優しさに触れる、
漫画ではありがちの話だった。
クラスメートが放課後に相手を呼び出して告白する。
相手は都合よく自分好みで、実は今までこっそり気にしていたような相手で。
だから断る理由もなくて、付き合うことになって……。
「月宮さん。オレ……ずっと月宮さんが好きでした。よかったら付き合ってください」
そんなありえそうな話を現在進行形で体験中のわたしは、どうしようかと悩んでいた。
相手はクラスメートの柊くんという男の子。下の名前は知らない。
わたしがあまり明るい性格でないせいでクラスメートと仲良く話すこともなく、柊くんともそんなに話したことがない。
隣の席になった記憶もなければ、何か一緒に作業をした覚えもない。
どこに好きになるような要素があるのか見当もつかないわたしには、今巻き起こっているこの状況を不思議に思っていた。
顔だけで選んだというのなら、そこは好みの問題なので何も言えなくなってしまうけれど……それにしたって、中身が”こんなの”じゃすぐに飽きられてしまう。
わたし自身は柊くんのことを知らなさ過ぎて、好きも嫌いも答えが出せなかった。
「ああ、急にごめん……いきなりじゃ驚くよね。オレが月宮さんだったら『何だコイツ』って思うもん」
頭を下げたままの柊くんは顔を上げて苦笑する。
どうやらわたしの戸惑いが伝わっていたらしい。
わたしの気持ちをちゃんと考えてくれていると知り、妙に嬉しさが込み上げてきた。
なんというか、恋に盲目な人ってこういう告白の時に自分のことで精一杯っていうイメージが強いせいで、柊くんみたいに目に見えて動揺しない男の子は意外に思えてしまったから。
「オレも何で月宮さんなんだろうってずっと考えていたんだ」
話し始めた柊くんに、わたしは耳を傾けることしか出来ない。
いや……告白されてから今まで、ずっとわたしは口を開いていないんだけど。
柊くんの言葉はいい印象を抱くものじゃなかった。
でもここからどんどん持ち上げられていくんだろうと思うので、大人しく続きを聞くことにする。……じゃないと、告白する意味が分からないもの。
「申し訳ないけど、最初は見た目だけだったんだ。可愛いなって。そういうヤツはクラスにもいて、でも周りのヤツらはそこまでだったんだ。オレも同じなのかって思ってた。だけど、目で追っていく生活を送っていたら、だんだんそれだけじゃ止まらなくなってしまったんだ。月宮さんのことを知りたくて、話もしてみたくて。ほんの少し近づくだけで、オレはドキドキが止まらなかった。教室ですれ違うだけでも、横を通り過ぎるだけでも……オレには十分すぎるくらいに嬉しかったんだ」
長い長い言葉は、確かにわたしに伝わっていた。
何とも控えめな淡い恋心なんだろう……という印象を受ける。
「あ、ごめん。上手く言葉にできなくて……。月宮さん的にはすっごい気持ち悪いけどね、オレって」
照れ笑いのような、苦笑いのような……言葉に形容し難いその表情が、確かにわたしの目に焼きついていた。
恋する男の子が思った以上に眩しくて、柊くんの言葉がくすぐったくて、思わずぎゅっと目を閉じる。
初めてこんなにも……真正面から好意を受け止めてしまった……。
それがとても嬉しくて、胸が高鳴るこの感情を初めて知った。
わたしは柊くんをよく知らない。
でも、今この時を一緒に過ごしてみて、ほんの少しの間なのに分かったことがある。
純粋で、真っ直ぐで、素直で、わたしのことをちゃんと考えてくれる。
確かにそれは彼の言葉でよく分かった。
無愛想でもなく、やんちゃでもなく、子供なのにどこか大人びている。
何だかとても、不思議な人だった。
何も知らないから断ろうと思っていたのに、それさえも躊躇ってしまいそうになる。
もっと知りたくなる。優しさに触れたいと願ってしまう。
見た目で惹かれた彼が、付き合うことでわたしの中身をちゃんと知って……そうしたら、すぐにでも離れてしまうかもしれない……というのに。
「オレは正直、ちゃんと月宮さんを知らないかもしれない。オレが知っている月宮さんは、人と接するのが苦手そうで、時々寂しそうな顔をしていて、姿勢がいいってことくらいだ」
穏やかな、優しい表情。愛しいものを見ているような視線でわたしを見る柊くんは、やっぱりわたしのことを知っていた。
話したことなんてそんなにない。でも、ずっと見てきたせいなのか。
わたしが人と接するのが苦手なのも、そのせいであまり誰かと一緒にいられなくて寂しかったことも、全部お見通しだったわけだ。
姿勢よく前を見ていればいつかいいことがあるかもしれない……そう自分に言い聞かせて、姿勢をよくしていたこともバレていたんだなぁ。
一度目を大きく見開いた後、わたしは半分諦めるように節目がちになった。
そこでようやく、口を開こうという気持ちになる。
「……柊くんは、すごい、なぁ」
口下手のわたしがどこまで上手く話せるか分からない。
その上素直になるのも苦手だ。だから、率直な気持ちを伝えられるかどうかさえ怪しい。
でも……柊くんが素直で純粋だから、いつもよりちょっとくらいは素直に話せたらいいな、なんて願望を抱く。
「本当に、わたしのことを見ててくれてたんだね」
「うん」
「だけど、だからってそれが恋愛に結びつくのがよく分からないんだけど……。好きになる要素が見つからないっていうか……」
「そうかもしれない」
何から話せばいいか分からないわたしは、手探りで思いつく限りの言葉を声にする。
そしてそのたどたどしい言葉一つ一つに反応してくれる柊くんの言葉は、嘘偽りもないはっきりしたものだった。
……だからこそ、核心を突いた質問を投げかける。
「じゃあ……何で告白なんかしたの? この根暗なわたしに」
ここまでで柊くんは理由を話したかもしれない。
けれど、どれがその理由に当てはまるのか……頭の弱いわたしには分からなかった。
「理由はきっと……ないんだよ」
考えていた答えとは違った言葉が耳に入り込んでくる。
「どうしても月宮さんがよかったんだ、好きだから。ずっと考えていたら、止まらなくなってしまった。理由をあえて言うなら……月宮さんだから、告白しようって思った。ずっと見てきて、月宮さんが抱く寂しさを紛らわせる役をオレが引き受けたいと思った。人付き合いが苦手なのも、オレが克服するキッカケになりたいと思った。月宮さんの特別になりたいと思った。誰も見たことの無いような月宮さんの領域へ……踏み込みたくなった」
ああ、答えなんてないんだろう。
柊くんの真っ直ぐな気持ちでそう気付いた。
理由なんていくらでも後付できる。
知らなければこれから知っていけばいい。
何より柊くんは……知らない状況の中で、少しずつでもわたしのことを知ってくれていたんだ。
話したこともないのに、いつも寂しい気持ちを抱いているわたしの本質さえも見抜いて……。
その真っ直ぐな好意はわたしには十分すぎるほどに嬉しいもので、だからこそ断ることを躊躇われた。
断りたくない。
もしかしたら、わたしはここで変われるかもしれない。
柊くんを好きになるかどうかは分からないけれど……でも、もしかしたら……なんて非現実的なことを考えてしまう。
「でも、無理強いは絶対にしたくない。月宮さんもこんなオレは気持ち悪いって思うかもしれないし、他に好きなヤツがいるかもしれない。好きだから振り向いて欲しいし、付き合ってもらえたら最高に嬉しいけれど……一番嫌なのは、無理されることなんだ。月宮さんの気持ちを優先したい。オレはさ……フラれるのを前提に告白してるから。ある程度の覚悟は出来てる。でも、オレを傷つけないようにって無理に気遣われて後でフラれるのが一番きつい。断るなら早いうちに断って欲しいって思う。そうしたら、ちゃんと蹴りつけるから」
優しい……どこまでもどこまでも、優しい。
自分のことも相手のことも、ちゃんと考えている優しい人。
こんなにも他人の優しさに触れることなんて滅多にないから、わたしは涙が出そうなくらいに嬉しかった。
ほんと、どうしてこんな人がわたしなんかに……って思って、「ああ、わたしが寂しそうだからほっとけないのかな」なんて捻くれたことを考えた。
でも、今日初めて柊くんのことを意識したのだから、分からなくて当然。全部推測でしかないのもしょうがない。疑うことも、捻くれたことを考えるのもしょうがない。
今のわたしにできることは……精一杯、誠意を見せることだ。
「わたしは、今日初めて柊くんのことを考えた。柊くんのことを見て、とても優しい人なんだなって知った」
こんなに他人と接するのは久しぶりかもしれない。
だから、本当は怖くて震えてしまいそうだった……はずなのに、今この状況が心地よくて、そんな恐怖さえも忘れていた。
ただ、とくんと揺れる心臓に夢中で、触れる優しさがあったかくて……それがいつまでも続くような錯覚に陥っていた。これが当たり前であるかのような勘違いをしていた。
「ただそれだけで、柊くんのことも全然分からないし、恋愛とかそういうのもその……まだちゃんと分からなくて……それどころか、人付き合いもままならなくて……」
そこでわたしの言葉は詰まった。
零れ落ちそうな涙を必死に堪えるので精一杯だったせいだと思う。
涙は別に、悲しくて流れそうなわけじゃない。
ここまで自分のことを口にして、虚しくなったところもある。一体どこを好きになったんだろう……この人。同情なら勘弁して欲しいって思った。
でも、この人はそれだけじゃないって直感で思ってしまったから……こんなわたしでも受け止めて、真っ直ぐに告白してくれたんだって考えたら、嬉しくて泣きそうになってしまった、それだけのこと。
顔を俯けて、柊くんが視界に入らないようにする。そうすれば柊くんだってわたしの顔が見えないはず……なんて思ったりして。
「大丈夫、何も分からないのは当然だし。ほんの少しオレと接した時間の中で、オレのことを少しでも知ってくれたなら……オレはそれだけでも満足なんだ。月宮さんの中で、オレという存在が少しでも刻まれたなら……それはオレの大事な一歩なんだ」
もっと、貪欲に恋愛に浸っていればいいのに。
自分のことで精一杯で、ただひたすら自分の物にしたくて、遠慮なく触れて自分を愛して欲しくて、自分の思い通りにしたい……そう思ってくれたら、何も気にせずに断っていたのに。
柊くんがどこまでも優しいから……期待してしまう。
わたしが”変われる”ような気になってしまう。
味気ない寂しい世界から連れ出してくれるような気がしてしまう。
必死の抵抗も虚しく、涙は静かに零れ落ちていった。別に大きくしゃくりあげるようなこともない。
本当にただ、雫が零れ落ちるだけだった。
悲しくもない、寂しくもない……嬉しさと、夢だったらどうしようという不安からの涙。
「月宮さん、大事なことだからもう一度言うよ」
優しい声色が、教室中に響き渡る。
その声に吸い寄せられるように、わたしは涙も忘れて顔を上げた。
穏やかな表情の柊くんは、ゆっくりと跪いて手を差し出す。
「ずっと月宮さんが好きでした。よかったら付き合ってください」
きっと、差し出された手を取った瞬間に、わたしの世界は変わっていく。
寂しいだけの世界は、一瞬にして色を変えるだろう。
今、わたしにとって重大な選択が課せられている。
ああ、どうしよう。
ぽたりぽたりと、涙は零れていく。落ちていく。
永遠が存在しない世界は、時間は等しく過ぎ去っていき、わたしがどれだけ望んでも待ってはくれない。
……さて、どうしようか。
非現実に思えるような、御伽噺のような告白をされたわたし。
今の空気に酔って告白を受け取ってしまいそうだけど、それはとても失礼なことにも思える。
いいのかな? こんな訳が分からない状態でも。
もしも好きな人がいたなら、それを理由に断っていた。
本当にわたしが優しい人間なら、柊くんのことを思って断っていた。
だけどわたしは優しくないから……自分のことばかり考えてしまう。
変われるチャンスがあるのなら、変わってみたい……と。
「嫌になったら、すぐ突き放してください」
なんと捻くれたことを言ってしまったのか……わたしは自分に驚いた。
だけど結論的には告白を受ける形となっていて、迷っていた右手は柊くんが差し出した手を掴んでいた。
慌てて顔を上げた柊くんは暫く驚いたままで、失礼だけどそれがちょっとだけおかしくて、気付けば涙が止まっていた。
「柊くんの告白を断ったらそれで終わりだけど、告白を受けたら何か得るものがあるかなって……変われるのかなって。……不純だけど」
何を得るのかは分からない。ただ柊くんを利用するだけで終わってしまうかもしれない。
それでも……今のわたしに、断る選択肢は存在しなかった。
わたしは、ほんの少しでも思ってしまったんだ。
柊くんのことをもっと知りたくて、好きになってみたい……なんて。
都合がいいかもしれない。空気に流されているかもしれない。
後で悲しませるかもしれない。後悔するかもしれない。
引き返すなら今。手放すなら今。軌道修正できるのは今。
「わたしも、柊くんのことを知りたくなった……です」
だけど、知らない世界を選んだ。
未知なる世界に飛び込みたくて、こんなにも優しさをくれる柊くんのことが知りたくて。
どうなってしまうか分からない未来に不安を感じながらも、少しの間になってしまったとしても傍にいたいと……願ってしまった。
ぽかんとしたままの柊くんは、わたしの手を握ったままゆっくりと立ち上がって、何度か話しかけようと口を動かしていた。
なのにそれは声にはならなくて、もしかしたら何か不快な思いをさせてしまったんじゃないか……なんて心配をする羽目になる。
動揺がじわじわと表面に現れだして、柊くんの顔を見れなくなってしまった。
「あ、あのっ、わたし……」
きっと、図々しかったんだろう。上から目線だったようにも思えてきて、失礼なことをしたのかと不安になってしまう。
「ありがとう」
ようやく声が聞こえて、わたしは柊くんに視線を戻す。
だけど柊くんは顔を俯けていた。
感謝の言葉が聞こえていたのに顔が見えないおかげで不安は消えなくて、ゆっくりと近づいて柊くんの顔を下からこっそり覗き見した。
……その時の柊くんを、わたしはずっと忘れないだろう。
嬉しそうな表情なのに、涙が溢れて止まらないようだった。
ぽたぽたと零れ落ちる涙が焼きついて離れない。
高校生の男子でも、こんな風に泣くんだな……と初めて知ったわたしは、あまりにも綺麗な光景に言葉を失った。
さっき掴まれた時よりもずっと強く手を握り、 必死で涙を抑えようとしている姿から目が離せない。
「ごめ……泣く、つもりは全く……なかったんだ……うれ、しくて。つい……。手を、取ってくれるなんて……思わなくて……予想外だったから、吃驚して」
途切れ途切れの言葉、震える声。
それだけでも自分がいかに愛されているかを実感する。
告白をオッケーして泣くような男の子がいるなんて知らなかった。
わたしが知る世界なんて狭いものだから、この世にはたくさん同じような人がいるのかもしれない。
だけど何も知らないわたしには、とてつもない予期せぬ状況に驚くしかなかった。
「本当に、ありがとう」
そんなにわたしを好きでいてくれたのか……。
あまりの純粋さに、こっちまでまた泣いてしまいそうだった。
本当に夢みたいな、御伽噺のような、漫画のような話。でも全部が現実。
わたしはとんでもない幸運を掴んだのかと、まるで宝くじが当たったかのような気分になり始めていた。
そして……心は、ゆっくりと動き始めていた。
こんなに優しくて、わたしを好きでいてくれて、全部を伝えてくれたこの人を……好きにならないわけがない。
柊くんの涙を見て、心を奪われたわたしは……奪われたままだった。
「不束者ですが、宜しくお願いします」
堅苦しい挨拶を口にして、ぺこりと頭を下げる。
わざわざしなくてもいいようなことなのに、どうしてもやりたくなってしまった。
「はい、宜しくお願いします」
涙を浮かべたままの柊くんもわたしと同じように頭を下げ、次に顔を見せた時にはとてつもなく幸せな笑顔を浮かべた。
さて、わたしの世界は何色に染まるでしょうか――
Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved. (2013.01.09 UP)