はじめてのお酒

湯神×ちひろ


 今、私は厄介な状況に陥っている。
「大体、あなたは無防備だしいい人過ぎるし、いろいろ心配になるんだよ。あなたの大学生活まで面倒見切れないんだからさ、もう大人なんだし警戒心を強く持って云々」
 謎の説教タイムは、何度もループした話題。
 少し前までは、まだ大人しかった彼の口は止まることを知らず、ガムテープがあるならば塞いでしまいたいくらいだった。


 ***


 時間は少し遡って、一時間ほど前。
 私と湯神くんは、居酒屋に集まっていた。
 おしゃれとは程遠い、どこにでもある普通の居酒屋だけど、湯神くんが『ここの焼き鳥はうまいんだ』なんていうものだから、気になって連れてきてもらったのだ。
 賑やかな店内だったけれど、わざわざ予約してくれたらしく、隅のテーブル席に通された。
 なお、私は本日初めての飲酒になる。
 もっといいタイミングがあったような気がしたのだけど、湯神くんだって気心の知れている友達の一人だ。
 変なことに詳しいし、もしかしたらお酒のイロハを教えてもらえるかもしれない。

 ……などと、安直なことを考えた私が悪かった。


「今日初めてお酒飲むから、オススメとか教えて!」


 好奇心ではやる気持ちを抑えながら尋ねた時の、湯神くんの表情は忘れられない。苦虫をかみつぶしたような、非常識な人を見るような軽蔑の眼差しのような、人として最低なことを聞いてしまったような、これまで見たこともない、なんとも言えない負の表情だった。
「親とか同性の友達と飲まないの?」
「えっ……なんかタイミングが……。それに、湯神くんとは気心知れてる仲だし」
「え?」
「ん?」
 どこか絶望した様子と、大きなため息。
「俺が悪い男だったら、あなた死んでたかもよ」
「えっ」
 そして、脅し文句が飛び出してくる。
「湯神くんは大袈裟だなぁ」
 冗談かと思い、私は軽く受け流すような返事をした。だけど、湯神くんの表情はますます悪化していくばかり。
「いや、冗談ではなく。なんか心配になってきたよ……あなた、変なサークルとかに誘われて、言われるがままに飲まされて悲惨な事件に巻き込まれそう」
「ちょっと……具体的に話すのやめようよ……」
「いや。脳天気な人間には、ある程度警戒心を植え付けておかないと。あなたに何かあったら……」
 やけに深刻に話す湯神くんに、私の中でちょっとずつ不信感が湧いてくる。
「私に何かあったら?」
 しかし、肝心なところで言葉が止まった。
 しつこいくらいに心配してくれるところを見ると、私のことをとても想ってくれているのではないだろうか。
 なんて考えてみると、ちょっとだけ嬉しくなってしまう。


「すみません! ビールください。この人にはカシスオレンジを」
 すると、通りすがりの店員を呼び止め、勝手に注文を始めてしまった。
「かしこまりましたー!」
「えっと……湯神くん?」
「あ。あと、焼き鳥盛り合わせと……ポテトサラダ。それと冷やしトマトを」
「かしこまりましたー!」
「湯神くん……???」


 以降、何故か無言を決める湯神くんと、少し気まずい私という図が生まれた。
 それから間もなく、勝手に注文されたドリンクや食べ物が運ばれてくる。
「よし、乾杯といこう!」
「えっ!? さっきの話は!?」
「それは後だ。酒が来たら乾杯と決まっているんだ」
「それくらいは分かるよ……」
 相変わらずなマイペースっぷりに苦笑いをしながら、ぎこちなくグラスをぶつけ合う。
 いろいろ問いたいことはあったけれど、少し脇に寄せて後で掘り返すことにしよう。
 そう心に決めて、初めて私はお酒を口にした。カシスオレンジは甘く、あまりお酒という印象を抱かない。
「おいしい! ジュースみたい!」
「あなたのはカクテルだからね。でも飲み過ぎには注意して」
 しかし、湯神くんは落ち着いたまま説教モードに戻ろうとしていた。
「分かってるよ。あ、そうだ。あとでそのビールも飲んでみたい」
「……あんまりいろんなお酒を飲むと、酔いやすくなるから気をつけた方がいいよ」
「えっ、そうなんだ。じゃあ後にするよ!」
 初めて知るお酒のイロハに、私は感心するばかりだ。
 湯神くんは何だかんだで飲み慣れているんだな。
 そう思いながら、二人でお酒を飲んでいた……。


 ***


 そして冒頭に戻る。
 説教も落ち着いたと思った矢先、湯神くんがビールを一杯飲み終えようとした辺りから、様子がおかしくなった。

 ちなみに私は早々にカシスオレンジを飲み終え、好奇心が抑えきれずビールを頼み、難なく飲み終えた辺りだ。
 もっとアルコールで酔うかと思っていたが、意外とお酒に強いのかもしれないとホッとする。

 だけど、そんな安堵も一瞬のことだった。
 様子がおかしい湯神くんは、冒頭の通り、何度も何度も同じ説教を繰り返すのだ。
 一向に口が止まる気配もなく、お酒を飲む前の説教具合とは違う。意味もなく無駄なことを延々と喋り続けている。

「もしかして、湯神くんってお酒弱いの?」
 思ったことをそのまま尋ねてみると、
「はぁ? 俺の頭がおかしいっていうのか?」
「そんな話誰もしてないよ……」
 だんだんと話が噛み合わなくなり、気が付けば説教モードに。

 内容は私を心配したものであることは分かっている。
 だから、変に拒絶するのも違うと思う。

 しかし、せっかくの初飲酒なのだ。
 少しくらい楽しみたいという気持ちを持つのはいけないことだろうか。


「ねぇ、湯神くん」
 勇気を振り絞って、話に割って入ってみる。
 店員さんにもらっておいたお水を手渡しながら、私は先ほど流された疑問を改めてぶつけた。

「私に何かあったら、湯神くんはどうする?」

 正常じゃない時に尋ねるのは反則かもしれない。
 でも、今なら普通では聞けない答えが返ってくるかもしれない。
 申し訳なさよりも好奇心が勝り、私はドキドキしながら返事を待つ。
 少し虚ろな目をした湯神くんは、ぐいっと水を飲み干すと、一言で答えてくれた。


「困る!」


 一瞬、頭がフリーズする。
「困るって……なんで?」
 全く理解できない回答に、ますます謎が深まるばかりだった。
「なんでもかんでも人に聞くんじゃない!」
「口うるさい上司みたいだよ……」
「誰が親父だ!」
「もういいよ……」
 しかし、これ以上は会話にならず、私は湯神くんの酔いが覚めるのを待つことしかできなかった。


 幸い、酔いが抜けるのが早いらしく、しばらくして復活はしたものの……彼にこそ酒を与えてはいけないのかもしれない。
 妙なことを学んだ私は、湯神くん用にウーロン茶を注文した。


(なんだか、説教されたこと全部湯神くんに言ってあげたい気分だよ……)


 湯神くんに何かあったら、私も困る。


(その「困る」気持ちが、同じだといいなぁ)

 
 夢物語みたいなことかもしれないけれど、ささやかな願望は私の心の奥底に小さく降り積もっていた。






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16巻のカバーのあの四コマで
「ちひろちゃんはビール飲んでるのに、湯神くんはなんかウーロン茶的なものを飲んでいる……?」
という疑問から、勝手に妄想を膨らませて書きました。


湯神くん→酒弱い(妄想)
ちひろちゃん→意外と酒豪(とまではいかなくても湯神くんより強くあってほしい)


真相は神のみぞ知る……。