友 断 ち
02
篠倉蓮と友人関係に至ったキッカケは、極々単純にクラス替えだった。
二年生に上がると理系と文系に分かれる。
理系を選ぶ人間が年々減っているのは知っているし、女子が少ないことも知っている。
その予想ははずれることもなく、今年も去年同様一クラスでまとまることとなった。
二年D組、二十五名、理系クラス。女子はそのうち五名ほどに収まり、その辺りも予想通りとなってしまった。
同じクラスに友達は勿論いない。
瀬名一子という名を持つわたしと篠倉蓮という名の彼は、これまた単純に出席番号が前後していることもあって仲良くなった。あまりにも自然な流れで仲良くなったので、正式なキッカケはよく覚えていない。……すまん。
蓮はちょっぴり近寄りづらそうだけど、努力家で成績優秀で、素っ気無くて素直じゃないけど優しいところがある。将来は医者を目指しているとか。人を救いたいという夢を既にちゃんと抱いていて、『文系より理系の方が好き』という短絡的な考えのわたしとは天と地の差だ。蓮はわたしの尊敬する自慢の友達で、彼の傍にいることが嬉しくて勉強になることも多かった。
そんな男友達との付き合いは二年生を終えても続き、クラス持ち上がりの三年生になった今でも友人関係というものは続いていた。ぶっちゃけ現在進行形だった……昨日までは。
友達をやめたいと言われた翌日、アイツは目を合わせようともせず、会話なんて全く交わさなくなってしまった。
毎朝交わしていたはずの挨拶さえも無視されて、わたしはことの重大さを思い知る羽目になる。
……とはいえ、何が原因かまるで理解していないわたしには成す術もない。
そんな無視される昼休み、久しぶりに一人ぼっちのお昼ご飯を食べながら、わたしはうんうんと蓮のことを考えていた。
蓮を怒らせるようなことをしたのか、昨日家に帰ってからずっと考え続けていたけれど、全く何も心当たりがない。
本当に小雨愛好家なわけがないだろうし、昨日のお昼、蓮の大好物のお弁当のおかず(卵焼き)を食べてしまったせいだろうか? そうだとしても、今まで散々勝手に食べても友達を続けてくれてたのだからそんなことで縁を切るという……。
「はっ。塵積もっ!」
塵も積もれば山となる。
ことわざ通りとすれば、怒りも積もれば縁切りレベルへと発展するという……?
食べ物の恨みは恐ろしいとも聞いたことがあるし、それを考えるとこの考えは妥当な気がしてきた。小雨愛好家よりは説得力があるように思えるし……。
「卵焼きの食べすぎで嫌われたかぁ……」
自分の席で頭を抱え込みながら机に突っ伏す。
「何てバカなことを……」
こんな理由で友達を失ってしまったのかと自分を責め始め、むしろバカすぎる自分を脳内で何度も罵った。
友達と卵焼きなら友達の方が大事に決まっている。
そんなことを失うまで気付かないわたしはバカの中のバカだ。この世で一番バカなのは自分だと胸を張ってもいいかもしれない……いや、自慢することではない。
「どうすれば許してくれるかな……」
一つ溜息を零しながら、呆然と何も書いていない黒板を見つめる。
黒板に解決方法が書かれていれば必死で板書するのに……そんなくだらないことを考えながら、非現実なことにさえすがろうとする自分の屑っぷりにまた一つ溜息をついた。
「おらっ! 元気ないぞ!」
「ぐえっ」
唐突に背中をばしっと叩かれて、心の準備が出来ていないわたしは女子とは思えない声を出す。
「げっほげほ! ごほっがはっ」
その衝撃が背中へのダメージ以外にも大きな影響を及ぼし、最終的に咽てしまった。
「大丈夫か? てか大袈裟すぎだろ」
ダメージを与えた本人は雀の涙ほどの心配を一瞬だけしたが、すぐにバカにするような態度へと変わっていく。
「いっくん!」
咽たダメージで涙を目に浮かべながら、張本人の顔をぎらりと睨み付けた。
きっと今のわたしでは迫力が足りないに決まっているが、真剣に考え事をしていた時に不意打ちをかましてきたことに関しては許しがたい。
「あー悪い、悪かった。俺が悪かったよ」
女子の涙の力のおかげなのか、わたしの顔が見っとも無くてうっかり謝罪してしまったのかは分からない。
友人その二である伊川紘哉……愛称いっくんは、哀れむような目でわたしに謝罪している。全然許したいとも思えない。
いつだっていっくんはわたしに意地悪だ。
挨拶はまず背中をばしっと叩く。女子であるわたしにさえ手加減はしない。蓮でもふらつくほどの力をわたしにもぶつけるというのは如何なものか……殴ってやりたいが、わたしの力では効かない事くらい理解しているので無駄な労力は使わない。
これ以外にも腹が立つことはたくさんしてきているのに、わたしはいっくんと友達をやめたいと思ったことがない。
それは、それ以上にいい部分があることを知っているからというのもあるけれど、不思議と憎めないというのも大きな理由の一つだ。
怒らせてばかりのいっくん、いつも優しい蓮。
違うタイプに見えて、友達でいたいと思う気持ちは一緒だ。
蓮も同じような気持ちでいてくれていたと、ずっと友達は続くものだと……思っていたのに。
「お、おい……一子?」
「うん……」
「元気なさすぎて気持ち悪い」
「何をう!」
「どっちなんだ」
元気が取り柄だったわたしが大人しいということは、普段心配なんて微塵にもしないいっくんが動揺する程度には大事であることに気付いて、条件反射でふつふつと怒りが湧いてくる。
「……何悩んでるんだ、らしくない。俺に言ってみな?」
兄貴分みたいな面構えでいっくんはそう言った。
そうやって思いやってくれるから、単純なわたしの脳細胞は一瞬にして怒りを沈めてしまう……だから憎めないのだ。
バカみたいな理由で『友達をやめたい』と言われたことを白状するのは勇気がいる。むしろ悩んでいる自分がいる。
「遠慮すんなって。俺とお前の仲だろ?」
へらっと笑われて、その力ない笑顔のおかげでわたしも脱力した。
「そうだね」
釣られてへらっと笑い、自然と気持ちが落ち着いてくるような感覚が訪れる。いや……もうもがくことを諦めてしまっただけなのかもしれない。
「ちょっと、長くなるかもしれないな」
そうしてわたしは昨日の出来事をゆっくりと思い出しながら、蓮に言われたことと自分の考察を話し始めた。
友達をやめたい理由なんて、一つに決まっている。
顔も見たくないほど嫌いになってしまったんだ、蓮は。
わたしが卵焼きを食べてしまうから……それも一つの理由。
だけどきっと、わたしが気付かないところで少しずつ彼の嫌気を増やしてしまったんだろう。
それは蓮にとって許しがたいことで、関わることさえ拒絶するほどの……もしかしたら地雷を踏んでいたのかもしれない。
鈍感で周りが見えていないことがあるのはきっちり自覚している。
きっと卵焼きなんて、そんな甘っちょろい理由で嫌いになるわけがない……それは分かっている。
もっと大きな理由があるに違いない。
だけどわたしは……未だに蓮の考えていることが分からない。
話してみると、大して長い話にはならなかった。
その理由はいたって単純なことで、『わたしが理解していない』せいだ。
おかげで話の半分はわたしの妄想となってしまっている。
話した結果わたしが得たものは、頭がスッキリしたということくらいだった。
「お……まえなぁ……」
友達関係になってからというもの、わたしに対して何度も溜息をつかれたことはあった。だがしかし、今回は今までの比でないくらいには大きな溜息である。
呆れて言葉も出ないのか、暫く『こいつバカだ』と見下すような視線を向けられた。
大抵こういう場合、わたしがとてつもなく見当違いなことを考えている時が多い。
「これじゃあ蓮がかわいそうだわ」
「ええっ!」
そしてこういう場合、いっくんが蓮の味方をすることが多い。
いっくんは正しいものをちゃんと見極めて判断するから、決して蓮ばっかり味方する……わけではないのだけど……。
「うう……そうか……」
ここで蓮の味方をするということは、やっぱりわたしに非があるということを痛感させられてしまう。
あからさまに落ち込んでしまったことで、いっくんがもう一つ溜息をついた。
多分こっちの溜息は、さっきの溜息とは種類が違うものだろう。
この後にフォローが入ることは、過去のデータから割り出されている。
「言いたいことはいろいろあるが、とりあえず一つだけ言わせてもらうぞ」
「う、うん」
どこまでも呆れたような目は変わらないけれど、態度は大分柔らかくなったのは直感で把握した。
そしてこれからの言葉がどれだけ自分にとって大事であるかも……ちゃんと分かってる。
「友達をやめたい理由は二種類ある」
だけど、その先の言葉の内容までは予測できなかった。
わたしの考えを覆すような言葉を言われ、頭の中が真っ白になる。
そんなわたしを気遣うこともなく、いっくんは遠慮無しに言葉を続けていった。
「お前が言った『顔も見たくないほど嫌いになってしまった』ってのは一つ目の選択肢だ。でも、その逆もあるんじゃないのか?」
いっくんはいつの間にか優しげな表情を浮かべていて、わたしはその表情に釘付けになる。
それから次に、言葉の意味を少しずつ解読していく。
「嫌いの、逆?」
声に出してみると、その答えがあっさりと脳内に浮かんだ。
嫌いの反対は、好き。
わたしが知る限りではその答えしか導けなくて、だけどそれを知ればもっと分からなくなってしまう。
「好きで友達をやめるって……どういうこと?」
考えても答えが見出せないと諦め、降参するように首を傾げてそう尋ねた。
嫌いという意見で反論が出たのだから、今回の答えは『好きで友達をやめる』が正しいということになる……というところまでは分かる。
ただ、好きでやめる理由が思いつかなかった。
いっくんは小さく溜息をつくけれど、どこか呆れた様子が見えない。
優しいのか、意地悪なのか、おちょくりたいのか、面白がっているのか……今はどうしても、目の前の友人の考えていることが何も見えなかった。
変に噛み付いても答えは遠のくだけなので、忠実なる飼い主をじっと見つめて餌を待っている犬っころのように大人しくしている。
「それはな」
「……うん」
一つ息を呑み、勿体ぶっているいっくんの次の言葉に緊張が走る。
自然と心臓の音が速度を増しているような感覚を覚え、一瞬が永遠のように感じた。
「本人に聞くのが一番だ」
「ん?」
「本人に聞くのが一番だ」
「お、おう」
「ま、頑張れ」
だけど問題解決までは至らない。
珍しく大人しく待った結果がこれというのは、とてもやるせない気持ちになる。わざわざ二回言った辺り、それほど大事なことなんだろうとは思うけれど……。
いっくんはとてつもなくいい笑顔を浮かべており、その表情を見ていると何も言葉が出てこなくなった。
そして、更に反論を許さないというように追い討ちをかけられる。
「それは俺からは言えない。俺が言っちまったら……きっと俺も、蓮と友達でいられなくなるから。ごめんな」
一つ一つの言葉が重たくて、いつもの軽々しい冗談とは訳が違うことを思い知らされた。
去っていくいっくんの背中を見つめながら……もう一度わたしは考える。
『好きだけど友達をやめる』
そうなってしまう理由は相変わらず思い当たらない。
「……わかんない」
鈍感だから、気付かないから、分からないのも無理はない。
だけどわたしはそれで全てを片付けてしまうのか?
しょうがない……それだけで片付けてしまったら、きっとこの問題は迷宮入りしてしまうことだろう。
友達をやめたいなんて、そう簡単に口に出来ることじゃない。
昨日一緒に帰るまで、わたしと蓮はいつも通り仲良しの友達だった。
「……いっくんの言う通りかな」
先ほどの会話を思い出しながら、わたしは小さく呟く。
本人に聞くのが一番。
どれだけ悩んでも考えても分からない時は、問題を持ち出した本人に聞くのが近道なんだろう。
『今日の放課後話をしよう。ききたいことは山ほどある。言い逃げは許さん!』
思い立ったその時、素早く蓮へとメールを送った。
何とも可愛げのない誘いだが、わたしは蓮ときちんと向き合いたい……その一心だった。
返信が来るか分からないことに気付くのはメールを送って暫くしてからだけど、慌て始めてから暫くして返信は律儀に送られてくる。
『屋上で待ってる』
一言の素っ気無い返信なのに、わたしは酷く安堵していた。
メールさえ無視されてしまえば……本当の本当におしまいになってしまうから。
Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved. (2013.05.05 発行 / 2017.04.03 UP)