女 子 高 生 と サ ラ リー マ ン

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彼が子どもみたいに拗ねた件

 最近十七歳になったばかりのわたし―――間藤のどかは、二十六歳の立派な社会人を相手に盛大な溜息をついていた。
 彼の家に遊びに来て、お土産に持ってきたプリンを一緒に食べ、散らかった本や服を片付け、近況を語らいながらいちゃいちゃする。
 うん。実にいつも通りだ。溜息をつく場所なんてどこにもないどころか、幸せを噛みしめるべきだろう。
 彼―――三島和成もご機嫌だったし、雰囲気は悪くなかった。お土産だって和成の好物であることは調査済みだし、部屋の片付けなんて遊びに来るたびにやっている(最初はスルーしていたが、家主があまりにも片付けようとしないため)(許可はもらっているから今この件に関しては問題ではない)。
 それでも溜息をついてしまうのは、わたしが普段言わないようなことを口にしてしまったせいだ。
 勿論言いだしっぺであるわたしは、まさかこんなことになるとは思ってもみなかったのだ。

「夏休み、バイトしよっかなー」
 その発言は、単なる話題提供でしかない。
 和成から返ってくる台詞は『へぇ、何すんの?』とか、『オレはこんなのやってたよ』とか。さりげなく和成のことを聞きつつ、盛り上がれたらと思ったのだ。
 それに、受験前最後かもしれない自由だらけの夏休み。
 高校二年生になり、周りがバイトだ〜なんてぼやいている姿を見ていると、ちょっぴりそれが羨ましく感じたりもした……かもしれない。せめて、社会に出るまでには一度くらいアルバイトはしてみたい。そんな淡い憧れのような感情は、確かにわたしの中に存在していた……のだけど。

少し離れた場所で死んだように床に横たわる二十六歳、立派な会社員の彼氏は、完全に拗ねているご様子でご機嫌ななめだ。
「……オレは絶対許さないからな」
 恨み言のようにぶつぶつと呟く様は、とても九歳年上には見えない。
 わたしのバイト発言直後はショックだったのか暫く固まってしまい、口をパクパクさせながら次第に横たわっていったのを覚えている。……ちょっと驚いてしまった。
「え、えぇ〜。なんでさ〜」
 反対されて怒ったりするような気持ちよりも、困惑の気持ちの方が圧倒的に大きい。横たわる和成の背中をつんつんとつつきながら、あくまで軽いノリでわたしはそう訊ねた。
 ここまで拗ねる要素なんてあっただろうか?
 そんな呆れにも似た気持ちが強いせいか、剥きになって反論する気にもなれない。いや、決してバカにしているわけではないのだけど……。
 和成は暫く無反応を貫いている。いつもならそろそろ抱きついてきて、「のんちゃ〜ん」なんて甘ったるい声を出しながら寄りついてくるはずなのに。
 未だに背中を向けたまま、どんな顔で、どんな気持ちを抱いているかも想像できない。
 力づくで無理やり顔を見る手段はあるだろうけれど、きっとそれは根本的解決とは程遠いだろう。そんな気がして、実行に移す勇気も持てずにいた。
「和成氏〜なんでさ〜」
「…………」
「構ってくれないとさみしい」
「…………」
「せっかく遊びに来たのに……」
 だからこんなせこい技に走り、向こうが折れるのをひたすら耐え忍ぶようなことをするのだ。
「…………だって」
 さすがに無視できなかったのか、ようやく反応が返ってくる。もっとスマートに解決できればよかったけれど、そういえば相手がこういう性格だから、なかなか難易度が高いことを思いだして諦めた。
 和成はゆっくりと身体を動かしながら、わたしの腰のあたりにぎゅっと抱きついてくる。
 ああ、なんだこの可愛い生き物は。
 年下のわたしにそんなことを思わせる罪深い二十六歳は、最終的にわたしの膝の上に頭を乗せ、ちらちらと下から顔を覗きこみ始めた。ああ、わたしもさっき反則技を使ったけれど、こっちの方が反則でした。潤んでいる瞳が余計に良心を痛めつける。
「だって?」
 あまりの可愛さに顔が緩んでしまう前に、何とか声を絞り出して次の言葉を促した。
 まるで小さな子どもをあやすような話し方になってしまったが、そこは見逃してもらいたい。
 すっかり不貞腐れた表情を浮かべる和成は、目を合わせないまま理由を話し始めた。
「だって……可愛い可愛いオレののんちゃんに悪い虫がついたらと思うと」
 んー……気持ちは分かる。
「それにほら、もしかしたら会う時間も減るかもしれないし」
 うん、寂しいよね。分かる分かる。
「第一、社会に出たら休みたくても休めないのに、わざわざ学生の夏休みに働く神経が理解できない」
 ああ……それは社会人になったからこそ言えるセリフだね。ちっとも共感できない。
 気づくとわたしの膝の上で顔を真っ赤に染め上げているのに気付いた。
 あまりの可愛さに耐え切れず、ついうっかり愛らしい彼氏のふわふわな髪の毛に手を伸ばし、優しく撫でる。
 一瞬くすぐったそうに顔を歪めた仕草もたまらなくて、これを些細な幸せと呼ぶのか……なんて空気も読まずにしみじみとお茶でも飲みたい気分になった。
「のんちゃん、何か欲しいものでもあるの? お金に困ってるの?」
 そんなわたしとは対照的に、今にも死に絶えそうな必死さで、和成は若干涙を浮かべながらわたしに訴えた。ああ、ちくしょう。あんたはそんじょそこらの女よりも可愛いよ。
「いや、えっと……経験積みたいな、とか」
 あまりないがしろにするのもかわいそうなので、本題について考え始めてみた。
 だが、意外と正当な理由というものが浮かばない。
 確かにやってみたい気持ちはある。友達が楽しそうにバイトの話をしていて、それを羨ましく思う気持ちもあった。
 他人に刺激されて、流行に乗っかるような軽いノリしか持ち合わせていないのかもしれない。お金はあって困るものではないけれど、今特別困っていることはない。
 ……しいて言うなら、デート代などほとんどが和成持ちというのが気になるけど。
「のんちゃん」
 ほんの少し、怒ったような声。怒っていると表現していいのか戸惑ってしまうような、どの感情を当てはめていいのか分からない声が聞こえてドキッとする。
 さっきまで子どものように拗ねていたとは思えないほど、一瞬目を離した隙にすっかり大人びた表情に変わっていた。
 和成はゆっくりと身体を起こしながら、真剣な表情でわたしを見つめている。
「あのね。別にバイトしてもいいけどさ……。目的もなくて、お金にも困ってないなら無理にやらなくていいんじゃないかな?」
 別にまったく目的がないわけではないんだけどな。
 経験を積みたいとか、デートに使いたいとか。
 だけどきっと、わたしの甘っちょろい考えなんて、容赦のない正論を浴びせられるだけで撃沈することだろう。
 説得力もない、平凡で空っぽな意見を述べたところで、時間と気力の無駄というもの。
 勿論、こんな理由で折れてしまうなんてつまらないヤツだな〜という自覚はある。和成も張り合いがないと笑うだろう。
 でも、現実はこんなものだ。
 情熱がないために、あっさりと諦めてしまうのだから。……それに、なんのバイトをやりたいかさえも考えてなかったしね。

「……和成が、そこまで言うなら……」
 わたしがぽつりと呟くように言うと、大人びた表情は緩やかな子どもへ戻っていく。
「ほんと?」
「ほんと」
「隠れてやったりとかは?」
「しないよ。やる時はちゃんと言うし」
 それに多分、本当にしなければいけない日が来たら、もっと具体的で現実的なプレゼンで説得することだろう。
 和成だって、本来強く止める立場にはいないのだ。わたしに目的があるのなら、多少は拗ねるだろうけど応援はしてくれるだろう。単純に束縛したいわけじゃないことくらい、分かっている。
 ……なんてことを、和成と言葉を交わしながら考えていた。
 何度もわたしに訊ねてくる表情はとてつもなく母性本能をくすぐられ、更には「よかった」と安堵しながらへらっと力の抜けた笑みを浮かべる。
 ああ、可愛いには年齢も性別も関係ないのだ。
 そんな確信がよぎるのは、二十六歳の天使がそこにいるから。
「のんちゃん!」
 ぎゅっと抱きつく二十六歳に、なすがままの十七歳。
 バイトごときで拗ねるけど、バイトごときを甘く見ていたわたしの本質を見抜いて、大人な意見をぶつけてくる。時々大人を見せてくるから、この人は本当にずるいんだ。
 子どものようで大人なこの彼氏との時間はいつも何かが起こって、会う度に新しい素顔を見せてくれる。
 不思議な関係だなと、一緒にいる度思う。
 だけど、結局一緒にいたいと思う気持ちのおかげで、今日もまた、二人の時間を共に過ごすのでした。
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Copyright (c) 2015 Ayane Haduki All rights reserved.  (2015.12.05 UP)