それらしい雰囲気ではあった。
高校時代のクラスメート以上友達未満、だけど二人でよく出かけたりするなんていう謎の関係にもついに先日終止符を打ち、晴れて恋人同士になったのも理由に含まれるのは分かっている。
その行為に対して、負の感情はない。
自分が想像していたよりもずっと心が温かいと感じ、その幸福感を上回った感情は、驚きというものだった。
ああ、そうか。
付き合うってこういうことか。
ドラマでも、少女漫画でも、恋人同士になれば何かとふれあいが増えるものだ。
なのに、私は当たり前の行為が自分に降りかかることを、うまく想像できていなかった。
「……嫌だったか?」
驚きのあまりリアクションを忘れていた私に、彼は恐る恐る尋ねる。
いつもは自信満々の彼が、時折見せる困った表情。
私はその表情がとても好きなのかもしれないと思いながら、心の中で「そんなことを考えている場合ではない」と現実を直視する。
私は、今日初めて、湯神くんとキスをした。
改めて考えると、ものすごいことだと思う。
互いに互いを好きになって、名前のなかった関係に名前がついて、誰ともしたことのないキスをしてしまった。
初めてのキスはなんとかの味なんて言うけれど、味なんて記憶にない。
「や……やわらかかった……」
本能のまま口にした言葉は、「嫌じゃなかったよ」という無難な返事を見事に書き換えてしまった。
目の前で不安げだった湯神くんは、私の頭のおかしい返事に面食らった様子である。
「それは……よかったな」
会話をしているはずなのに、何故か噛み合っていないように感じるのは何だろう。
何がよかったのかも分からぬまま、再び無言の時間が訪れる。
正直、どうしていいのか分からない。
世の恋人たちは、一度目のキスの後、何をしているのだろう。何を語らうのだろう。
私たちを結びつけてくれた世界に感謝したりするのだろうか。
「悪い。恋人同士になるということについて、不勉強だった」
照れているのか、いつの間にか私に背を向けていた湯神くんが、反省の言葉を連ねていく。
「そもそも、あなたがOKするとは思わなかったし……」
「えっ!? それはこっちの台詞だよ!? 湯神くんが私を好きでいてくれてるなんて思わなかったし……」
この会話は、恋人同士になった時に散々言い合ったことだ。
飽きるほど言い合った話題を未だ口にしてしまうのは、ある種の現実逃避なのかもしれない。
このままでは、ファーストキスの記憶が消えてなくなってしまいそうだ。
「あのさ……もっかい、しない?」
背を向けている湯神くんの腕辺りの服を控えめに掴んで、自分でもびっくりなことを言う。
湯神くんは勢いよく振り返り、信じられない物を見るような、だけどどこか嬉しそうな……言葉では言い表せない表情をしており、何故か私は噴き出してしまった。
「あはは、そんなにキスしたかった?」
「いや……いきなり何を言い出すのかとびっくりしただけだ」
「じゃあ、したくないの?」
「そうは言ってないだろ」
珍しく私が湯神くんをからかっていると、どこかムキになった様子で私に食いかかってくる。
私も、恋愛には疎い。
どうしていいのかも分からない。
一度したキスの仕方だってまだよく分かっていない。
でも、慣れるのもそれはそれでなんだかなぁ、と思う。
互いのぎこちない愛情表現が、一生懸命さを描いているようで愛しく思うのはおかしいだろうか。
「じゃあ、もう一度」
私の両肩にそっと手を添える湯神くんが、ゆっくりと顔を近づけてくる。
どこか緊張の面持ちで、その緊張が湯神くんの手から流れ込むように、私の身体にも伝染していった。
自然と瞼を閉じ、触れあうまでの一瞬が永遠に感じる長さだと思っているうちに、もう一度それは触れあう。
相変わらず味は分からなかったけれど、やっぱりそれはやわらかかった。
離れるとすぐに名残惜しくなり、言葉を紡がずに表情で催促をしてしまう。
(恥ずかしいけど……好きかもしれない。湯神くんとキスするの)
心の中でそんなことを考えながら、私は三度目のキスに満足するのであった。
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とりあえずキスする話を書きたかった……(お題29番より)