ラ ブ コ メ の 目 撃 者

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01.電車は事件が起こりやすい。

 漫画やドラマでは、何気ない場所でも事件は起きる。
 恋が始まったり、キスを交わしたり、憎悪に満ちた修羅場や、最悪殺人なんかも。
 まあそれは現実世界でも起こりうることではあるのだけど、何か事件が起きなければ物語が動かないような空想世界とは違い、この世界の日常は何も起こらない時間の方が多い。一体、生きている間に、どれくらいの事件が起こるのだろう。

 毎日ぼんやりとそのようなことを考えているのは、高校二年生の大橋杏子。
 平凡という言葉がよく似合う女子高生……しかし、彼女には一つだけ悩みがあった。

***


 杏子が通う高校へ向かうには、どうしても電車に乗る必要がある。バスという手もあったが、バスと電車、定期券の金額に二倍以上の差があることに驚いた杏子には、バスを選ぶ勇気はなかった。
 そういうわけで、自宅から駅まで約十分、電車で三駅分移動し、学校まで十五分歩く、という通学経路で通っている。
 運良く会えたら友達と学校へ行くこともあるが、基本的に杏子は一人通学だった。

 駅に辿り着き、改札をくぐる。それからホームに訪れると、前から二両目、真ん中あたりにある扉の列に並ぶ。この辺りに並んでおけば、到着駅の改札から近くて便利なのだ。
 既に前には二人並んでいたが、たった三駅なので座席に座ることは考慮していない。
 電車に乗れるのならばそれでいい。そして、無事に学校に辿り着けるならそれでよかった。何事もなく、だ。
「…………今日は、大丈夫だよね…………」
 列に並んでいる杏子は、きょろきょろと辺りを見渡しながらぽつりと呟いた。その様子は、何かに怯えているかのよう。杏子自身は特に誰かに狙われたり、身の危険を感じるような心当たりはない。
 ただ、彼女の中にある『とある悩み』が、こんな彼女に作り上げてしまった。

「ねぇ。次はいつ会える?」

 その時だ。
 朝の通勤ラッシュの喧騒に相応しくないような、どこか甘い声が聞こえてきたのは。
 ぎょっとして後ろを振り返ると、今にも泣きそうな女の子と、寂しそうに笑う男の子が何やら会話をしているのを認識してしまった。
 杏子の中では、嫌な予感ばかりが過ぎる。
「……次もすぐ会えるよ」
「でも……一ヵ月だよ? 遠いよぉ……」
 どうやらこのカップルは、遠距離恋愛をしているらしい。そして、今はお別れの時らしかった。女の子は彼氏に抱きつきながら、一時の別れを惜しんでいる。
 見守るのをやめ、杏子は二人に背を向けた。もうこのまま、気付かなかったことにしよう。そう決意し、ただただ無事に学校へ辿り着けるようにと願う。
 そう願う理由は、過去の経験の賜物かもしれない。
「やだやだ……シュンくんとずっといたい」
 しかし、その間にもカップルの会話だけは耳に入ってくる。
 杏子の表情は次第に険しくなっていった。
「俺だって、サキとずっと一緒がいいよ。でも、今日はいい加減に、ね?」
「そんな……」
「帰るって言ってから一ヵ月近く経つでしょ? そろそろ大学にも行かないと」
(そりゃ、早く帰したくもなるよなぁ……)
 心の中でカップルの会話にツッコミを入れている杏子は、気付かなかったことにすることも忘れ、すっかり二人に意識を奪われていた。

『まもなく、電車が到着いたします。白線の内側へお下がりください』

 すると、ついに待っていた電車が到着するというアナウンスが響き渡る。
 がたんがたんと大きな音を立て、スピードを落としながら電車はホームに到着。前の人が扉の傍に歩み寄り、杏子もその後を追った。
「じゃあ、気を付けて帰れよ」
「うん……」
 背後では、今もカップルがやり取りをしている。彼女はようやく観念したようだ。
『扉が開きます。ご注意ください』
 毎朝耳にしているアナウンスが聞こえると、注意を促す警告音と共に、扉が開いた。電車から人が降りたのを見守って、続々とホームに待機していた人々が車内に乗り込んでいく。杏子も無事に乗ることができ、座席前の通路に立った。吊り革を掴んで、ひとつため息を零す。あとは目的の駅に到着するのを待つだけだ。

「やだ!! やっぱりシュンくんといる!!」
 しかし、大きな声が響き渡ったかと思えば、扉の前で駄々をこねる例のカップルの片割れが、視界に飛び込んできた。泣いているらしい彼女の声はすっかり震えている。
「またすぐ会いに行くから!」
 彼氏の方も声を張り上げ、電車から降りようとする彼女を宥めている。
 その間、カップルの後ろに並んでいた人たちは、あからさまに顔をしかめていた。むしろ怒鳴り散らす人がいない辺り、今日の乗客は穏やかな人間揃いなのかもしれない。杏子は心の中でそんなことを思いながら、まだ続いているカップルの物語を見守っている。
「シュンくん! あああ……すぐ会おうね!! 絶対だから!!」
「うん! すぐだ!」
 二人にとって、大切な別れのシーン。また会える。けれど、それまでの時間を考えると、寂しさや悲しみで辛いことだろう。ドラマなどで観たことがある。
 だが、この状況では地獄でしかなかった。

『お客様にお知らせいたします。ただいま当駅にて、お客様トラブルにより、一時運転を見合わせております。お急ぎのところ大変申し訳ございませんが、ご乗車になりお待ちください』
 発車時刻を迎えても、この電車が発車することはなかった。
 それが、このアナウンスから察知できる。その理由があのカップルにあることを、杏子は……いや、あの二人の傍にいる者たちにはすぐに理解できた。
「お客様! 発車できませんので、車両から離れてください!」
 ついに駅員が登場。二人の間に割って入る。
「なによっ!! 私たちの間を引き裂こうって言うの!?」
「そうではなく……! 他のお客様のご迷惑になっておりますので!」
「すみません! 離れますので、彼女は乗せてください!」
「そんなっ! シュンくん!」
(さっき納得してたやないかーい)
 エセ関西弁でついつい心のツッコミを入れてしまった杏子は、もう一度ため息をつく。
 せめて、朝のこの時間帯……通勤と通学のラッシュ時はやめてくれ……。
 乗客のささやかな願いは、おそらく同じものだろう。何故かこの無言の、見知らぬ人たちの集合体であるこの現場にいる者たちの心が、ひとつになったかのような気がした。


***


 この辺りで説明をさせてもらうと、杏子はよくラブコメ展開に遭遇する。
 ラブコメと一括りにしてもよいかは分からないが、漫画やドラマで観るようなラブシーンをよく見かけるのだ。
 少女漫画の主人公のような親友に舞い込んでくる、ラブコメ展開が多すぎるのが原因なのだが、それに飽き足らず、こうして見知らぬ人間のものまで目撃するのが日課になっている。
 最初の頃は面白がっていたが、自分自身には全くそういう事件が起こらないことや、面倒事が増えたと感じ始めた辺りから、徐々に鬱陶しく感じていた。
 杏子自身はそれを『僻んでいるからなのだ』と言い聞かせ、なんとか堪えている。
 しかし、今起こっているカップルの騒動を見ていると、イライラの感情ばかりが湧き上がっていた。

(やっぱ、人に迷惑をかけるタイプは好きじゃない)

 心の中で呟き、杏子はさらにもう一度ため息をつく。
 電車が無事に動き出したのは、それから十分ほど経った後だった。
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Copyright (c) 2017 Ayane Haduki All rights reserved.  (2017.08.13 発行 / 2017.08.03 UP)