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月宮さんに触れた、

「……あの月宮さんと……」
 月宮さんを家まで送り届け、一人で歩く帰り道。
 空は夕焼けから夜に移り変わる様子が目に映り、一番星も確認できる。
 ……だけど今の自分には、オレンジと青と黒が混ざり合っていく様も一際輝く一番星を綺麗だと眺める暇もない。
 オレはさっき、初めて彼女と手を繋いだのだ。
 いつも独りぼっちで寂しそうな彼女を救いたいと願っていたはずなのに、その彼女から手を繋いでくれたのだ。
 自分よりも小さくて柔らかくて、ほんの少し冷たい手。
 妄想の中では何度でも繋いでいた彼女の手を、現実で繋いでしまったのだ。

「…………ヤバい…………」

 さっきから動悸は落ち着かないまま、全身から熱が吹き出ているのかと思うほどに身体が熱い。
 脳内では月宮さんと手を繋いでいた時のことしか考えることはできなくて、確実にこれは興奮状態だ。
 自分自身は何もできないまま、ただ安全圏から彼女を気遣うことしか出来なかった……ただの情けない男だったというのに……。
「こりゃ……暫く家に帰れないか……」
 きっと赤いであろう熱い顔と、ニヤつきが止まらない頬。
 こんな気持ち悪い顔で家に帰ったりすれば、確実に家族に笑われて問い質されるのは目に見えている。
 オレはおもむろに携帯を取り出し、とある番号に電話をかけた。
「あ、もしもし? ちょっと申し訳ないんだけど今から会えない?」




「……えっ……何お前……気持ち悪い」
 呼び出した人物の第一声というのは、何とも酷い言葉だった。
「オレ帰ってもいい?」
「ダメ。オレが落ち着くまではここにいてもらわないと」
「えっ」
 残念な被害者となってしまったクラスメイトで友人の榊悠吾は、無視すればいいところを律儀に呼び出しに応じたお人好しだ。
 駅前のファーストフード店に揃ったオレ達は、二人用のテーブル席でお互いの顔を見つめあう形となっている。
 今壮絶に気持ち悪い顔をしているであろうオレの顔を真正面から見なければいけない榊には、大変申し訳ない気持ちでいっぱいだ。一応。
「……で? 何かイイコトあったんですか」
 感情が篭っていない棒読みで、榊は呆れた目つきでそう尋ねた。
 なかなかに冷たい反応ではあるが、それでも今のオレなら何でも許してしまう。
「いや……月宮さんのことでね……」
 名前を口にした途端、彼女の真赤に染まった戸惑う表情が、上目遣いが、小さくて柔らかくてちょっと冷たいあの手の感触が……脳内でどんどん蘇っていく。
 それが更にオレの気持ち悪さを加速させていたようで、目の前の友人の顔がどんどん歪んでいくのが分かった。
 ……変な笑いが出てきたと自覚し始めた時点で、気持ち悪いことは確定なんだが……。
 いかんいかんと振り払うものの、焼きついて離れない記憶はただ振り払うだけじゃ消えてはくれない。
 あまりにもったいぶってもウザいだけなのは分かっているので、さっさと今日あった出来事を話すことにした。

「……月宮さんと、手を繋いだんだ」

 簡潔にまとめると、今日の出来事はこれに尽きる。
 誰かに話してみるだけでこんなに現実なんだっていう実感が沸いてくるのか……。
 夢かもしれないと思っていた自分の考えは一気に打ち砕かれ、恥ずかしさに顔を上げられなくなってしまった。

「……は?」
 だけど、友人の反応は相変わらず冷たい。
 何とか視線を榊の方へと向けてみると、何とも呆れた表情でオレを見つめていた。
「手を繋いだくらいでわざわざ夕方にオレを呼び出したわけ?」
 確実に呆れている。何だコイツって思われている。
 態度が露骨過ぎて、幸せで思考が吹っ飛んでいるであろうオレにでもはっきり分かるくらいだ。
「いや、重要でしょ? ずっと好きだった女の子の手を握れたんだよ? オレの歴史に深く刻まれたよ?」
「気持ち悪いなお前」
 ずずっとストローを啜りながら、蔑むような視線は変わらぬままオレに向けられる。
 きっと冷静になれば今の自分の異常さにいち早く気付くことができるはずだ。
 だけど今のオレには不可能であることは分かっている。

「……でもさぁ……ほんとオレにとってはすごいことになったんだよ……。そもそもオレは、月宮さんと付き合えるなんて思ってもみなかったんだ……」

 舞い上がってしまうのはそれが一番の理由。
 オレは未だに、付き合っていることが夢なんじゃないかと信じられない気持ちでいっぱいなのだ。
 彼女に失礼になるかもしれないからと口にすることはなかったけれど、本当に月宮さんと付き合えるとは思ってもみなかった。
 それが今では恋人同士になって、ついに手まで繋いだ。
 この先いろいろなことが待っていて、手を繋ぐなんて初歩に過ぎない行為かもしれない。
 でもオレにとっては……その一歩がとてつもなく大きな一歩だったわけだ。
 階段を三段飛ばしで上ったかのような、経験値が二倍イベントに遭遇して一気にレベルが上がったかのような。

「お前ってほんと、おめでたいヤツだな」
 呆れすぎて諦めてしまったのか、榊は頬杖をつきながらようやく好意的に取れるような微笑みを向けてくれた。
「まあ結構からかっちまったけど、本音を言えばお前が月宮さんをずっと好きだっていうのは知ってたから、素直に『よかったな』って思うぜ」
 言って欲しかったことをようやく言って貰えたのに、何だか上手く自分の中で処理できなくて驚いてしまう。
 それから一気に照れる気持ちが襲い掛かり、顔が熱くなっていくのが分かった。
「あ、いや、まあ……うん。急にそう言われると、どう反応していいのか……ていうか気持ち悪いな」
「お前はどうせ祝福してほしくてオレを呼んだんだろうが! 最強に気持ち悪い人間に気持ち悪いって言われるほど屈辱的なことはねーぞ……?」
「うん……ごめん」
 大きな溜息を聞きながら、手元のコーヒーに口をつける。
 ちょっぴり冷めてしまった、だけどまだ温かさは残っているようなコーヒーは、まるで月宮さんの手を思い出させるようで……何故か愛しくなってしまった。
 ……手に負えないほどにバカになっている。
 こんな状況でショッキングな出来事が起こってしまったら、オレは一体どうなってしまうんだろう?
 もしかしたらショックのあまり死んでしまうかもしれない。

 月宮さんを失う日なんて、来てしまうものなんだろうか?

 そこまで考えて、オレは今利用されているという現状を思い出す。
 自分を変えるキッカケを、オレと付き合うことにしてくれたのだ。それだけでオレは幸せだったはずだ。
 月宮さんは優しい。利用すると言っても、ちゃんとオレのことを考えてくれている。
 だからきっと、本当に大きな傷を作るほど酷いことはしないはずなんだ。
 でも、きっといつか、彼女の目的が果たされたその時にやってくる。
 目先の幸せばかりを追いかけちゃいけない。
 いつかのことを、忘れちゃいけない。
 オレがそれを忘れた時、そのいつかが訪れた時、オレは自分で大きな傷を作る。

「……幸せすぎるって……怖いよなぁ……」
 コーヒーを少し横に置いて机を空けると、オレは盛大な溜息と共に机に突っ伏した。
 今までこの台詞を言うことなんてないんだろうと思っていたのに、あっさりとそれは覆される。
「お前……大丈夫か?」
 降ってくる榊の声を聞きながら、ぼんやりといつまでこの幸せが続くのかと考える。
 こればかりは、オレだけじゃどうしようもないことだ。
 オレはいつまでも続いて欲しい。でも、彼女は違うかもしれない。
「付き合うことになったって報告した時にさ、オレ言ったよね。本当に好き合って付き合うことになったわけじゃないって」
 ぼそぼそと呟く声は、果たしてちゃんと真ん前に座る友人に伝わっただろうか?
 一喜一憂してコロコロ態度を変えるオレなんてさぞ扱いづらいことだろう。
 ただでさえ気持ち悪くて帰りたいだろうし、何だかとても申し訳ない気持ちでいっぱいになってきた。
 どんどんネガティブな感情は増していき、溜息ばかりが漏れ出していく。
 突っ伏すことで榊の顔や反応が見えないのは、ほんの少しだけ救われた気がする。
 ……何だか少し、怖かったのだ。
 本当に今のオレは、身勝手で気持ち悪くて情けなくてカッコ悪い。

「いつかの別れに怯えてるのか? 柊は」
 聞こえるのは、呆れた榊の声だ。
 その声にさえ耳を塞ぎたくなるが、上手く身体が動かないオレにはどうしようもない。
 喉元が熱くて、目頭もだんだん熱くなっているのが分かる。
 きっとこれ以上喋れば、オレは泣いてしまうかもしれない。
 さっきまで幸せで気持ち悪く笑っていた人間とは思えぬほど情緒不安定なオレ自身に……正直オレが引く。


「何でここで『惚れさせてみせる』とかそういう発想に辿り着かないわけ?」


 ぽつりと降って来た声はオレに衝撃を与えた。
 その衝撃の勢いで顔を上げてしまい、目の前の友人と視線がぶつかり合う。
「好きにさせちまえばこっちのものなんじゃねーの? 月宮さんって別に他に好きな人がいるわけでもないんだろ? それともお前は、好きな女の子を簡単に諦められるような男だったっけ?」
 挑発的な発言と苛立つようなニヤつきの表情に、自分の中の何かに火が付いたような感覚に陥った。
 ……本当に今日のオレはどうかしている。
 大好きな女の子に触れただけで、オレはどこまでもおかしくなってしまうのだ。
 たった一人の人間にここまで自分を狂わされるなんて……恋愛というものはなんと恐ろしいものなんだろう。
「例え別れが来たとしても、お前がそれを受け止められるくらい本気出してぶつかって、悔いのないようにしとけよ。月宮さんを優先するのは構わないが、自分の意思も大事にしろ。せっかく掴んだ幸運なんだろ?」
 ただオレの自慢話を聞いてもらって、おめでとうって祝福されるだけでよかった。
 それだけのはずだったのに……オレが知ってる友人じゃないような台詞で励まされて、失礼なのは分かっていても気持ち悪いと思ってしまう。
「……あのヘタレだと思ってた榊が、こんなに成長してたとは……。距離が近いと気付かない部分も多いよなぁ」
「お前ほんと失礼すぎるだろ」
 軽くチョップを食らいながら、オレの顔には笑顔が戻っていることに気がついた。
 ああ、本当に今のオレはちょろい。
 分かりやすくて単純で、些細なことで一喜一憂してしまう。
「……でも、ありがとな」
 今回ばかりは感謝を大いに伝えなければならない。
 無意識に笑みを零しながら、オレは素直にお礼を述べた。
「貸し一つな?」
「じゃあ、榊が恋愛に困ったらしっかりアドバイスさせてもらうよ」
「何を言ってるのかちょっとよく分からないんだけど……」
 ふざけあいながら、二人して笑う。
 浮ついた気持ちは落ち着いて、沈んだ気持ちも落ち着いて。
 ようやくいつもの自分に戻っていくかのような、そんな気がしていた。



 手を繋いだだけだ。
 今後、何かあるごとにこんな状態になってしまったら……そう思うと、この先の未来は怖いことだらけだと思う。
 また榊を付き合わせて、気持ち悪いだのなんだの言われて呆れられて迷惑をかけるのも目に見えている。

 ……本当に厄介なものだ。オレの中に充満する恋愛感情というものは。

 制御不能なそれに振り回されながら、今後もきっといろんな感情に出会うんだろう。


 それでもオレは、恋をやめない。
 榊が言ったとおり、月宮さんも手にした幸運も、手放すつもりなんてないのだから。
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Copyright (c) 2013 Ayane Haduki All rights reserved.  (2013.05.26 UP)