女 子 高 生 と サ ラ リー マ ン

MENU | INDEX

ハプニングがやってきた

 今日も今日とて、彼の家でゆっくりくつろぐ土曜の昼下がり。
 わたしは和成の家に宿題を持ち込んだものの、後ろからぎゅっと抱きついてくる彼のせいで集中できずにいた。
「ちょっと……宿題できないんですけど……」
 恥ずかしさの余り、不満をぶつけてしまう。いや、不満というわけではないのだ。実はべたべたするのは好きな方。だけど、何だか照れてしまうし、そういうのに気付かれるのは余計に恥ずかしいし、宿題は進まない。
 だが、何かやましいことを考えていたのか、和成はびくっと身体を震わせると、おどおどとした様子でこう返事をした。
「え!? あ、その……別に抱きついて、あわよくばおっぱい触ろうとかそんなこと考えてないからね?」
「何言ってんの?」
 和成とは時々会話が成立しないのだが、今日はかなりおかしいことになっている。
 というか、和成の口からおっぱいという単語が出てくるとは思わなかった……やっぱ男の人なんだなぁ。弟の透もよくおっぱいって言ってるし。わたしの下着のサイズを見て「へぇ、姉ちゃんも成長してるんだね」なんて上から目線で言ってきた日には、人生で一番荒れたものだ。
 しみじみと考え事をしながら脱線していたが、現状はなかなか気まずいことになっていた。
 ぱっと離れた和成は、すっかりわたしから離れ、部屋の隅で縮こまっている。
「ど……どうしたの?」
 まるで情緒不安定の人みたいだ。
 罪悪感に満ちた彼の表情を見て、ものすごく心配になってくる。
「いや……反省をしようかと」
「反省?」
「そう。のんちゃんに手を出さないと、付き合い始めてから何百回も言い聞かせてきたのに……抱きつきたいなぁって後ろから抱きついたら『あ、もしかしたらこのままいい感じに触れるかも』という下心満載の自分に負けそうになって……」
 何だかかわいそうになってきた。
 最近弟に見せられた『大丈夫? おっぱい揉む?』という謎の励ましネタが頭をよぎる。
 それを言うのは簡単だが、それは和成の決意やプライドを傷つけてしまうような気がして、わたしの口からとても言える気がしなかった(表向き)(実際は、恥ずかしくて自分からそんなこと言えるわけがないと思っている)。
 しかし、成人するまでいろんなものを我慢するというのは、かわいそうだし申し訳ないことだと分かっている。
 だから、何と言っていいのか反応に困るのだ。

 その時だった。
 ぴーんぽーん、とインターホンが鳴り響いたのは。
「あ、はいはーい」
 どん底まで落ち込んでいたはずの和成が、立ち上がった瞬間いつもの調子に戻り、インターホンのモニターへ駆け寄っていく。
 そうやって、さくっと切り替えられちゃうところがあるんだよなぁ。和成には。
「えっ」
『和成ー? いるんでしょー? 開けなさい』
 だけど、しみじみと考え事をする暇もなくなってしまった。
「どうしよー! 何故か母さんがいるんだけど!?」
「えっ!?」
 あまりにも予想外な展開に、わたしも和成も頭の中が真っ白になっていた。その間にも、インターホンは何度も連打されている。
「と、とりあえず! こっちのオレの部屋に隠れてて! あー荷物も! できるだけ早く追い出すから!」
「う、うん!」
 わたしは和成の指示に従い、普段入ることのない寝室に駆け込むと、どこか目立たない場所に隠れようとした。
「……きったない」
 だが、あまりの部屋の汚さに、わたしの心はあっさりと折れてしまう。
 いつもわたしが掃除しているのはリビングやキッチン周りくらいで、この部屋には足を踏み入れていないのだった。
 ひとまず見つかりにくそうなベッドの影に身を潜め、声を出さないようにと細心の注意を払う。
「なんだよ急に」
「久しぶりに会う母親に対して何? その態度」
「質問に答えてほしいんだけど……」
 部屋の外からは、和成と和成の母親らしい人との会話が聞こえてくる。なかなか高圧的な感じがするのは気のせいだろうか。思わずわたしは生唾を飲んだ。
「あんた、何で部屋がこんなに綺麗なわけ?」
 しかもいちいちするどい。
 母親なら、きっと和成の部屋の散らかしようを知っているはずだ。あの部屋だって、わたしが片付けているから保てているわけで、和成にできるわけがない(酷い言い方だけど、事実なので仕方がないのだ)。
「えっ、えーっと……ほら、オレも大人になったんだよ……掃除くらいするって〜」
 なかなか苦しい言い訳をしている和成は、おどおどとして頼りない様子だった。
「へぇー。こっちもそうなのかしら?」
「えっ!? あ! そっちは!」
 そして、あっという間にわたしが隠れている寝室にも足を踏み入れたようだ。扉が開く音が聞こえ、二人の気配が近づいてくるのが分かる。
「へぇー。オレも大人になったんだよ、ねぇ? こっちは随分荒れてるじゃないの」
 本当に、おっしゃる通りなんです。まさかこんなに足の踏み場が少ないとは思ってもみませんでした。服はとっ散らかっているし、いるかいらないかも分からない段ボールの空箱がたくさん転がっている。あ……こないだリビングで注意したえっちな本がその辺に散らばっている……ここに放り込むだけとは危機管理の薄い男だ。
「あらぁ……こんなに可愛い御嬢さんまで置いているの? 和成?」
「え」
「えっ」
 寝室の散らかりように溜息をついている間に、かくれんぼは終わってしまったようだった。
「和成、説明してもらえるかしら?」
 わたしは和成と顔を見合わせ、観念するしかないことを悟った。


***


「えーっと……こっちはオレの母親で秋絵。んで、こちらはオレの彼女の間藤のどかさんです」
「は、はじめまして」
「こんにちは、のどかさん。うちの息子がいつもお世話になっております」
「と……とんでもないです」
 リビングに全員が正座し、ドキドキの中挨拶をすませた。
 和成のお母さんは五十代後半と思えない若さと美貌で、童顔はここから受け継がれているのだとしみじみ思う。
 しかし、気まずさしかないこの空間は息苦しく、一刻も早く退散してしまいたい気持ちだけがわたしの脳を支配していた。
「で? 何で隠すようなことしたの? 何かやましいことでもあるの?」
 追い打ちをかけるように、和成のお母さんの追及は続く。
「えっと……ほら、心の準備ができてないというか。てか、母さんが急に帰ってくるのが元凶であって」
「のどかさんはおいくつなんですか? 随分お若く見えますけど」
「えっ」
 和成と一対一のやり取りが繰り広げられると思いきや、その球はすぐにわたしへと投げられていた。完全にスルーされた和成は、心なしかしょんぼりしているように見える。
 そしてわたしは……頭が真っ白になっていた。
「えっと……は、二十歳です」
「あらぁ、そうなの? 『二年三組 間藤のどか』ってさっきちらっと見えたノートに書いてあったから、てっきり高校生かと」
「ぐう」
 何故わたしより先に和成が動揺するんだ。
「教科書も数学Uって書いてあったわよね」
「ぐううう」
 ここまでやり取りを見て分かった。本当に和成が分かりやすいことを。平然を装っているわたしを揺するより、遠回しに和成を揺すった方が正解に辿りつけそうだった。
 わたしはわたしで、もう隠し通す自信がなかったので、心の中で白旗を上げる。
「すみません。十七歳です」
 頭を下げ、わたしは正直に話した。
「お互いに年齢不詳のまま付き合ってしまったので、まさか相手が二十六歳の社会人とは思ってもみなかったんです」
「がーん! 同年代に見られてたってこと!?」
「うん」
「がーん!」
 この会話だけでも結構同年代の人と話している感じがする、というのは黙っておこう。
「ふふっ」
 すると、ここまで黙り込んでいた和成のお母さんが、こらえきれなかったのか、控えめに噴き出していた。
「そうよねぇ。和成って子どもっぽいもの。しょうがないわよねぇ」
「母さんまで!?」
 両サイドからダメージを食らう和成は、床に膝と手をついてがっくりと項垂れている。
 先程までの高圧的な態度から一変し、穏やかな表情を見せる和成のお母さんは、わたしに優しく話しかけてくれた。
「もしかして、この部屋はのどかさんが綺麗にしてくれたの?」
「え……あ、はい」
「やっぱりねぇ。だって、和成がまともにごみの分別できるはずないし」
「ぐっ」
「隅に畳まれてる服だって、和成が畳んだとはとても思えないし」
「ぐぐぐ」
「寝室があれじゃあねぇ」
「も……もう、やめてくれ……」
 精神的ダメージを何重にも受けている和成は、今にも死にそうな声で制止する。だけどわたしには否定することも和成をかばうこともできず、黙って愛想笑いを浮かべることしかできなかった。ごめん……強く生きてね。
「のどかさんはおうちでも家事をされてるの?」
 和成のお母さんは完全に和成を空気化しているようで、ずっとわたしの顔を見て話しかけている。本当にかわいそうな和成だったが、和成のお母さんに逆らえる気がせず、この状況に身を任せるしかない。
「あ、はい。両親共働きで弟もいるので、昔からよく自分でやっていて」
「えらいわ〜。受け答えもしっかりされてるし……だから和成には大人びて見えたのね。あの子、精神年齢低いから」
「ひどい……あんまりだ……オレを育てたとは思えぬ親の発言」
「黙りなさい」
「はい」
 容赦のない発言に、それがいつ自分に向けられるかと思うと……わたしは人生で初めてストレスによる胃痛を感じた。すごい、すごいぞ……これが噂の胃がキリキリするという感覚か。
 知りたくなかったことを学びつつも、内心ではひやひやしている。
 一体自分はどうなってしまうんだろうか。
 別れろと言われてしまったら……そう思うと、胸の奥がぎゅっと鷲掴みされたような痛みまでも襲ってくる。
「とりあえず……」
 和成のお母さんが何かを言おうとして、一瞬黙り込んだ。
 ほんの少しの無言の時間が永遠に感じて、息が詰まる想いだった。
「満足したから帰るわね」
 しかし、あまりにも軽い返事が返ってきた。
 もっとねちねちと何か言われるのかと思ったし、交際を反対されるかとも思った。
「えっ!? 付き合ってること反対しないの!?」
 わたしと同じことを思っていた和成は、思っていたことを率直に母親へとぶつける。
「え? 反対してほしいの?」
「いや……そうじゃないけど、なんか言われるかもって……」
「別にいいんじゃない? あなたたちがいいのなら」
 思っていたよりも肯定的な返事で、わたしと和成は同じタイミングで安堵のため息をついた。和成のお母さんは立ち上がり、玄関の方へと歩き出していく。


「でも、十代の女の子の恋愛なんて移ろいやすいのだから、そこはきちんと理解しておきなさいね。和成」

 最後にぐさりと大きなナイフをわたしたちの心に突き刺し、「また来るわね〜」とそのままあっさりと去って行った。
 残されたわたしと和成は、その場でぽかんとしながら暫く無言の時間を過ごす。
 どうしても最後の言葉が頭から離れなくて、わたしの鼓動はどくどくと一際大きな音を鳴らしていた。
「あはは……ごめんね。急に母さんが来て……のんちゃんにも迷惑かけたね」
 この気まずい空気を断ちきった和成は、わたしに一言謝罪する。
 苦笑いを浮かべているが、それがとてつもなく悲しそうに見えて、ますます胸が苦しくなっていく。
「いやー……オレさ、時々思ってたんだよね。学生の時のオレって、結構好きな子がコロコロ変わったりしてさ。だから、のんちゃんもあるかもしれないなって……今はオレしかいなくても、いつか環境が変わったらって……母さんの言葉にドキッとした」
 和成の困ったような顔に、わたしは何も言えなかった。
 そんなことを言われるまで、そんな風に考えたこともなかった。
 この世に絶対なんてない。永遠なんてない……いつかそれが実現されるかもしれないけれど、今の自分に言える言葉じゃない。
「あー……ほんとごめん。ごめんね。オレは絶対手放したくないって思ってるんだけど……もし、のんちゃんが」
「そんなの和成も一緒でしょ!」
 その先の言葉を聞きたくなくて、わたしは和成の胸に飛び込んだ。
「年齢なんて関係ないよ。人の気持ちが移ろうものなんて、年齢関係ないじゃん……」
 わたしだって、心のどこかで不安に思うことがあった。
 同じくらいの年の人と付き合えば楽なんじゃないかとか、会社で心惹かれる出会いがあるのではないかとか。
 人の気持ちなんて、いくらでも変わってしまう。どんなに注意していても、他人にはどうしようもないことだってあるに違いない。
「そうだね……年齢のせいにしちゃいけないよね。オレも同じだ……ごめん」
 優しい声で和成がそう言うと、ぎゅっと抱きしめ返し、そっと頭を撫でる。
 それが心地よくて、だんだんと気持ちが落ち着いていくような気がした。
「オレはそんなもしもが来ないように、手放さずに済むように……繋ぎとめないとね」
「そうだよ。そんなこと考えてる暇があったら、次のデートの話をしようよ」
「ああ、うん。そうだね」
 抱きしめる力を緩め、わたしたちは見つめ合って微笑みあう。
 ひとまず、和成のお母さんには許してもらえたんだ。それを喜ぶだけでいいではないか。
 いろんな不安をごまかすように、わたしは現状を喜んで、未来の約束に想いを馳せる。
 きっとそうやって繰り返していくうちに、あっという間に永遠が実現できる気がするから。


「でもその前に、あっちの部屋片付けようか」
「……はい」
 しかし、これだけはわたしもごまかすことができなかった。
 おかげで宿題は進まず、和成の部屋を片付けるだけで一日は終わってしまいましたとさ。
MENU | INDEX
Copyright (c) 2017 Ayane Haduki All rights reserved.  (2017.03.21 UP)