ホワイトデーは甘すぎる

直継×マリエール


 その日までは意識しないように心掛けていたけれど、その日が訪れてしまえば話は別だ。
「……マリエ。何をそんなにそわそわとしていらっしゃるのですか?」
 ヘンリエッタに指摘されるまで自分は冷静だと思い込んでいたマリエールは驚いたように飛び跳ね、意識してしまうことにより挙動不審さは増していく。
「べ、別にそわそわしてへんしっ!」
「さっさと直継様に念話して目的の物を受け取ってくればよろしいのではなくて?」
「やから! 別に何もないって言っとるやん!」
 今もなお見ているこちらがじれったいと思うような態度を露わにするマリエールに、ヘンリエッタは小さく溜息をついた。
 叫べば叫ぶほど説得力が薄まっていくというツッコミは、恋する乙女にぶつけるのは無粋のような気がして、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

「まあ……今日がマリエにとって幸せな日になるように、ひっそりとお祈りしておりますわ」

 だから、溜息交じりにマリエールの健闘を祈ることくらいしかできなかった。


(なんやのヘンリエッタってば……気にせんようにしとったのに)
 ヘンリエッタと別れ一人街中をうろつくマリエールは、不貞腐れたかのように頬を膨らましながら不機嫌そうに歩いていた。
 目的地などない。本当はとあるギルドまで向かえたらよかったのだが、今日のマリエールにはそんな真っ直ぐでいられる自信など存在しなかったのだ。
 そういえば先月も、沈んだ気持ちでこのアキバの街を歩いていたことを思い出す。
 あの時は自分の不甲斐なさに絶望していたわけだが、今はお返しがもらえるかどうかを気にしているだけ。自分の情けなさなどは関係ない……はずだ。
 今日はどちらかといえば、先月の直継側だと思う。
 別にお返しが絶対欲しいというわけではない。
 マリエールが気になっているのは、先月渡したチョコレートが本命チョコだったことに直継が気づいているか、ということである。
 勿論、他の皆とは明らかに違う大きさで、チョコレート自体にも『LOVE』という言葉を書いた。
 それをどう受け取るかは直継次第ではあるが、もしも義理チョコだと思われたら……。
 ありえないとは思うものの、期待の一方で不安な気持ちも存在している。
 それに、本命と気付かれたからといって、マリエールの想いが成就するとは限らないのだ。


 誰にも気づかれない程度の控えめな溜息をついていると、マリエールにしか聞こえない念話を知らせる音が聞こえた。
 相手は今まさに悩んでいた直継本人からで、思わず心臓が跳ねてしまった衝動に心音が速度を増していく。
「も、もしもし?」
 切れてしまう前にと慌てて応答する。
『あ、マリエさん? 今大丈夫か?』
「う、うん! めっちゃ暇! 大丈夫やで!」
『そうか。じゃあよかった』
 念話越しの直継の声にドキドキと胸を高鳴らせながら、マリエールは変なことを口走らないようにだけ気を付ける。
『あのさ……その、先月の、バレンタインのお返し……渡したいんだけど』
 緊張した、どこか居心地の悪そうな声色がマリエールの耳へと届いた。
 もう一度心臓が跳ね、期待と不安が脳内でぐるぐると渦巻いていく。
 それでも何とか返事をしなければという使命感が生まれていき、マリエールはあまり待たせぬようにと返答した。
「あ! そ、そうなん!? 何か気遣わせてごめんな」
『いやいや! 俺がお返ししたいだけだし……。今どこにいる感じ?』
「えっと……街ん中ぶらぶらしとる。指定してもらえたらすぐ行けると思うわ」
『だからいないのか……』
「え!? うちのギルドおるん!?」
『あ、あぁ……』
「すぐ戻る! 待っといて!」
 やり取りは思ったよりもスムーズだったが、マリエール自身の動揺や挙動不審さは通常の比ではないものとなっていた。
(入れ違いやったん……!?)
 先程まで自分は<三日月同盟>のギルドにいたはずだ。
 アキバの街をふらつき始めてそれほど時間は経っておらず、本当にタッチの差であるのだと知る。
 またしても自分自身のタイミング云々の悪さに泣きたくなりながら、マリエールは慌ててギルドへと引き返すのであった。


「直継やんおる!?」
 ギルドへ帰ってくるなり、マリエールは乱れた息を整える暇もなくそう叫ぶ。
 その場にはヘンリエッタと直継だけが穏やか雰囲気で談笑しているようだった。
 こんな取り乱した姿を他のメンバーに見られるのはギルマスとしてどうかと思ったので、他に誰もいないことにホッとする。
 しかし二人の雰囲気は穏やかで温かく、何故かマリエールの心はずきんと痛む。救いは、その痛みが一瞬で消えてなくなったことだった。
「マリエ、おかえりなさい。タイミングの悪いお出かけでしたわね」
「悪かったな、マリエさん。まさか入れ違いになってるとは思わなかったんだよ」
 汗だくのマリエールを二人は優しく迎え入れる。
 そこでようやく息を整え始め、入れ違いになるようにヘンリエッタが席を空け、マリエールが空いた席に座った。
「では直継様、良いご報告をお待ちしておりますわ」
「ああ、ありがとな!」
「マリエ。私はアカツキちゃんのところまで行って参りますから、留守を頼みましたよ。他のメンバーもそれぞれ出かけておりますから。多分夕方までには皆戻るかと思います」
「お、おおう! 任しといて!」
 ヘンリエッタはそれだけを言うと、二人の元から去っていく。
 そして、完全に部屋からいなくなったことを確認した瞬間、ヘンリエッタの言葉の本質を知った。
(それって……二人っきりってこと!?)
 気付いたら最後。顔が一気に熱くなり、直継の顔をまともに見られなくなってしまう。
 直継も直継でいつもの騒がしさからは一転、いつも以上に静かにマリエールの隣に座っている。
 何か話さなくては……。
 そう思うのに、二人はなかなか最初の言葉が声にならないようだった。
「えっと……今日はおおきに。わざわざ来てくれて」
 そんな中、恐る恐るといった様子でマリエールの方から話しかける。
「あ、いや……俺も急だったし、その……悪かった」
「いやいやいやいや! うちもタイミング悪かったし……ごめんはなしやで」
「ああ! そ、そうだな! うん。じゃ、お互い様ってことで」
 謝罪大会が大々的になる前に、何とか収拾をつけてしまう。
 本来そういう話をしたいわけではなかったために、早々に終わらせておきたかったのだ。
 再び沈黙が訪れ、お互いにちらちらと様子を伺う。
 そんなことをしたところで、現状が変わることなんてない。それどころか息苦しい感覚が長引くだけだ。
 それはお互いに分かりきっていることではあるのだが、なかなか切り出すことができずにいた。

「ま、マリエさん」
 再び訪れた沈黙の先で、ようやく直継の方から声がかかる。
「お、おう! なに?」
 マリエールは突然名前を呼ばれて身体をびくつかせ、ろくに目も合わせることもできぬまま返事をする。
 視線を不自然に泳がせながら、直継の次の言葉を待つ。
「これ、お返し。今日はホワイトデー祭りだからな」
 そしてようやく渡されたものは、マリエールが今この世で一番欲しい、バレンタインのお返しだった。
 心のどこかで安堵する自分が出現する。それから、マリエールに襲い掛かっていた息苦しさから解放される。
「おおきに……おおきにな、直継やん」
 ずっとせき止めていた想いが溢れるかのように、感謝の言葉を何度も何度も口にする。
 今にも泣きたくなるほど嬉しいと思う自分が大げさだと分かっていても、マリエールはとてつもない喜びで胸がいっぱいになっていた。
 そんなマリエールを、直継はホッとした様子で見守っている。
 贈り物をする立場となると、やはり喜んでもらえるかどうかというのは気になるところだ。
 もしも気に入ってもらえなかったら、喜んでもらえなかったらと思うと、胸が痛むのも分かる。
「開けていい?」
「おう! 遠慮せずに開けてくれ祭りっ! ……と言っても、口に合うかは分かんねーけど」
 直継の言葉に、マリエールはほんの少しだけ首を傾げた。
 ようやくホッとしたのかと思いきや、直継は不安を押し殺すように無理して笑顔を浮かべている。
 その様子にドキドキしながら、マリエールは丁寧にラッピングを解いていく。

「……飴ちゃん?」
 目に入ったものは、たくさんの飴玉だった。
 ピンク色の包み紙がパッと見で数えきれないほど詰まっている。一見おかしなところはなく、一つ手に取って開いてみると、赤色の飴玉が姿を現した。口に入れるとリンゴの味がする。その味も普通に現実世界で食べる飴玉と変わりなく、素直においしいと思う。
「うまいで?」
 後で思えばもらったものを速攻で断りもなく食べるのはどうかと思ったのだが、その時は一刻も早く直継自身を安心させたい一心での行動だったので、あえて後悔はしないことにする。
「ありがとな。ただ問題が一つあってだな……」
 焦らすような直継の言葉に、マリエールはうずうずと落ち着かない気持ちが生まれ始める。
「えっとさ……実は、一個だけ、手作りが混じってて」
「一個?」
 数秒の沈黙の後に、気まずそうに直継は話し始めた。
「そう。あとはマーケットで出回ったもんだから安心して食ってくれ!」
「何で一個だけやのん? うち、直継やんの手作りならいくつでも」
「いや、俺のスキルが低すぎるのかなんなのかわかんねーけど……どうしても失敗しちまうんだよ。一個混ぜたものも、多分おいしくはないっていうか、甘すぎると思う」
「甘すぎる?」
「そうそう。で、一個くらいなら別にいいかなって思って……。全部まずいよりは、一個だけならって。一個だけでも、手作りを混ぜたかったんだ」
「そうなんや……めっちゃ嬉しい。おおきにな! 直継やん」
 いつも以上に満足げな笑顔を浮かべると、マリエールは何の気もなしに直継の腕に抱きついた。
 無意識のうちに豊満な胸を押し付ける形になったせいなのか、直継は驚きの反動で身体をびくつかせ声を荒げる。
「ま、マリエさん!?」
 真っ赤な顔をして焦る直継の様子が愛しくて、もっとからかってみたいという気持ちが生まれてきた。
「ええやんええやん? 嬉しい気持ちを表現したいだけやもん!」
「ちょっ! マリエさん!」
 抱きしめる強さを徐々に強くしながら、今もなお焦りを見せる直継をにっこりと見守る。
 本当はマリエール自身もちょっとだけ恥ずかしいし、触れる部分が酷く熱い。
 からかって余裕ぶっているのは強がりの一種であり、照れ隠しでもあるのだ。
「おおきにな! ほんまおおきに!」
「ああああああ! もう! 分かった分かった! だからお胸を押し付けるなって!」
「そないに照れんくてもええやん?」
「よくない!」
 沈黙で気まずい思いをしたことなど幻だったかのように、二人はいつもの調子でじゃれ合う。
 やっぱり触れた部分は熱くて、心音の加速は止められない。
 それでもいつも通りというのは、何とも心地よいものであった。

「んじゃ、俺はこれで」
 ひとしきりじゃれ合い、落ち着きを取り戻したところで直継が立ち上がった。
「え……」
 思わずマリエールも立ち上がりそうになり、驚いたように直継へ真っ直ぐに視線を向けた。
 触れていた……たとえ触れなくとも手を伸ばせばすぐにでも届くような距離も、今は遙か遠くのように感じる。
「俺は、それを渡したかっただけだから。んじゃ、また!」
 少しだけ歩みを進めたところで、直継はマリエールの方へ振り返る。
 直継の笑顔が瞳いっぱいに映り、その笑顔が眩しくて目を逸らしてしまいそうになった。それでもなお、視線は動かさずにじっと見つめる。
 視線が絡み合うと、直継は惜しむ様子もなくマリエールへ背を向ける。
「直継やん!」
 背を向けられた瞬間に、無意識でマリエールの身体はその背を追いかけていた。
 手を伸ばせば届くまでの距離まで近づき、直継は驚いた表情を浮かべながら再度マリエールへと向き直る。
「ん? どした?」
 不思議そうに尋ねる直継に、マリエールの言葉は詰まる。
 言いたいことは一つ。
 先月マリエールが渡したチョコレートの『LOVE』に対しての反応が知りたい。
 気付いたのか、気付いていないのか。
 ただそれだけでも知りたいと、それだけのための行動であることはマリエール自身も理解しているつもりだった。
「あ、えっと……」
 なのに、不思議なものだ。
 いざという時に肝心の言葉が出てこない。
 ただ単純に『うちのことどう思ってる?』と聞くだけでいい。
 だけどそれだけのことが、今のマリエールには何よりも困難なことに思える。
「き……気を付けて、帰ってや」
 結局、マリエールは気の抜けた声で、思っていることと違うことを口にした。
 へらっと笑顔を浮かべて、直継に触れようと手を伸ばした手は行き場を失い、咄嗟にぶんぶんと手を振る。
「おう! またな!」
 直継はにかっと爽やかな笑顔を浮かべ、今度こそこの場を立ち去る。
 扉はぱたんと虚しく音を立てながら閉じていき、直継が去ったという現実を突き付けられたようだった。
「……うちの、意気地なし」
 


 一人になり、直継からもらった可愛らしくラッピングされた袋を抱えてうずくまる。
 ただ渡されただけのイベントに、マリエールは大きく溜息をついた。
「……気付かれへんかったんかな……?」
 マリエールが気にしているのは、『本命チョコだったことを気付いてもらえたのか』『気付かれた場合の返事』の二つ。
 しかし、直継からはマリエールに対しての特別な言葉というものは全くなかった。
 それはつまり、『気付いていない』『フラれた』の二つに分かれると考える。
 マリエールのチョコレートは、完全に他の皆に渡したものとは違う特別なものであることは、一目見るだけで分かるようにしていた。
 そのことについては、アキバの街をふらふらしている時に思い出していたはずだ。
 だが、この展開については全く考えていない。
 全く考えていないというよりは、考えたくなかっただけなのかもしれないと思う。
「……フラれたんかな……うち」
 言葉にすると、胸の奥がぎゅっと締め付けられるように感じた。
 直継は優しい。それを痛いほど理解しているのはマリエール自身だ。
 優しいからこそ、自分を傷つけぬようにと言葉にしなかったのではないか。
 マリエールはそんな想像を膨らませていく。
 想像が膨らめば膨らむほどに胸の痛みは酷くなり、涙が零れ落ちそうになるのを必死で堪える。
「あかんあかん! フラれたって決まったわけちゃうし!」
 無理やり元気づけるように、誰もいない空間で叫ぶ。
 その叫びは虚しさが増すだけではないかという事実には気付かぬ振りをして、おもむろに抱え込んでいた袋から飴玉を漁り始めた。
 直継がくれた飴。
 一個だけ、手作りのものを入れたと言っていた、甘い甘いと言われる飴玉を、マリエールは懸命に探す。
 何十個も詰め込まれたピンク色の包み紙のその中に、一個だけ、異なる色の包み紙が混ざっている。
 緑色……マリエールがいつも着ている服の色を思い出させるような、そんな包み紙の色の飴玉を、マリエールはそっと取り出した。
「もったいないけど……」
 本当なら、いつまでもいつまでも手元に置いておきたい気持ちがある。
 だから、口の中に入れてしまうのは勿体ないと思っていた。
 全部が直継の手作りならよかったのに、意地悪なことに、一個しか入っていない。
「大事に食べれば、ええよな」
 覚悟を決め、マリエールは飴玉を口の中へ入れる。
「……あっま」
 思わず声に出てしまうほどに、直継の飴は甘かった。
 その甘さは一個なら耐えられただろうが、何個も食べるにはちょっと辛いように思える。
 ほんのりストロベリーのような味がするとも思う。
 しかし、甘すぎるという印象が強すぎて、味を堪能する暇もなかった。
 ……それなのに、どうして優しい味がすると感じてしまうのか。
 どんな様子で、どんな想いでこの飴玉を作ってくれたのだろう。
 それを考えると、愛しさと直継の優しさに涙が出てきそうになる。
「甘いで、直継やん」
 膝を抱え、顔をうずめる。
 ひとりぼっちの空間は、こんな自分を見られずに済むという安心感を与えるが、逆に誰もいないことが寂しい。マリエールは複雑な感情に押し潰されそうだった。


 そんな時だった。
 誰もいないはずのギルドに誰かいるらしく、開かないはずの扉は遠慮がちにゆっくりと開いていく。
「マリエ?」
 ひょこっと顔を出したのは、愛しの親友・ヘンリエッタだった。
「どうされましたの? 直継様は?」
「……帰った」
 ヘンリエッタからの質問にマリエールは力なく返事をする。
 しかし、一度言葉を口にすると止まらなくなっていった。……理不尽とも言えるような、怒りの口調で。まるで、責めるかのように。
「……帰った……帰ったんや! 何も言わんし、何もせーへんと!」
 マリエールは叫ぶように思っていることを口にする。
「この飴ちゃんだけ残して! このめっちゃ甘い飴ちゃんを!」
 叫びながら、直継が作ったたった一つの飴玉の包み紙をヘンリエッタに突きつけた。
 ただ他の飴玉とは色が違うだけの包み紙、中身はマリエールの口の中。
 その飴玉は一生口の中で転がるわけではなく、どんどん形は小さくなっていき、噛み砕かぬよう気を付けることくらいにしかマリエールにできることはなかった。
 ヘンリエッタは面食らったような表情でマリエールを見つめ、次に突きつけられた包み紙を手に取る。
 マリエールはひとしきり叫ぶと、スッキリしたのか、急激に血が上った脳内が落ち着いていく気配を感じていた。
 叫んだってこの現実は変わらないし、マリエールの気持ちが救われるわけでもない。
 今では、何故叫んでしまったのかと後悔し始めているところだ。
 直継自身は何も悪くはない。怒るなんて傲慢だ。直継はバレンタインのお返しをちゃんと持ってきてくれた。
 ただ、自分が虚しいだけだ。お菓子のお礼じゃなくて、マリエールはいつのまにか『好き』という気持ちに対しての返事を求めてしまっていたのだ。
 それに気づいてしまった時、更にマリエールは自己嫌悪に陥る。
 こんな醜い自分を知ったのがヘンリエッタだけでよかった。
 それだけが救いだと思いながらも、やはりへこむ自分を消すことはできない。

「マリエ。この包み紙、ちゃんとご覧になりましたか?」

 悔やみ始めた直後、ヘンリエッタが唐突にマリエールに問いかけた。
「なんの、こと?」
 意味を理解できないマリエールは、差し出された包み紙を不思議そうな目をしながら受け取る。
「ほんと、マリエはそそっかしいというかなんというか……。これでは直継様も報われませんわね」
「な、なんやねん! もう!」
 わざとらしく怒らせるような言葉を聞きながら、何の変哲もない……と思われる包み紙をよく調べ始めた。


 ……が、そう時間が経たない間に全てを知る。


 包み紙の裏側……真っ白のはずのその場所に、見落としのメッセージがあった。
 直継にしてはやけに小さく書かれた豆粒みたいな文字の大きさのメッセージが、マリエールの瞳いっぱいに映る。
 その言葉の意味を、理解できないほどマリエールもバカではなかった。
「それに、男性がお返しとして飴を贈る意味をマリエールは存じているのですか?」
 ヘンリエッタからの問いかけは、未だに続いている。
「意味?」
 意味に関しては全く考えたことのないマリエールは、包み紙のメッセージへの動揺を抑えきれぬまま、次の動揺の気配に焦り始めた。
「……まあ、直継様自身が選択した物かは分かりません。他の殿方に相談した結果、飴になったかもしれません。第一、その贈り物の意味なんて本来対してないのかもしれませんが……」
 話しながらマリエールの傍に寄るヘンリエッタは、マリエールの耳元で囁くように知っているとこを伝える。
 現実世界において、様々な意味が込められる贈り物の存在について、簡潔に、だ。

「…………なんなん」

 意味を知り、今までの自分が愚かに思えた。
 一人で舞い上がったり落ち込んだり、寂しくなったり、八つ当たりのように怒ったり……。
 しかし、彼の想いは確実にきちんと、マリエールが想像していたものとは別の形で、自身の手に渡っていたのだ。
「頼もしい殿方なら、もう一歩踏み出してもよいのではないかと思いますけどね……。というよりは、きちんとご自分の口から伝えればこんなすれ違いのようなことは起きないと思いますが。それほどマリエを大事にしたいというのか、単純に臆病なだけなのか……。とりあえずマリエは、直継様ときちんと向き合ってくださいね」
 最後にそれだけを言い残して、ヘンリエッタは部屋を後にする。
 再び一人になった部屋で、取り残されたマリエールは再び膝を抱えて顔をうずめた。


『マシュマロはあなたが嫌い、クッキーは友達でいましょう、飴は……あなたが好きです、という意味が込められている説を耳にしたことがありましてね』


 先程のヘンリエッタの言葉が脳裏をよぎり、飴の包み紙は直継の想いの塊のように思えてくる。
「も~~~~~! なんなんよ! も~~~~~~」
 それは先ほどから何度も口癖のように口にしている言葉だが、今度は直継に宛てた言葉ではなく、自分自身に対しての言葉だ。
 ここ最近……多分直継を意識し始めてからというもの、マリエール自身、自分の醜さや愚かさに何度も何度も嫌気がさしていた。
 直継自身は全く悪くないことでも、本人に言わないことをいいことに、好き勝手に八つ当たりのような言葉を口にしていたように思う。
 無意味に怒ってみたり、直継が誰と話していても関係ないのに、無駄に嫉妬してみたり。
 理想と現実の食い違いに泣きたくなったり、自身の情けなさに落ち込んだり……。
 恋愛をした自分は、今のところろくな目に遭っていない。
 マリエールはそんなことを考えながら、おもむろに顔を上げる。

 しかし、ここまでネガティブなことを考えてもなお、マリエールは全てが悪いことだらけだとは思えなかった。
 確実に楽しいことも嬉しいことも、幸せなことだって同じくらいあった。
 直継のために頑張れることもたくさんあって、他人である誰かをこんなにも好きになれる自分を誇りに思ったこともある。
 両想いになれたらどれだけ幸せだろう。
 そんな具体的でなくても、とにかく直継のことを思い浮かべるだけで幸せな気持ちになっていたのは事実なのだ。
 恋愛は苦しくて辛い。だけど、ただ相手のことを考えるだけで、傍にいるだけで、幸せになれることだっていくらでもあったのだ。


 もう一度、飴の包み紙を眺める。
 直継にしては小さな繊細な文字が、言葉が、手にしている包み紙が、ほとんど原型を留めていない口の中の飴玉が、口の中いっぱいに残る気持ち悪くなるほどの甘さが……全てが愛おしく感じ、今まで抱いてきた直継と自分自身に抱いていた苛立ちはいとも簡単に消え去っていく。
 ただ残るのは、甘さ、優しさ、愛しさ……そして幸福感。


「直継やん? ちょっと今時間ええかな?」
 いてもたってもいられないマリエールは、本能がままに念話をかける。
 相手は飴玉の送り主で、その送り主は素早く反応してくれた。
 やけに緊張に包まれた声がマリエールの耳に届き、それがまた愛しくて、気分がどんどん浮かれモードになっていく。
「もう一度、今から会ってくれへん? 話したいことあんねん」
 先月のチョコレートも渡せなかった情けない自分も、悪くもないのに直継を責める愚かな自分も、今はもうここにはいない。
 これから何度も醜い自分は復活を遂げて、何度もへこんで落ち込んで、得意の笑顔も浮かべることができなくなるかもしれない。
 それでも、絶対的に勝利を収めてしまうのは、恋心、なのだ。


「うん……うん、そう。今がいい。今やないとあかんねん……大事な、大事な話なんや。そっちに行くから、うん……うん」


 何度か会話を交わした後に、念話を切って部屋を飛び出す。
 駆け出す足は止まることを知らず、呼吸が乱れていることにすら気づかぬまま、ただひたすらに、今会いたいただ一人のために走り続ける。
 走っている間、ふと、先月渡したチョコレートに『LOVE』の文字を入れて正解だったと、勇気を振り絞った自分を褒め称えた。
 あれがなければ、直継からのメッセージなど存在しなかっただろう。
 怖かったけれど、勇気を出したからこそ、幸せを掴み取ったのだ。

「今! 行く! からな!」

 ちゃんと言えなかったことを伝えに。
 一緒に幸せになりたいと、お願いするために。
 直継のメッセージに対しての返事をするために。

 マリエールはただひたすらに、直継の元へと駆け出すのだった。



『俺も、マリエさんが好きです』


 その言葉も、気持ち悪くなるほどの飴玉の甘さも、きっとずっと忘れない。
(だって今日は、気持ちが通じる大切な一日になるんやからな)





(2014.03.16)