「やぁ、ミス・五十鈴。今日も君は可憐で麗しいね」
「あ、ルディおはよう。はい、お手」
「君はそんなに僕と手を繋ぎたいと言うのかい? しかしミス・五十鈴からのお誘いというのであれば」
「お手」
「むう」
「うん、よろしい。じゃあ買い物に行きましょ? 頼まれごとがあるの」
「そうなのか。それならエスコートはこの僕に任せたまえ、ミス・五十鈴。淑女にエスコートするのも紳士たる僕の務めだ。遠慮せずに……」
「じゃあ遠慮なく! 回るとこいっぱいあるんだから」
「ま、待ってくれ! ミス・五十鈴!」
ルンデルハウスと五十鈴の一連のやり取りは、もはや<記録の地平線>内では日常と化した光景である。
二人も特に人目を気にせずじゃれついているために、最初はギョッとしたり、見ているこちら側が恥ずかしかったりしていたことも、当たり前になってしまった今では『またやってる』と軽く流す程度にまで落ち着いた。
「……相変わらずだなぁ」
その光景を微笑ましく見守っていたのは、最初からその場にいた直継だった。
ルンデルハウスと五十鈴の相手への接し方は、同じようで違うようにも見える。
一途に想う女の子へ惜しみなく愛を注ぐルンデルハウスと、犬っころを躾けるかのように扱っている……と見せかけつつも、それなりの好意を寄せている五十鈴。
二人を眺めながら、直継はルンデルハウスに対してある種の尊敬の念を抱いていた。
「あんな言葉、俺じゃぜってー出てこねぇ」
独り言を口にすると、その気持ちは強く主張し始めていく。
愛の言葉というものを、捧げたいと思う人は存在した。
直継の心の中にはいつでも向日葵が咲いていて、その向日葵が時折直継自身を狂わせていく。
密かに抱き続けてきた感情はただただ大きくなるばかりだった。
ただ、慌ただしいこの世界で恋愛にうつつを抜かしていてもいいのかと問いかけるもう一人の自分が、あと一歩踏み出す勇気を堰きとめているのが現実である。
それも、ただ逃げ出しているだけであることは、ちゃんと分かっているのだが……。
逃げだと自覚してしまうのは、ルンデルハウスやアカツキ、<三日月同盟>のセララ辺りを見てしまうせいだろう。
あれほど一途に好きな相手に想うことができることを、直継自身はある意味羨ましく思う。
直継も本当は、たった一人にアタックし続け、振り向いてもらう努力をしてみたいなんて思っていた。
ルンデルハウスが愛の言葉を囁くように、アカツキがさも当然のようにシロエの傍にいて守っていたり、セララが別のギルドなのににゃん太を見るだけで嬉しそうな表情を浮かべて駆け寄ってきたり。
他にも、アキバの街ではちらほらと恋愛に没頭する人間を見かけていた。
それは<冒険者>だけでなく、<大地人>でも見かけることは多い。
恋愛しようがどうしようが、それぞれの自由なのだ。
単純に、直継が逃げるための言い訳に過ぎない。
嫌われてしまったら、拒否されてしまったら、もう二度とあの笑顔を向けられなくなってしまったら……。
柄にも合わずいろいろな感情に翻弄されている自分自身を笑ってしまいそうになり、その直後に溜息をつく。
「何事も受け止める……のが俺、だよなぁ」
さっきまでの騒がしさから一転して静寂に包まれるこの空間で、独り言が虚しく響き渡る。
普段、戦闘では敵を引き寄せ攻撃を一手に引き受けていた。
それとはまた違うかもしれないが、どっちにしろ、目の前の問題から逃げるというのは男らしくないと思う。
性別なんてものは関係ないにしても、直継らしくないということは直継自身が一番よく知っていた。
「ほんと……とんでもないことになっちまった」
アキバの向日葵に想いを寄せるようになってから、直継自身は翻弄されっぱなしだと苦笑する。
思考は狂わされ、視線は彼女を追いかけるようになってしまった。
他の男の存在を気にしたりするのも、何だか子供じみているような気がする……と思っても、嫉妬は止まらない。
何歳になっても、恋愛というものをコントロールするのはできないものなのだ。
直継は小さく溜息をつきながら天井を仰ぐ。
「……でも、今じゃ、ないよな」
しかし、直継が完全に決意を固めることはできなかった。
それだけ大切にしたいと願う感情で、慎重に進めたいと思う事柄なのだと、これまた言い訳じみたことを考える。
これは自分からの逃げというわけではない。
今一歩踏み出せない理由は、この世界で生まれてしまった感情に対して不安を抱いているからだ。
「いつか、必ず」
いつかは、いつかだ。
直継はやる気のない決意を胸に抱く。
「いつか、思いっきりぶつかってみっか」
(そのいつかはきっと……現実世界に戻った時になっちまいそうだけどな)
半分は声にして、半分は心の中で呟いた。
今自身にできることと言えば、今抱いている感情を大切に育てることと、現実世界に戻っても異世界での記憶が失われないことを祈るくらいだった。
(本当は、何も考えず、素直に、ただ突っ走ればいい……それだけなのにな)
(2014.03.02)