わたしが狂い始めてから、あっという間に終業式を迎えていた。
相変わらず落ち着かない気持ちでいっぱいだったものの、お母さんにクラスで遊びに行く話をしてから、別の意味で落ち着かなくなってしまった。
そう。終業式、クラスのみんなと遊ぶのだ。そもそも誰かと遊ぶなんてことにそれほど慣れていない。
……一体、どんな風にみんなと接したらいいのだろうか。ボーリングもカラオケも、家族とくらいしか行ったことがないし……何より、浮いてしまったら……。
考えれば考えるほど不安は襲い、恐怖とワクワク感で満たされ始めていく。
そんなわたしを落ち着かせるように、傍にいた和泉くんが茶化していたけれど、それでもやっぱりそわそわは止まらなかった。
「だーかーら。そんなに気にしてもしょうがないって。諦めろ」
「うーん……でも」
「じゃあ帰るか?」
「……帰らないけど」
「なら頑張れ」
この会話を今日何度繰り返しただろうか?
気づけばあっという間に放課後で、今日遊ぶメンバーが教室に残る形となっている。お昼はカラオケ屋で済ませようと話していて、三時間ほどの滞在になるようだった。ボーリングはその後らしい。
「んじゃ、行きますか!」
今日の幹事である伊藤くんが全員集まったことを確認すると、そう言って先陣を切った。
「たっちばなさんっ」
和泉くんが早足で伊藤くんの後を追い、わたしもそれに倣うつもりだった。だけどそれは、突然名前を呼ばれたことで遮られてしまう。不意打ちに思わず身体をびくつかせながら振り返ると、そこには三人の女子生徒……いつも授業で何かあった時に組んでくれる子たちがいた。
ポニーテールでいつも明るい相川さんとクラスで一番背が低くておっとりしている南さん、眼鏡をかけクールな雰囲気を纏った山口さん。
名前を呼んだのは相川さんで、わたしが気付いたことを確認すると、何やら楽しげな様子で近寄ってきた。
「立花さんが参加してるのなんか意外だった!」
「も~。そんなこと言ったら失礼でしょーアイちゃん」
「でも意外なのは同意かも。騒がしいのとか苦手なのかと思ってたから」
三者三様にそれぞれ話しかけてくれて、いちいち心臓がドキドキと加速していく。
「あ……えっと、別に騒がしいのが苦手とかじゃなくて……。ずっと本が好きで、読みたいから読書を優先してしまって……でもたまには遊んだりもしてみたいな、なんて」
言い訳のように飛び出す言葉は、緊張のあまり支離滅裂になっているような気がした。数秒前に発した言葉さえ思い出せない。ただ後悔だけはきっちり襲いかかってきて、次の反応に怯えてしまう。
間違ったことを言っていたら? 引かれてしまったら?
どんな顔をしていいのかもわからず、わたしは思わず顔を俯けた。
「そっかー!」
でも、そんなうじうじとした悩みを吹き飛ばすほどの明るい声のおかげで、俯けた顔を再び三人に向けることができた。
「てっきり賑やかなのが好きじゃないんだと思って声かけるの躊躇ってたけど、別にそうじゃないんだっ!」
「う、うん……」
相川さんのどこまでも明るい反応が、わたしの心を軽くする。
「みんなと過ごすのもいいけど、自分の時間をきっちり確保したいタイプね」
「そ、そうなる……のかな」
山口さんは何やら冷静に分析しているようで、わたしの言葉が伝わったことにホッとする。
「じゃあ、立花さんがお暇そうな時は声をかけてもいいんだね~」
「よ、よければ」
南さんの優しくて穏やかな声色が、わたしの不安を包み隠してくれるようだ。
三人の反応はわたしにとって良いもので、圧倒されながら返した言葉が上出来とは言いづらかったけれど、悪くない雰囲気にわたしはひたすら安心感を覚える。
わたしの焦りや不安なんて気にも留めない三人は楽しそうで、緊張で張り詰めた気持ちが少しずつやわらいでいくようだった。
「おーい女子~。もう置いてくぞ~」
四人でわいわいと話をしている間に他のクラスメートは移動してしまっていて、和泉くんがわたしたちに声をかけてくれた。
一瞬わたしと視線がぶつかりあい、ちょっとしたアイコンタクトが送られる。
それはわたしの妄想かもしれないけれど、「よかったな」と言われたようだった。
「それじゃ行こっか~!」
和泉くんがさっさと先に行くと、少し早足でわたしたちも続く。
まだ目的地にも辿りつけていないのに、こんなにうまくいっていいのだろうか?
わたしは嬉しさと幸福感に浸りながらも、ほんの少し、不安な気持ちを抱く。
でも今、三人がわたしと一緒に歩いてくれているのだ。悪意も感じないし、よそよそしくもない。
……まるで友達のように。
「そういやさ、梨乃っちって和泉と付き合ってんの?」
「え!?」
移動中、相川さんが突然悪びれた様子もなくそう尋ねた。内容にも驚いたが、既にあだ名を勝手につけて呼ぶところにも驚いた。
「アイちゃん! 急に失礼でしょっ」
南さんが相川さんのわき腹を一度小突くと、笑顔を崩さないまま返答する。
「えー。だって結構仲いいじゃん? みんな気になってるし。だからさ~……どうなのか教えて~?」
再びずずいと近寄り、甘えたような声と視線でわたしの答えを待っているようだ。じっと見つめられると、どう反応していいのか分からなくなってしまう。
けれど、その答えは迷うようなものでもなかったので、わたしは素直に返した。
「付き合ってないよ。ただの友達」
「えーうっそー! でも絶対和泉は梨乃っちのこと好きでしょ!?」
さっきようやく普通に話し始めた相手なのに、よくもここまで遠慮なくド直球な言葉をぶつけてくるものだ。内心感心しながらも、わたしは苦笑しながらもう一言付け加える。
「いや、和泉くんって好きな人がいるから惚れるなよとか言ってたよ」
ちょっと言葉は違うけれど、ざっくり言うならこういうことを言われた気がする。
でも、伝えた言葉がよくなかったのか、相川さんは顔を歪めながら叫んだ。
「うっわー! モテる男は言うことが違うね! キモい! あ、今のなしね。和泉が好きな女の子に刺されるかもしれないし……ねー? ずっと黙ってるヤマちゃーん?」
意味深な様子で山口さんに話を振る相川さんに対し、さっきよりも冷ややかな視線を向けながら山口さんは口を開く。
「……あんたに打ち明けた私がバカだったわ。とりあえず記憶を失うまで殴ってもいい?」
「ぼ、暴力はいかんですよ!? 暴力は!」
その微笑ましいという表現が正しいかも分からない光景を見守りつつ、二人のやり取りから、不覚にも山口さんの想いに気づいてしまった。……いや、これで分からない方がどうかしていると思うけれど……。
「梨乃ちゃん……って呼んでもいいかな?」
相川さんと山口さんが言い合いをしている間に、南さんがそう尋ねてくれた。
「うん、いいよ。わたしはえっと……」
「んー。何でもいいけど、二人はミナとかミナちゃんって呼ぶかな~。みんな名字から取って呼んでるから、アイちゃんとヤマちゃん。何故かアイちゃんが梨乃っちって呼んでるから、私も下の名前で呼ぶね」
あだ名で呼び合うなんて慣れていないわたしは戸惑いかけたけれど、すぐに南さんはいろいろ教えてくれて、ドキドキするわたしもなんとか呼べそうな気にさせてくれた。
「じゃあ……ミナちゃん」
「うんっ」
にっこり笑顔に安心しながら、わたしの心はぽかぽかと温まり、ますます不安な気持ちが消えていくような気分になる。ミナちゃんはおっとり穏やかでお母さんに似ているせいか、すぐに安心できる感じがした。
「あのね。和泉くんの好きな人……知ってる?」
一瞬会話の間が空いた隙に、ミナちゃんが遠慮がちに尋ねてきた。それは先程までの話の続きのようで、おそらく山口さん……ヤマちゃんのことを気にしているのかもしれない。
ミナちゃんが優しい眼差しでヤマちゃんを見つめているのがすぐに分かる。
「えっと……ごめんなさい。そこまでは知らないんだ」
だけどよくよく考えれば、わたしは和泉くんの好きな人の名前までは知らなかった。
「ミナ、ちょっとやめてよ」
次の言葉を考えているうちに、慌ててヤマちゃんが話に加わる。どうやらこちらの会話に気が付いたらしい。
複雑そうな表情を浮かべるヤマちゃんはどこか苛立っているようにも見えて、何だかわたしまでひやひやしてきた。
「確かに私は和泉が好きだけど、どうにかなれるなんて思ってないし、自分の問題に梨乃をこのタイミングで巻き込むのは良くないと思う」
わたしの呼び方について気にしている暇もないほどに、状況は悪化しているように見えた。はっきりと言い放つヤマちゃんに、ミナちゃんは苦笑を浮かべる。
「あいっかわらずヤマちゃんはお堅いっすなー!」
「……アイが能天気すぎるのよ。これじゃあまるで、利用するために梨乃に近づいたみたいでしょ。私たちは純粋に仲良くなれたらって感じだったよね?」
「あー! ヤマちゃん落ち着いて! 私とアイちゃんが悪かったわ。梨乃ちゃんもごめんなさい」
「うーん……ごめん。梨乃っち、ヤマちゃん」
「いや……」
「分かればいいのよ」
わたしは三人のやり取りを眺めながら、どれだけ三人が仲良しなのかを理解する。
一見険悪そうな雰囲気も、何故か「喧嘩するほど仲がいい」という言葉で表したくなるのだ。
それは、さっきまで怒っているように見えたヤマちゃんの表情が柔らかくなったことや、悪びれた様子も見せなかったアイちゃんが反省するところ、危ないと判断すればすぐ止めに入るミナちゃんの連携を見ていると確信する。
何度も同じようにぶつかっては、こうして仲直りしてきたのだろう。
いつかわたしも、この輪の中に入れるのかな?
ふつふつと湧いてくるのは、押し寄せる疑問。
歩きながらとはいえ、ずいぶんゆっくりとした移動のせいか、わたしたち四人が一番最後の登場だった。
「お前らおせーよ!」
校門の前で苛立ちを込めながら幹事の伊藤くんが叫び、
「ごめーん! ちょっとガールズトークで盛り上がっちゃって」
「これから盛り上がれよ!」
アイちゃんは自然な流れで伊藤くんと楽しげに話しつつ、その輪の中に自然と混ざっていく。
「ささ、早く行きましょ~」
「ツッコんでる間に日が暮れるわよ」
「お前ら協調性なさすぎだろ……」
気づけば、ミナちゃんもヤマちゃんも会話に混ざっていた。
楽しそうだなぁ……そうやって遠巻きに見守っているうちに、わたしはいつの間にか取り残され、混ざり損ねたことに気づいたのは我に返った時だった。
「よっ」
ようやく校外を歩き始め、一時的に一人になったわたしに声をかけた和泉くんは、特に許可を得ることもなく隣を歩き始めた。
それだけでどこかホッとし、思わず小さく息をつく。
「どうだ? あの三人は何度か関わりあるだろうし、いいヤツらだから接しやすいと思うけど」
どうやらわたしの心配をしてくれているらしい。
その心配をわたしは嬉しく思うのだけど、今の気持ちにどんな言葉を当てはめればいいのかは分からなかった。
「嫌か?」
黙り込んだままのわたしを気遣うように、前を向いたまま歩く和泉くんは、ストレートな言葉で問いかける。
「ううん。むしろ嬉しくてどうすればいいのかわかんないよ」
そして、その問いの答えはすんなりと口にできた。
「でも……友達に、なれるのかな?」
嬉しくて仕方ない気持ちは本当で、あだ名で呼び合うまで辿り着いたというのに、嬉しさと同じくらい不安も大きい。
今まで特定の誰かと仲良くできたことは、香澄先輩と榊くんくらいだ。和泉くんもいるとはいえ、それもつい最近のこと。
本に夢中で、本の世界でもこんな風に友達について思い悩む話もあった。孤独からたくさんの人間に囲まれるような話だってあった。なのに全部、他人事のように感じながら読んでいて、いざ自分がこうなった時のことを考えたこともなかったんだ……。
「おまえな~~~」
隣から呆れたような声が聞こえたと思った瞬間、こつんと軽くだけど頭を小突かれる。
「えっ」
「そうやって足踏みしたまま動かなかったら、お前一生後悔すんぞ!」
混乱の中、和泉くんの声だけがはっきりと頭の中に残る。
目をぱちくりさせながら隣へ視線を向けるとあっさりと目が合って、思わずときめいてしまいそうな笑顔を向けられた。
「友達、作るんだろ? さっきの立花たち、すっげー楽しそうだった。それこそ、前から仲良しのグループみたいにな」
その言葉に、ゆっくりと先程の四人でやり取りした出来事を思い出す。
話しかけられて、気付いたらあだ名で呼ばれていて、わたしも同じようにあだ名で呼んでいて。
明るくて人懐っこくて、だけどちょっぴり暴走気味のアイちゃん。
一見つめたそうだけど、ちゃんと思いやってくれるヤマちゃん。
一番みんなのことを見ていて、優しく接してくれるミナちゃん。
最初に声をかけてくれたアイちゃんに、あだ名で呼んでいい?と尋ねてくれたミナちゃん。アイちゃんのからかいの言葉を冷たくあしらいつつも、わたしと友達になりたいと言ってくれたヤマちゃん。
今までも授業で組む時、何かしら声をかけてくれていた。四人組だったり、二人組だったり。いくらでも友達になれるチャンスはあったはずなのに、わたしは気付こうともしなかったのだ。
「頑張れ」
そして隣には、同じクラスの友達第一号である和泉くんが励ましてくれる。
「うん、頑張る」
だから頑張れるんだって、素直に思えたのだ。もしかしたらそこまで力を入れずとも、自然と上手くいくような……そんな気さえしてくる。
「ありがとう」
もう何度目かも分からないお礼の言葉を述べると、和泉くんは少し安心したかのような表情で笑いかけてくれた。
それからつられるように、わたしもようやく自然な笑顔を浮かべたのだった。