友 断 ち
06
昼休みに入ると、昨日は一人ぼっちだったのが二人になる。
「一子、食うぞ」
いつものようにお弁当を手にわたしの元へとやってきた蓮は、慣れた様子で遠慮なく前の席へ座ってお弁当を広げ始めた。
やっぱりこれが一番落ち着く形で、嬉しくなったわたしはうきうき気分で同じようにお弁当を広げる。
「一日ぶりだね。やっぱ蓮と一緒に食べるのがしっくりくる」
何も考えずに言葉にしてみると、蓮はぎょっとした様子で真赤に顔を染めていった。
「えっ!? 何その反応……」
まずいことを言ってしまったのか、もしかしてバカにされているのか……。分からぬまま思わず噛み付いてしまい、またしても後悔がじわじわと生まれる。
「いや……そんなにオレがいなくて寂しかったのかと……思って」
それからの蓮が口にした言葉は、わたしにとってとんでもない爆弾であることを思い知った。
伝染したかのように顔が熱くなり、頭の中はどんどん真っ白に染まっていく。
「な……なんでそうなるのよっ!」
今までこんな風に恥ずかしくなるようなことなんてなかったはずなのに、今じゃ蓮のふとした言葉さえも恥ずかしくて死にたくなる。
叫ぶような言葉を吐き捨て、乱雑に弁当箱の蓋を開けた。
お母さんが作った、おかずを眺めてはっとなる。
蓮もわたしと同じように照れた様子でゆっくりと蓋を開けると、いつも通り色鮮やかでおいしそうなお弁当が目に入った。
その中でも一際視線が釘付けになる黄色の卵焼き。
いつも通り三つ入っているそれは、わたしに「食べて」と誘っているかのように見える。
「いただきまーす」
すっかり慣れてしまったつまみ食いも、今では堂々と正面から一番最初にするのが習慣となってしまった。
まだ口をつけていない箸を蓮のお弁当へと伸ばし、目的のおかずを掴んでそのまま口の中へ放り込む。
甘くて味付けも程よくて、いくつだって食べられそうな卵焼き。
そういえば初めて食べた頃よりも、形や味が安定していったような……そんな気がすると感じるのはきっと、いっくんに教えてもらった裏事情が原因だろう。
「お前……堂々とつまみ食いするの、ほんと飽きないよな」
呆れたように呟く蓮は既に諦めているようで、怒ることもないままお弁当を食べ始める。
もっと早く、怒らない理由に気付けばよかった。
ただ優しいだけじゃなかったんだと、知れたなら何かが変わっていたかもしれないのに。
蓮の食べる姿を見つめながら、今更どうしようもないことばかりを考える。
「おいしい……」
言葉にすると一層おいしいと感じるのは何でだろう?
口の中に残る卵の甘さが愛しくて、もっともっとここにいて欲しいと願ってしまう。
「そんなに卵焼き好きだっけ?」
わたしを見ることなく呆れた様子のまま問いかける蓮に、思わずぎゅっと箸を握る力を強めた。
それが決意を固めたという合図となり、迷いなく視線を目の前の人間へ向けることができる。
「好きだよ、蓮が作ったんだから」
素直に飛び出した言葉に、蓮は大きく咽た。
酷く咳き込む様子にわたしはほんの少し動揺しつつ、自分のお弁当に入っているお母さんの卵焼きを口に放り込む。
それもまた美味しいし、安心できる味であることはよく分かっている。
だけど、これは言葉で表現しようのないことなんだろう。わたしにとって特別な、大事なものなんだ。
「一子、何でオレが作ったって……」
真赤な顔をした蓮が動揺した様子で尋ね、逆にわたしは落ち着きを取り戻しながら笑いかける。
「風の噂で知りまして」
止まりがちだった箸を本格的に動かしながら、からかうように答えた。
正直にいっくんから教えてもらったというのは言えなくて、本当のことは内緒にしておくことにする(もしかしたらバレているかもしれないけれど)。
「いつもおいしい卵焼きをありがとうね、蓮」
にこっと笑顔で感謝を伝えてみれば、さっきよりもずっと動揺していて笑えてくる。
これはある意味、告白してきたあの時よりもずっと冷静さが欠けているように思えた。
「……おっまえなぁ……反則だろ、そういうの……」
大きく溜息をつき、真赤な顔を隠すように頭を抱え込む。
こうやってわたしは蓮の寿命を縮めているのかな?
心のどこかで釘を刺されたことを思い出しながら、ほんの少しだけ申し訳ない気持ちが溢れていく。
「ていうか、朝の紘哉に抱きついたヤツもさ……何なんだよ。人をおちょくるのもいい加減にしろよ」
ついでに朝のやらかしたことも持ち出されて、一気に顔が熱くなっていくのが分かった。
あれは完全にわたしがタイミングをミスっただけなので、今じゃ忘れたくてしょうがない過去の一つである。
「……あー。オレの心臓持たないほんと。これで早死にしたら、お前どう責任取ってくれるわけ?」
不機嫌そうな態度かと思いきや、嫌味ったらしく嘲笑う蓮にわたしは言葉を失った。
ああ、また心臓がおかしくなってる。
冷静はあっさりと動揺に変化し、完全に立場が逆になってしまった。
「お前が早く答えをくれたら、それでオレは救われるんだけどな?」
さっきまで顔を真赤にして動揺していた人間とは思えないほどの余裕っぷりは、それだけでわたしの気持ちを焦らせては頭が真っ白になる。
「……なんか、蓮がいっくんみたいに意地悪になってる」
蓮にこんな風に追い詰められることは、テストの点数が悪くて罵られるくらいしか思い出せないこともあり、今の状況はとてつもなく不可思議だ。
そして、意地の悪い人間がわたしの傍に二人もいるというのは……正直分が悪い。
「ずっと我慢してきたんだからさ……反動でこうなるのもしょうがないと思うんだけど」
本当に変わってしまった。ただの友達ではいられない。
「それとも、こういうオレに幻滅した?」
ほんの少しだけ寂しそうに笑う蓮は自虐的なことを口にし、一気にご飯を口に放り込んだ。
胸を痛めるのは、わたしが我慢をさせてしまったからだろうか? それとも、待たせてしまっているからだろうか?
「そんなことない。わたしがいけないの……分かってるもん」
焦らしている自覚はちゃんとあって、それがわたしの気持ちを急かす。自分自身の気持ちが左右していることくらい、鈍感でも分かっていた。
早くはっきりすればいいのに。
揺れ動く想いは加速するのみで、加速したところで答えは見えない。むしろどんどん見失っていくようで、余計に焦りは増えゆくばかりだ。
「……悪い」
ばつが悪そうに謝る蓮に、余計に気持ちは落ち込んでいった。
「ちょっとからかっただけで……責めるつもりはないから。ごめんな」
だけどやっぱり、蓮は優しかった。
いっくんに完全になれない理由は、すぐに罪悪感を抱いて謝ってくるからだ。
優しくて、自分よりもわたしを優先してしまう。
……だからわたしは、蓮に弱くて困る。
「卵焼きは、お前が聞いたっていう噂通りオレが作ってるよ」
空気を変えるためなのか、話は突然元に戻っていく。
ほんの少し恥ずかしそうに、だけど迷いはないような表情。蓮はそのまま話を続けていった。
「高校に入ってから料理に目覚めてさ。でも、一度も心から上手くできたことはなかった。それでもめげずに続けたら、やっと卵焼きだけまともにできるようになって。嬉しくなって母さんが作る弁当の隅に入れさせてもらってたんだ」
いっくんの話は本当だったのだと改めて思い知らされ、ただただわたしは蓮の話に聞き入ることしか出来なかった。
そんな一面があったなんて、ずっと傍にいたのに気付けなかったことが少しだけ悔しい。
「で、持って行った初日に早速一子に食われた。最初は人に食わせるようなもんか不安ではらはらしてたけど……お前は笑顔でおいしいって言ってくれた。それが本当に嬉しくて、またおいしいって言われたくて……つまみ食いさせてやってたんだ。卵焼きだけ」
無愛想の微笑ほど、ときめかないものはない。
きっとそれはギャップとかそういうものが要因で、ずっとドキドキしてしまうのは、昨日の一件から蓮の表情が豊かになってしまったせいなのかもしれないと今なら思える。
「でもあんなに嬉しかったのは、一子においしいって言われたからなんだろうな。ありがとう」
さっきから見せる優しい微笑みは、ただただ心臓をおかしくさせていく。
何気なく口にした言葉が、まさかこんなに蓮の力になっていたなんて知らなかった。
お礼を言われるほどすごいことをしたわけでもなく、照れる気持ちばかりが募るばかりだ。
ああ、本当にどうにかなってしまいそうだ。
ぐるぐると回る、蓮の微笑と感謝の言葉。あったかい気持ちと……わたしに残る、ドキドキ。
この感覚をなんというのか、抱く気持ちをなんというのか。
分からないことだらけで、誰かに助けを求めたくて手を伸ばしたい。
でもきっと……答えはわたしにしか分からないんだろう。
直感で抱く感覚に、手を伸ばすことは躊躇われた。
「一子、オレは全部ぶっちゃけちまった。だからもう、こっそりアピールするのも想う事も、やめにする」
ぼかんとしているうちに、蓮はずずいとわたしに顔を近づけていた。
「オレは友達をやめることを諦めてない。でも、一子から離れるつもりもない」
囁くように小さな声は、きっとわたしにしか聞こえないんだろう。
あっという間に消えてなくなってしまう蓮の言葉を必死で聞き取って、理解するのだけで精一杯だった。
あまりにも至近距離すぎて逃げる間もなく、固まったまま真赤になるしかない。
直視できずに蓮の首元に視線を向けているせいで、表情までは把握できなかった。
そして蓮は、一つわたしに宣戦布告をする。
「お前のこと、絶対振り向かせるから。覚悟しとけよ?」
そこでようやく至近距離は解消され、蓮の挑発的な表情がわたしの目に大きく映った。
これはもう、逃げられない。
蓮はこれから遠慮することもなく、我慢することもなく、様々な攻撃を仕掛けてくることだろう。
わたしは一体……どこへ辿り着いてしまうんだろう。
「ごちそうさん。んじゃ、またな。さっさと弁当食えよ?」
ぼけっとしている間に蓮はお弁当を食べ終えてしまい、残されたのはわたしだけだった。
「…………どうしよう」
この想いに気付くのは、きっと時間の問題だ。
そう予感してしまうのは、いつまでも冷めない熱のせい。
わたしの世界は変わっていく。どんなに願っても祈っても、変わることは止まらない。
いつか、蓮に恋する日が来るんだろうか?
今のわたしには上手く想像できなくて、食べ残したお弁当を食べる気持ちは消えていった。
友達はやめてしまうのか続いてしまうのか。
今はまだ、保留中である。
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Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved. (2013.05.05 発行 / 2017.04.07 UP)