女 子 高 生 と サ ラ リー マ ン

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出会いとか大人の世界とか

「ああ……またそんなに散らかして……」
社会人である二十六歳の彼氏の休日は、土日祝と定められている。
 その中で月二、三回ほど会うのが私たちで、基本的に彼氏の家で過ごすのが定番の過ごし方となっていた。まあ、一人暮らしと実家暮らしでは行きやすさは桁違いだろう。
 今日も今日とて彼の家に赴き、先日訪れてから一週間ほどしか経っていないというのに、片付けた形跡が綺麗に消えている現実にため息をついた。
「和成……」
 そしてわたしは、ふとあることを思い出す。


 唐突だけど、和成との出会いの話をしよう。
 十七歳のわたし……間藤のどかと二十六歳の三島和成との繋がりは、ある意味運命的であり、幸運だったとも言える。
 早朝、たまたま早く目覚めたわたしが、何故かなんとなく普段は絶対にしない散歩をしていたところ、すれ違った和成に突然腕を掴まれたのだ。
 もちろん、わたしは驚いた。今まで生きてきた中で一番驚いたと大袈裟なことを言ってもいいくらいには驚いた。
 善人? 悪人? 変質者? 何かやらかした? ぶつかった? 転びそうだった? 誘拐? 殺される?
 一瞬のうちに様々な状況が脳裏を過ぎったが、その思考も彼の言葉で全部吹き飛んでしまう。

「今! オレは君に一目惚れした! もう君のような女の子には出会えない気がする。付き合おう!」

 正直、おかしな人だと思った。歩きながら寝言でも口にしているのかと思った。
 ナンパにしては情熱的で、今まで生きてきた中で一番印象的な告白だった。寝ているにしては腕を掴む力は強く、離さないという意思の表れのように思える。多分これは起きてるな。
 明らかに無視して逃げる案件だと思う。不審者だ。逃げろ。
 別の自分が警告するのに、身体は動かない。
でも不思議と、恐怖心というものはなかった。
 お互い私服で、お互い年齢が分からなかったせいもあったのかもしれない。あるいは、たまたま通りすがった人間にとんちんかんなことを言われ、驚きすぎたのかもしれない。
 本当なら不審者として通報すべきところだったが、彼が警察の御用にならず、こうして彼氏彼女として過ごしているのには理由があった。

 ……わたしの好みだった。
 ただ、その一言に尽きた。


 そんな出会いの二人が付き合って五ヶ月ほど。冒頭に至る。
 彼氏であり家主の三島和成は、片付け……というか家事全般が苦手だった。片付けは他の家事に比べて特に苦手らしく、一週間前にわたしが綺麗に片付けた部屋も足の踏み場がすっかり消え失せている。
「よくこんなに散らかせるねぇ」
 逆に感心するほどだ。毎回わたしに片付けてもらうために散らかしているのでは、と疑いたくもなる。こんな調子だから、部屋に来てまずやることと言えば、座る場所の確保だったりした。
「うん……」
「和成……照れるところじゃないよ」
 呆れているのにぽっと頬を赤らめる和成に、わたしはまたひとつため息をこぼした。
 ……可愛いから許すけどさ。わたしは部屋が散らかっているのが気になってしょうがないから、勝手に片付けさせてもらっているだけだし。
 盛大に散らかしている張本人はきょとんとしながら、首を傾げている。思わず心の中で「やれやれ」なんて言いたくなった。
「普通さぁ、わたしが来るって分かってたら逆に片付けない?」
 脱ぎ散らかされたワイシャツや靴下を拾い上げながら、背後でいたたまれない様子で見守っている和成は言葉を失っているようだ。
 振り返って視線を向けると、不自然に目をそらされる。こんなやりとりもいつも通りなので、わたしもそこまで責める気はない。……ただ、ちょっとした心配はしているけれど。
「もしわたしに見られたくないものがあったら……」
 どうするの?  と訊ねようとして、わたしの手は止まった。ついでに言葉も出てこない。
「のんちゃん?」
 不自然に固まってしまったことを心配してくれているのだろう。それはありがたいし、嬉しいと思う……かもしれない。
 でも、この状況で最優先に行うべきことは、別にあるだろうと直感で思ってしまった。
「これ、なに?」
 思考がうまく働かない状況の中、わたしはかろうじて一言絞り出すことができた。
 視線は、洗濯物の山から発掘した戦利品。
「なんかあった? あー……」
 わたしの手から奪い取ったそれを見て、心当たりがあったらしい。
 奪い取られた戦利品……というか誰かの名刺は、見た感じいい印象を抱かなかった。明らかにあれは仕事でもらったものとは思えない。
 それでも和成は悪びれる様子もなく、淡々と戦利品について説明を始めた。
「こないだ会社で飲み会があってさ。二次会はキャバクラ行くぞ! って無理矢理連れて行かれた時のだな。捨てたと思ったけどそんなとこにあったのか」
 あまりにも普通に話すので、成人男性の登竜門的な場所なのかと、知識のないわたしはぐるぐると考え込む。
「こういうときって、どんな反応すればいい?」
 そしてすぐ考えることを諦め、間抜けな質問をぶつけた。
そりゃそうだ。友達でキャバクラに詳しい人間なんていない。両親に聞けば分かることがあるかもしれないが、わざわざ自分から積極的に聞くのはおかしいだろう。ていうか心配されそうだ。
日常生活からかけ離れた世界。わたしの勝手なイメージとしては、綺麗な女の人たちに囲まれてお酒を飲んだりしている。くらいしか思い浮かばないくらい想像力が乏しい。
「あはは。普通はすっげー怒られるんだけどね」
 和成は少し笑いながら、わたしへの答えを探しているように感じた。
 一方のわたしはというと、首を傾げながらも和成の手に渡った名刺に無言で釘付けだ。
「ヤキモチ妬かれてさー。浮気だーって騒いだりする子もいたりするもんさ。同僚ではそれで別れたってヤツもいるくらいだし」
「えっ!」
 軽い口調で話してくれた内容に、わたしはひどく驚いた。こんなことで別れてしまうなんて……それほど相手が好きなのか、その程度だったのか。
「のんちゃんも妬いたりする?」
 わたしが少しだけ顔を俯けて言葉を失ったままでいると、すっかり顔がニヤついている和成にそう訊ねられた。
「……妬く暇がないくらい、理解に時間がかかってる」
「はは、そっか」
 そうか。ヤキモチを妬くところなのか。怒ったり責めたりしてもいいのか。
 苦笑気味の和成の顔を見ながら、ようやくどういう反応をすべきかと理解できた。しかし、今更怒ったり責めたりする気力はない。
「……楽しかった?」
 その代わり、感想を求めることにした。
 無理矢理連れて行かれたし、慌ててごまかすようなこともしなかったのだから、それほどやましいことなんてないのだろう。とはいえ、もし楽しくてやめられなくなって、わたしなんてどうでもよくなってしまうなら……それはちょっと……いや、とても困る。
 唐突に大人の世界を突きつけられ、理解の範疇を超えてしまった領域にいる和成を手放したくない気持ちが、訊ねた言葉に凝縮されていた。
「のんちゃんはやっぱり可愛いね」
 だが、和成は少し楽しそうな顔をしたあと、ぎゅっとわたしの身体を抱きしめるだけだった。
「はぐらかされた」
「ああ、ごめん」
 至近距離で聞こえる声と、心音と、感じる体温と。いろいろな和成の感覚に浸っていると、だんだんとごちゃごちゃしていた脳内がクリアになっていく気がした。
 何でもないフリをしていても、やっぱりいい想いをしないこと。わからないことだらけでも、一度気づいてしまった醜い感情を無視できなくなってしまうこと。多分そういうのも含めて全部、わたしを抱きしめる二十六歳の社会人は見透かしているんだろうな。
 だらしない、どうしようもなく子どもっぽい大人だと思っても、どこかで自分は勝てないのだと悟る。
「オレさ、こんなだけど人見知りなんだ。酒だってそんなに強くない。金もかかるし、楽しくなかった。……ていうか、のんちゃんのことばっか考えてた」
「わたし?」
「うん。会いたいなぁって」
 抱きしめる力が弱まり、互いの顔を見つめ合う体勢になった。優しくて、愛おしいものを見るような視線がくすぐったい。
 またひとつ、遠い存在のように感じていた大人への距離が縮まったような気がして、彼の一面を知れた気がして、わたしの表情も一瞬緩む。

「あれ。なんか説得力なくない?」
 嬉しさに流され、受け入れようとしたところで、ふと疑問が浮かぶ。緩んだ表情は瞬時に引き締まり、思わず問いかけてしまった。
「人見知りのくせに、わたしに声かけてたじゃん」
 思い出すのは、和成との出会い。一目惚れしたと、見ず知らずのわたしを捕まえて叫ばれたあの日のこと。あんなとんでもない経験を味わってしまえば、人見知りなんて言葉の意味がなんなのかもわからなくなる。
「あれは仕方なかったんだ!」
 どんな言い訳が飛んでくるのかと思いきや、つばを飛ばす勢いで叫ばれた。あれ、こういうセリフこそ、戦利品が発見されたときに飛んで来るものじゃないだろうか?
そんなことをゆっくり考える暇もないくらいに、和成の表情や態度には気迫があり、わたしを黙らせるには十分だった。
 その後も、大変恥ずかしいことを力説する。
「だってのんちゃんが可愛くて! よくわからないけど、この子だー! って運命的なものを感じたんだよ! このまま逃したら後悔しそうな気がしたんだ。ナンパできるヤツってすげーって変に尊敬したり、自分には無理って決めつけたりしてたけどさ……それでも! のんちゃんと一緒に過ごしたい、付き合いたいって思う気持ちの方が強くて! 気づいたら勝手に!」
「はいはいはい、わかったごめん、落ち着こうか」
 わたしもよくこんな男と付き合ったな。冷静なフリをして体温が急上昇していくわたしは、人のことなんて言えないのだと受け入れるしかない。
 きっと全部、タイミングがよかったのだ。
 好みだった。同年代だと思った。言動が可愛かった。彼氏がいなかった。あの場所に二人きりだった。声をかけられた。好意が嬉しかった。断る理由が思いつかなかった。
 今までナンパなんて成功しないものだと思っていたけれど、結局、その時の状況によるのだと思う。あとは相手がタイプかどうか。

 なんとも単純な話だ。わたしも、今付き合っているこの男も。

「のんちゃんがOKしてくれて、本当によかった」
 ぱぁっと花を咲かせるように、和成は笑顔を浮かべた。
「わたしもよくOKしたと思うよ」
「そこは『和成が声をかけてくれてよかった』じゃないの!?」
「この危険が蔓延るご時世で、見知らぬ男の人を受け入れる自分にびっくりだよ」
「えええ……まあ、それは仕方ないか、うん」
 大人しくわたしの言葉は受け入れてもらえ、納得されてしまったものの……これを一般的にいう『照れ隠し』であることは、気づかれていないので黙っていようと思う。

「とりあえず、せめてわたしに見つかったらまずいものは片付けてもらえるかな」
 その代わりといってはなんだけど、本筋に話を戻して差し上げた。
 和成はごまかせたと思っていた話題にぎょっとした表情を浮かべ、それは苦笑いに変わっていく。
「……気をつけます。てか、別にのんちゃんに隠すようなものなんてないけど」
「このえっちな本は不健全だから、十八歳未満の女子高生の目に届かない場所に片付けてもらえますかね?」
「ご、ごめんなさーい!」

 片付けていたときに、何かとぼけたことを言い始めたら使おうと思っていた最終兵器は早速使用され、手にした武器はあっさりと奪われ彼の手に渡った。


 その後暫く、和成の部屋は比較的綺麗だったとか、そうでないとか。
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