友 断 ち

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03

 今日一日、わたしは蓮が隣にいないことを寂しく思った。
 退屈でつまらなくて、卵焼きだって食べられなくて。
 篠倉蓮という人間の存在が、わたしの中でどれだけ重要なのかを思い知らされる羽目になった。
 本当にこのまま、友達をやめて離れ離れになってしまったらどうしよう……。
 不安は大きくなる一方で、泣きたくなってくる。
 話がしたい。不意に浮かべる笑顔が見たい。一緒に勉強したい。理由がなくたって……傍にいたい。
 欲望ばかりが湧き出て離れず、脳内は狂っていく一方だ。
 ……おかげで放課後になった時には悟りを開く形となり、もうどうにでもなれと自棄になっていた。
 ホームルームが終わり、蓮へと視線を向ければ早々と教室を出て行くのが見える。
 そのまま真っ直ぐ屋上へ向かうかは分からないが、わたしも急ぎ目で屋上へと向かった。
 向き合うのは怖い。
 怖いけれど、向き合わずに失ってしまう方が怖い。
「……大丈夫、大丈夫」
 屋上の扉の前で何度か自分を宥め、一度だけ深呼吸をしてから扉を開いた。
 梅雨のじめじめした空気は変わらないが、昨日に比べるとまだマシである。きっと雨が降っていないせいだろうけれど……気分はじめじめしたままなので、あまり関係ないように思う。
 扉を開いた先には、呼び出した人物がちゃんとそこにいた。
「一子」
 わたしの存在に気付いてくれた蓮は、一日ぶりに名前を呼んでくれた。
たった一日のはずなのに、何だか名前を呼ばれることが懐かしいことのように思える。教室では姿を見ているというのに。
 今そこにいる蓮は、ちゃんとわたしと視線を合わせてくれていた。
 それがとても嬉しくて、わたしは何か声をかけたい、そう思う。
……だけど上手く声にならない。

 蓮、どうして、あんなこと言ったの?

 言葉は喉元辺りまで来ているというのに、きちんと伝えるのは直感的に怖いと感じた。
 向き合わなきゃ。全部が手遅れになる前に。
 さっき覚悟を決めて、なのに心が折れそうになる。
 蓮は確かにわたしと視線を合わせてくれているけれど、表情はやっぱり昨日の別れ際と同じだ。
「早くこっち来いよ」
 立ち尽くすわたしを蓮の元へと誘ってくれるのは、やっぱり蓮自身の言葉だった。
 躊躇う気持ちを押しのけて、ゆっくりとその場所へと近づいていく。
 近づくにつれ蓮の姿がはっきりと目に焼きついて、わたしはまた高鳴る心臓に翻弄されそうになる。
 だけどわたしが呼び出して話をしたいのであって、ここで怯むわけにはいかない。

「急に何言い出すの……バカ」

 とりあえず、怒ることにした。
 蓮は一瞬驚いたような表情を見せた後、少しだけ寂しそうな表情へと変わる。
 そもそも自分が怒れる立場かは分からなかったが、それでも突然わたしが理解できない理由で友達をやめるなど、わたしが許すはずがない。
「わたしがしっかり理解して納得のいく説明をしてもらわないと気が済まない! わたしはね、そんなやわな気持ちであんたと友達やってないもん」
 思っていた言葉がすらすらと言えて、ほんの少しだけホッとする。
 声が震えることなく、いつもの調子で言えたことは幸いだった。
 さっきまで言葉もうまく声にならず、足がすくんで動けない……という表現が似合っていたわたしには、大変上出来であった。
「…………どんだけ鈍いんだお前は」
 蓮からの返答はそれほど待たぬうちにわたしまで届いた。
 呆れたような声で、呆れたような表情で、深い溜息を混じらせながらそう言う。
「オレが何で友達やめたいかって、本当に分かんねぇの?」
 ほんの少し冷たい声が聞こえて、冷静さが少しずつ失われていくのが分かる。いや……むしろ今まで冷静さなんてあっただろうか?
 いろんな気持ちが入り乱れて混乱し、頭の中はついに真っ白になった。
「なんで……」
 雨は、待ってくれない。
「なんでそんな風に言うの……」
 無意識に零れる言葉は、雫と共に溢れて流れていく。
 そして一つ、小雨だったはずのわたしに雷が落ちた。
「全部察しろとか、わたしはエスパーか! バカ!」
 ろくでもない声に、ぐちゃぐちゃの顔。
 わたしの想いは爆発して、何も考えられないまま言葉だけが暴走し始める。
「わたしだってね! 蓮のこと真剣に悩んでたんだから! 急に友達やめたいとか、ショックに決まってるじゃん! でも心当たりはないし、唯一あんたのお弁当のおかずを勝手に食べすぎてそれが原因かとか思ったけど! でもそんなわけないのも分かってるもん! わたしは鈍いとこもあるし気が利かないし空気も読めないどうしようもない人間だから、ちゃんと理解できるような言葉で言ってもらわないと……わかんないことだって、あるよ」
 一気に口にした言葉が適切なのかどうかなんて、今のわたしには分からなかった。
 恥ずかしくて蓮の顔もまともに見れず、自分にだけ降り注ぐしょっぱい雨はいちいち悲しい気持ちを引き出してウザったい。
「……わたしが嫌いなら嫌いって、はっきり言えばいいじゃん。顔も見たくないほど嫌って、言いなさいよ」
 蓮のことなんて何も考えずに口にする言葉は、結局いっくんの意見を無視した言葉だった。
 もしかしたら好きでやめたいのかもしれないのに、ネガティブ思考の今のわたしにはそんなこと聞けない。
 吐き出すような言葉をぶつけると、その勢いで顔を上げてしまう。
「……何よ」
 言葉で形容し難い表情を浮かべる蓮に、一瞬だけ怖気づいてしまいそうになる。
 寂しそうな目つきが、わたしの心にぐさぐさと突き刺さっていた。
 刺さった部分が痛くて、苦しくて逃げ出したくなる。

「……悪かった」
 だけど、この状況は味方をしないわけじゃなかったらしい。
 蓮はしょぼくれるように謝罪を口にして、救いの手を伸べてくれる。
「そりゃそうだよな。鈍くて気付かないから分からなくても当然だよな。それを無理に理解しろって言う方がどうかしてる」
 自虐気味の言葉に少々の後ろめたさを感じつつ、ようやく詰まり気味の呼吸を整えることができた。
 わたしに降っていた雨は止み、存分に想いをぶつけたわたしには話を聞くこと以外のミッションはない。
 元々ここまで言うつもりなどなく、質問だけするつもりだった。それがこうなってしまうなんて……わたしは本当にどうかしている。
 ポケットからハンカチを取り出して雫を拭き取り、改めて蓮を見つめた。
 ばつの悪そうな顔は蓮が自己嫌悪に陥っている証拠で、何だか釣られて自己嫌悪に陥りそうになる。
 でもそれでは悪循環が続きそうだったので、できる限り気にしない方向で冷静さを取り戻すことだけを考え始めた。
「わたしもごめん、叫んだりとか……。ほんとに悲しくて……理由をどうにか聞きたくて」
 上手く笑えない上に笑顔を浮かべる場面でもないのだが、空気を変えたいという気持ちは本当だった。
 蓮は話しにくそうに躊躇いがちで、わたしは焦らされているようでどんどん急かしてしまいそうで。
 知りたい、知りたくない。知ってしまったその後は……?
 自分の中でも想いがはっきりせず、イライラが募ってしまいそうな自分に嫌気が差した。
「……やめるなら、ちゃんとケリはつけないとな」
 覚悟を決めるように蓮は一言呟く。
 それから合わせた視線の先で、蓮の瞳の真剣さにドキッとした。
 心臓の音は速度を増していき、またしても呼吸が苦しくなっていく。


「オレが友達をやめたい理由は、きっと二つのどちらかだ」

 ようやく話し始めた蓮の言葉は、何となく聞き覚えのある言葉のように感じた。
「一つは、相手の顔を見るのも嫌になるほど嫌いになる」
 デジャブがわたしを襲うのに、蓮は知らん振りのまま話を続けていく。
 これは、明らかに昼間に聞いた話だ。
「そしてもう一つは……」
 一つ呼吸を置き、わたしはその先を知るのを恐れる。
 何かは分からないのに、直感的に危険だとわたしの中でサイレンが鳴り響いて、その音が五月蝿くて耳を塞ぎたくなった。

「もう一つは、好きの種類が恋に変わってしまったか」

 蓮が言葉にした途端、世界は静寂に包まれた。
 さっきまでわたしの中で鳴り響いていたサイレンの音は聞こえなくなり、周りの音さえ聞こえないような錯覚に陥る。
「……え?」
 わたしが声を発すると、そこでようやく音が蘇った。
 時が止まってしまったかのような感覚は元に戻り時を刻み続け、とんでもないことを言われてしまったことは現実となる。
「オレが友達をやめたい理由は、後者だよ」
 見たこともないほどに顔を赤くさせる蓮に、わけが分からないという気持ちだけがわたしの中に残った。
「え、あ、えっと……え?」
 蓮の言葉はシンプルだった。
 バカなわたしでも分かるほどに、大変分かりやすい言葉だったのは確かだ。
 友達をやめたい理由は二つのどちらかで、顔が見たくないほど嫌いになってしまったか……それは分かる。


 だけど……好きが、コイに……コイに?


「なんで!?」
 驚きはそのまま言葉になり声になり、蓮へと伝わっていった。
 ありえない。
 その選択肢だけはありえない。
「コイって何よ! え、あれ? 魚の? それともあれ? わざとやらかすっていうあのコイ? え、何? 何なの?」
 全部わたしは分かっているはずなのに、思っていることと違うことが口から飛び出していった。
 あまりにもベタすぎるボケで笑えない。
 蓮はきょとんとした表情を一瞬浮かべたかと思ったら、ぷっと噴き出して珍しく爆笑なんぞをし始める。
「お、お前……ぷっ……くくっ……それは、ねーよぷはっ!」
 無愛想人間が笑う姿は見物なのだが、今はそれどころではない。
「なっ! 何よ! アンタが急におかしなこと言うから!」
 ばくばくと五月蝿い心臓に動揺するわたしは、恥ずかしくて蓮の顔もまともに見れぬままむきになるしかなかった。
 蓮は未だに爆笑したままで、笑われる時間と同じくらいに恥ずかしさが増えていく。
「わ、笑うなぁ!」
 わたしの攻撃力・三〇、向こうのヒットポイント・三〇〇〇くらい。
 性別の差もあり、恥ずかしさと勢いと怒りに任せてぽかぽかと蓮の胸板を叩いてみたけれど、それほどダメージがないようで悔しかった。
「悪い、あんまりにもベタなこと言うから……やっぱ一子は一子だな」
 笑い疲れたのか、ようやく笑いが落ち着いてきたようで、蓮は謝罪したのかバカにしたのか分からないような言葉でわたしを宥める。
 それがまた癪に障り、わたしはまた頬を膨らませることとなった。
「…………なんでそんなに余裕なのよ、意味わかんない」
 そして、怒りの理由はまた別のものへと変わっていく。
さっき真赤な顔をしていたはずの蓮は、恥ずかしさを今の笑いでかき消してしまったように思えた。
 今ではもう普通の笑顔を浮かべる篠倉蓮で、告白されたことが夢幻なんじゃないかと錯覚してしまいたくなる。
「余裕じゃねーよ。……聞いてみろ」
 攻撃することで近づいてしまったのが仇になってしまった。
 蓮はわたしの腕をそのまま引っ張り、耳を蓮の胸の辺りに押し付けられる。
 こんなに密着したことなんて思い出そうにも思い出せない。
 ドキドキと熱が急上昇するのを感じつつ、わたしは耳に入ってくる速いリズムも一緒に感じていた。
「オレは余裕ぶるので精一杯だ。心臓の音までごまかしきれない」
 蓮の心臓の音なんて、初めて聞いた。
 大きくて速いリズムで、それはすぐに蓮の内側を知ることができる。
「……お前といると、ずっと苦しいんだ。心臓の音が速すぎて、冷静じゃいられなくなる。いつか自分が暴走しちまうんじゃないかって……その先で一子を傷つけたらって思ったら……怖かった」
 ほぼ抱きしめられるような形で密着しあう状況で、蓮はぽつりぽつりと怯えるような声色で話し始めた。
 それはいつからの話なんだろう?
 わたしがバカな発言をしても、一緒に歩いても、傍にいる間も……ずっとずっと、ドキドキしっぱなしだってことなんだろうか?
 疑問は次々と湧き上がり、その度に熱は上昇していく。
「友達をやめたいのは、オレが一子を友達として見れなくなっちまった……オレの身勝手なワガママなんだよ。『一子を傷つけたら……』そんなことも考えたけど、結局のところ、全部オレのためなんだ。オレが苦しいのとか、一子に振られるかもしれない恐怖とか、そういうのから逃げたいだけなんだ……」
 最終的に、わたしは蓮に抱きしめられた。
 だけどそれはほんの一瞬のことで、僅かに力を込めてぎゅっと抱きしめられたかと思えば、すぐに両肩を掴まれて引き剥がされる。
「……いつから?」
 恥ずかしさで上手く蓮の顔が見れないまま、わたしは疑問の一つを絞り出すように尋ねる。
「……二年の、夏休み。お前と初めて過ごす夏に」
 その答えに、わたしは大きく目を見開いた。
「なつ、やすみ?」
「そう。でも正確には……気付いたのが夏休みで、本当はもっと前から好きだったのかもな」
 ――好き。蓮からその単語が飛び出すだけで、わたしの心臓は飛び跳ねた。
 もう一年ほどわたしにそんな気持ちを抱いていたのかと思うと……わたしはますます分からなくなっていく。
「どこが? どこが恋愛的に引っかかったわけ? ないでしょー、わたしだよ?」
 自虐の意味をたっぷり込めながら、もう一つ疑問をぶつける。
 ちょっと前まで尋ねにくいと躊躇っていたはずなのに……そんな自分を忘れてしまうほどに、蓮の言葉は動揺させてくれていた。
「鈍感で、空気読めなくて、気が利かなくて?」
「……それ、悪いところだよね?」
「そう」
 こんなわたしを好きになるというのだから、どんな壮大な理由を語ってくれるのかと思いきや……蓮の言葉は、明らかにバカにしたような発言だった。
 ムッとしながら迫力のない睨みつけ攻撃をぶつけ……そして、逆に返り討ちに遭うことになる。
「でも、そんな欠点さえも好きになっちまった。理系っていうのも好き嫌いだけで選んでオレとは違うし、むしろ違うところがいっぱいある。だからこそ、お前に惹かれちまった。いつも元気で楽しい瀬名一子と過ごすのは本当に楽しくて……オレにないものをたくさん持っていて、いつしか友達という枠では満足できなくなっちまってた。オレはお前を独り占めしたかった。もっと触れたくて、一生傍にいられたらって……気持ちばっかり先走って」
 いつもより口が達者な蓮の言葉を、どんな表情をして聞けばいいのか分からずにぽかんとするしかなかった。
 これはあれか、夢か?
 こんなことがあるはずがない。蓮が、ずっとわたしを好きだったなんて……そんな、わたしは。
「えっ、あの、えっと、その」
 ぐるんぐるんと、蓮と過ごした日々を思い返す。

 素っ気無い態度でわたしの前の席に座っていた蓮に、何となく声をかけたのはわたしだった。
 知り合いがほとんどいない状況で、心細かったのかもしれない。
 本当なら、隣の席の人間や数少ない女子に声をかけるのが普通だったのかもしれない。
 ……でも、わたしは何故か蓮を選んだ。
 素っ気無くて相手にされそうになかっただろうと今では苦笑しながらそう思えるのに、あの時のわたしは、蓮を選んでしまった。
 直感で、コイツとなら仲良くなれそうな気がする……そう、思ってしまったんだ。
 そんで蓮は、驚いたような顔をしたと思えば、無視も見捨てることもせずにわたしの会話に乗ってくれた。
 それが嬉しくて、ついついわたしは蓮に話しかけてしまったんだ。
 その先でいっくんを紹介してもらって、三人で仲良くなって……。
 ああ、最初から蓮は優しかった。
 わたしはその優しさに触れるたびに喜びを感じていて、あまりにも居心地のいい場所から離れたくなかったんだ。
 ふらふらとしているいっくんとは違って、いつも傍にいてくれた蓮。

 そしてわたしは……その居心地のよさが永遠に続くと勘違いしていた。
 優しさは変わらないと思っていた。
 蓮もわたしと同じで居心地がいいからここにいてくれるんだろうって、ずっと思っていた。

 ……永遠なんて、変わらないものなんて、この世に存在しないのに。
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Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved.  (2013.05.05 発行 / 2017.04.04 UP)