女 子 高 生 と サ ラ リー マ ン

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彼がメイド服を買ってきた話。

「じゃーん!」
 すっかり当たり前になった和成の家への訪問も、慣れっ子になったと思いかけた矢先のこと。家に行くのは慣れたけれど、和成の突拍子のない言動には未だに慣れそうにないと再確認するような出来事が、今日も怒ってしまった。
 得意げな顔で取り出したそれに、わたしは言葉を失う。
「どう? 可愛いでしょ?」
 わたしが驚き果てていることにも気付かず、和成はぺらぺらと手に持っている物について語る。しかし、わたしの脳はそれらの言葉はひとつも理解できなくて、口を挟む気力湧いてこなかった。
 相変わらず彼は、非日常を持ち込むのが好きなようだ。今、手に持っている物だって、普通に生活していたなら手に入れようとも思わないはず……と、考えるのに……。
「それ、和成が着るの?」
 人の趣味に口を挟むようなことはできればしたくないし、できることなら受け入れてやりたい。
 彼が見せびらかしてきたメイド服を、勝った本人が着るだなんて……あれ、意外と似合うかもしれない。脳が麻痺してきたのか、ようやく理解が追いついてきたのか。驚きや若干の嫌悪感などあっという間に薄れていき、むしろ着てみてほしいという感情まで芽生え始めた。
 最初は一歩後退りする勢いで問いかけたが、今ではすっかり好奇心に食いつくされている。
「もうっ! オレじゃないよ! のんちゃんが着るのっ!」
 しかし、せっかく理解したと思った趣味云々について、あっさりと否定されてしまった。挙句の果てに、かなり厄介なことを言われてしまったものだから、わたしの表情が固まる。ついでに二歩ほど後ろに下がった。
「えっ……わたしが?」
「えっ、なんでそんなに引くの?」
「いや……うん……」
「えっ、えっ!? なんでっ」
 落ち着こうと思うのに、無意識のうちに和成から視線をはずす。あんな可愛いメイド服を自分が着ることに対して、拒否感以外に感情を抱くことができなかった。
 すっかり涙目の和成に優しくしたいと思っても、なかなかうまくいかないことがもどかしい。
「これ……どこで買ったの?」
 無言のままでは、和成に止めを刺しかねない。そう思ったわたしは、通常では手に入らないであろうそれの入手先を尋ねる。
 和成の手にしているメイド服は、決して安っぽくはなく、正統派な雰囲気を纏った丈の長めのものだ。どこかの店にあったパーティー用のものとは思えない代物である。
「えっと……ネットで」
 少し気恥ずかしそうに答えた言葉に、ホッとしたようなちょっと残念なような、そんな気持ちを抱く。いや、どんな顔してお店で買ったか気になっただけだけど……。
「なんで買ったの?」
「え? のんちゃんが着たら絶対可愛いだろうなぁ……いや、絶対可愛いでしょって思って」
「わたし着ないよ?」
「え?」
「え?」
 堂々巡りな会話は続くが、わたしは折れる気はなかった。
 確かにメイド服は可愛いけれど、やっぱり恥ずかしい気持ちが強すぎる。
「え、あ、いや……その……一回だけでも……」
「嫌だ」
「オレのためだと思ってっ」
 こういう時の和成はなかなかに頑固で困りものだ。
 さて、どうやって回避しようか。
「じゃあ、和成が着てくれたら着る」
「えっ…………」
 言い放った台詞は、もう完全に着ることを拒否する発言だった。
 それに気づいたのは、若干の絶望に染まった和成の顔を見てしまったからだろう。かと言って、わたしはまだ折れたくない。
 和成が喜んでくれることだとしても、やはり抵抗は拭えなかったのだ。
「うぅ……」
 一応、着るという選択についても考えているらしい。迷いがメイド服を掴む手や、彼の表情に表れているのが一目で分かった。
 そういう彼の表情には弱くて、わたしの決意も簡単に揺れる。
 ……本当は、わたしが折れるのが一番だって分かってる。それが一番の解決法だって、知っている。
「和成、あの……」
 だから、ちょろいわたしは空気に流されるように話しかける。
「分かった! 待ってて!」
 しかし、わたしの決断は一歩遅かったらしい。
 和成はメイド服を持ったままリビングを去り、わたしの前から消えてしまった。
「えっ」
 ワンテンポ遅く反応しても、それに気づく者は誰もいない。
 リビング以外で着られるとしたら、すぐ傍にあるもうひとつの部屋しかない。主に和成のベッドや着替えなどが置いてある部屋で、ほとんど入ったことがなかった。
 そっと扉に耳を当てると、和成の独り言が微かに聞こえてくる。
「あれ? これでいいのか?」
 ごそごそと音を立てながら、何やら戸惑っている。
「あー……チャックが……まあ、のんちゃんのサイズだししょうがないよなぁ」
 わたしはというと、意外と冷静に着替えている和成に戸惑っていた!
 一体どんな気持ちでメイド服を着ているのだろう。そこまでしてわたしに着てもらいたいとは、ものすごい情熱である。
「うわー……すね毛がやばい。剃った方がいいのか? てかスカートやべー」
 彼の実況に、わたしは部屋の外で申し訳なさを感じていた。
 扉に耳を当てずとも彼の声は筒抜けで、何も悪いことをしていないのに、罪悪感でいっぱいになる。帰りたい……怖い……。
 しかしここで帰ってしまえば、和成の勇気や覚悟、情熱、プライド……すべてを踏みにじってしまう。それが破局の引き金になることだって……もしかしたら、もしかしてもしかするとあるかも……。
「あってたまるか」
 思わず声に出してしまうほど、現状はバカらしい。
 たかがメイド服、されどメイド服。着る、着ないで関係が左右されるほど、軽いつながりではないはずだ。
 近くにあるテーブルに突っ伏しながら、ゆっくりとそんなことを考える。
 今回はきっと……そう。彼なりの誠意ってものを見せてもらったのだ。誠実さをアピールするためのイベントに違いない。
 なんとか自分を納得させながら、どうしようもない不毛な考え事は続く。
「お、おまたせ〜〜……」
 しかし、それはあっさりと打ち切られた。
 そっと部屋から出てきた九歳年上の彼氏は、先程自身でキラキラと輝いた目をしながら語っていたメイド服を身に纏っている。メイド喫茶で着られているような丈の短いものではない。しかし、和成の身長では長かった丈も短く感じる。足のすね毛が気になるところだが(意外と濃い)、思っていたよりも似合っている……ような気がした。そう思うことにした。
「どう? どう? どう?」
 なんかちょっとテンションがおかしいのは、ある種の一線を超えたせいだろうか。
「そういやスカートなんて初めて穿いたよ! なんだろ! テンション上がってきた!」
「いや、なんで」
 あの部屋で彼は一体どうしちゃったんだ!
 思わずツッコミを入れてしまったが、それは彼には届いていないようで、スカートの裾を掴んではしゃいでいる。やめて、パンツ見えるから。てか見えてるから!
「……なんで、そんなに必死なの」
 心の叫びとは真逆の静かなテンションで、わたしは尋ねる。
 何故そんな問いかけをするかと言われると、多分きっと負け犬の遠吠え的なものなのだろう。『できっこない』と決めつけていたことをあっさりやってのけた彼氏に、悔しいと思ってしまったのだ。
「そりゃ、のんちゃんに着てもらいたかったから、だけど?」
 そんなわたしのドス黒い感情など気付きもしないで、和成はきょとんとした様子で答えた。
「どうだ! 着てやったぞ!」
 渾身のドヤ顔で、腰に手を当て威張っている和成を見て、ますます悔しい気持ちが込み上げてくる。もう本当に本当に腹が立つ!
「さ、次はのんちゃんの番だよ〜〜?」
 へらへらと笑い、両手をわきわきと怪しい動きをさせながら、わたしの方へと近づいてくる姿は、完全に変質者だった。これが家だったからよかったものの、他の誰かに見られるようなことがあったら……。

 その時、不意にこの家のインターホンが鳴った。ピーンポーンという音は我が家とも共通らしく、モニターには鳴らした本人が映し出されている。
『宅配便でーす!』
「はいはーい!」
 和成がいつも通りに出ると、映し出されていた宅配業者のお兄さんが元気よく用件を告げた。何の疑いもなく、今の状況も忘れ、和成は慌ただしく印鑑を手に玄関先へ走る。
「あ、和成……」
 呼び止める暇もなく、彼は玄関の扉を開けてしまった。
「三島……さん? あ、おと、お届けものです……」
「はいはーい。ハンコここでいいですか?」
「え、ええ……お願いします」
「えいっと。はい!」
「……今日はえらく可愛い恰好をしてらっしゃるんですね」
「ん?」
「いえ! ではこれで!」
 完全に動揺している宅配業者のお兄さんと、バカなのかボケてるのか記憶喪失に陥ったのかバカなのか分からない和成のやり取りは、わたしの持ちうる言語すべてを奪うに容易かった。その代わりと言ってはなんだけど、感情がすべて笑いだけになってしまう。
「え? どうしたの?」
 不思議そうに尋ねながら、段ボールを片手に戻ってきた和成は、わたしの隣にどすんと座り込む。完全にメイド服姿であることを忘れているのか、両足を大きく開いた状態だ。
「のんちゃーん! 約束だよ約束! メイド服着てよーメイドメイドメイドメイドメイド」
「え、無理」
「えっ」
 ツボに入ってしまったのか、笑いが止まらなくなってしまった。和成が拗ねた声で抗議をするのに、どうしても頭に入ってこない。
 別にメイド服を着ること自体はいいと思っている。
 だけど、この後に着るのだけは勘弁してほしかった。
 例えるなら、ものすごい演奏をした人の後に自分が披露するような。一人ずつ面白い話をしなきゃいけないんだけど、自分の前の人が史上最強に面白い話をしてしまったとか。
 こんなに面白いことの後に普通のわたしが着たところで、盛り上がることなんてないだろう。和成はそんなこと気にもしないだろうけれど、わたしが気にする。
「そんなことより、宅配の受取をメイド服でしちゃったことを気にした方がいいよ」
 さすがに指摘しないのは良くないと思い、笑いが収まってきたところでそう告げた。
「え? あれ……」
 一瞬だけ沈黙が訪れ、現実を理解できないのか、和成が固まる。
「ああああああああああああああああああああああ」
 しかし、すぐに頬を真っ赤に染め、大きな叫び声が部屋中をこだまするのだった。


 あまりにもショックだったらしく、わたしのメイド服問題は一時保留となりましたとさ。







(脱いだ際にメイド服を破いたらしく、クリスマスにサンタ服を着る約束を無理やり取り付けられました)
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Copyright (c) 2017 Ayane Haduki All rights reserved.  (2017.01.09 UP)