは、私にとっても気分のいいものではないことくらい……ちゃんと分かっていた。
「ちょっと、休憩しようか」
 何とか今出せる自分の力全てを尽くした笑みを浮かべて、私は近くに空いていたベンチに近寄って座る。
「結構歩いたもんなー。オレもちょっと疲れた」
 大きく息を吐くリヒトくんは遠慮することもなく私の隣にどかっと座り、そっとそんな彼の横顔を見つめる。確信を得てからというもの、私にはその該当する人物にしか見えなくなってしまっていて、ちょっとだけ苦笑してしまった。
「あのさ、よかったら赤外線で連絡先交換しない?」
 全ての決着のため、私は一つの提案を持ちかけていた。
「え、いいのか?」
「うん。電話番号とか知らないし……あ、でも嫌だったら全然」
「いや、交換する」
 意外そうに驚いた表情を浮かべていたリヒトくんは、何も疑うことなく私の提案に乗っかっていた。
「じゃあリヒトくん送信して? 今丁度受信にしてるから」
「了解」
 先に送信するように誘導し、私たちはお互いの携帯を近づけさせる。その間の私は、うるさく響く心臓に耐えていた。
 これで全てが分かってしまう……そう思うと、何だか怖いことのように思う。
「あ、届いた」
「おう。じゃあ今度は受信にすればいいんだな」
「……うん、そうだね」
 一瞬、全部裏切ってくれたらいいのに……そう願ったのに、無残にも表示された名前に全てが砕かれてしまった。


『立花理斗』


 私の携帯の中に、新たな名前が加わる。その名前をじっと見つめながら、何でこんな奇跡が起こってしまうんだと神様を恨んだ。
「シオン?」
 いつまで経っても私が動かないから、少し心配になったのかもしれない。リヒトくんは不思議そうな顔で私をじっと見ていて、その声でようやく私は現実へと引き戻されていく。
「あ、ごめんごめん」
 へらっと笑みを浮かべながら、私はようやくプロフィール画面を開いて送信の準備を整えた。そしてリヒトくんの携帯に近づけていき、一言私は合図を送る。
「じゃあ送るね……先生」
 その声はちゃんと届いたのか、届いていないのか。
「え?」
 答えは驚いているリヒトくんの顔を見れば一発で分かることで、私はそれでやっと全部繋げてしまったのだと理解した。
 送信完了画面が表示され、私は今までで一番の作り笑顔を浮かべる。


「改めまして、こんにちは。雪城汐音、西高の三年生です。音楽教師の立花先生?」
 言葉を失った彼が次に言葉を発するには、少し時間がかかるようだった。
 あまりにも大きすぎた驚きが、リヒトくん……立花先生の思考をフリーズさせてしまったおかげで。
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Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved.  (2013.01.07 UP / 2018.04.29 加筆修正版UP)