湯神裕二と綿貫ちひろは恋人同士である。そして、同じ家に住む者同士でもある。
正直なところ、俺が誰かと付き合うだなんて思いもしなかった事態だ。
綿貫ちひろとの関係は高校生で終わるはずだったし、偶然彼女の家に訪れた後だって、まさかあんなに執着することになるとは想像もしなかった。
気が付くと彼女のことを考えていて、思い描いていた将来像があっさりと書き換えられていく。
ひとりでも生きていけると思っていた。これまでと同じように、楽しく生きていく自信があった。
――だけど、隣に彼女がいたら人生がもっと楽しくなる確信を得て……自分の奥底に眠っていた感情と出会う。
***
「いかん。俺としたことが……現実逃避していた……」
はっと我に返った俺は、今置かれている自身の状況を思い出していた。
綿貫ちひろとの同居生活が始まって二日目の午前中。
事前に作成した家事当番表に沿って、各々が行動に移していた。
彼女は昼食を調達するため買出しに、俺は洗濯を行うために洗濯機の前にいた。
洗濯など、洗濯物を放り込み、洗剤を入れて洗濯機を回す。完了後、洗濯物を干すだけの簡単な仕事だ。家事の中では比較的に簡単な部類だと思っていた。
……そう、今この状況を迎えるまでは。
中盤まで難なく洗濯の工程をこなしていたが、最終段階でつまずいてしまう。
「……」
恐る恐る、洗濯物をかごへ移していく。
見慣れた自分の洗濯物と、見慣れない彼女の洗濯物が無造作に絡み合ったそれを見て、思わず言葉を失った。
……これは、俺が担当してはいけなかったかもしれない……。
深く考えずに家事当番を決めてしまったが、いざ実行に移してみると後悔しか湧いてこない。
勿論、家事当番は彼女からも承諾を得ている。おそらく、彼女も俺と同様に深く考えていないのだろう。
「どうしたものか……」
小さくぼやいたところで現実は何も変わらない。
意を決して、まるでくじ引きを引くかのように、かごから洗濯物を引っ張り上げる。
「うぐっ……」
当たりなのかはずれなのか……運がいいのか悪いのか、俺が引いてしまったのは、よりにもよって女性物の下着。
実家にいた頃、母親や妹の下着など何度も目にしていたので、今更こんなことで動じるわけがないと思っていた。
しかし、それは身内だから許容できることであって、恋人になったばかりの彼女が含まれるにはある程度の時間が必要となる。将来的に身内に含まれるであろう未来は思い描いても、同居二日目ではまだその道のりは遠い。
「……意外とあるんだな……」
ふと、無意識に目に入った下着のタグを見て、ぽつりと呟く。
記載されているアルファベットを確認し、思わず指折り数える。
「何をやってるんだ俺は!」
誰もいない脱衣所で、彼女の下着をかごに戻しながら声を荒げた。
「俺はただ、洗濯当番としての使命を全うするだけだ! 今後もこういう事態はいくらでも訪れる! ここで怖気づいてはいけない!」
むなしく響き渡る決意のようなものが、ぺらぺらと早口で飛び出していく。
妙な疲労感と、いけないことをしているような罪悪感と、前向きに励ます自身がごちゃ混ぜになって俺の中で戦っていた。
勝者は果たして誰なのか……と思ったのも束の間、別の自分が突然乱入し、思考は呆気なく別の自分に支配されていく。
無意識のうちに先ほど手にした下着を手に取った俺は、彼女が身に着けている姿を想像していた。
少し恥じらいながらその姿になったのか、はたまた偶然にも着替えの最中に出くわしてしまったのか……。
目を閉じ、天を仰いで想像力を働かせる。
「どうでもいい! そんなこと!」
下心丸出しの自分に完全支配される寸前で、冷静な自分が反撃に出た。
邪な気持ちにとらわれてしまった俺は、もう一度下着をかごの中へ放り込み、邪念を振り払うように壁へ何度も頭をぶつける。
乱れた呼吸を整えるために何度も深呼吸をし、自身の使命感を思い出す。
「ただいま~」
刹那、玄関先から聞き慣れない彼女の声とセリフが耳に入った。
施錠する音が聞こえ、彼女の気配が近づいてくるのが分かる。
「あれ? これから干すの?」
膨らんだエコバッグを肩にかけていた綿貫ちひろが、脱衣所で立ち尽くしている俺に話しかけてきた。
「あ……あぁ。まあ」
なんとも歯切れの悪い返答にむしゃくしゃする。
「そっか。じゃあ手伝うよ」
無邪気に微笑んだ彼女はその場に荷物を置くと、二人分の洗濯物が入ったかごを持ち上げた。
「重たいだろ」
「平気だよ~これくらい」
能天気な彼女にも妙な苛立ちが湧き上がり、様々な自身との大乱闘を思い出して馬鹿らしくなる。
「あのさ」
物干し竿の前にかごを置いた彼女の手首を掴むと、ひどく驚いた様子の彼女と目が合った。
「ど、どうしたの?」
当然の問いかけに、意外にも俺はすんなりと次の言葉を紡いでいく。
「洗濯物、俺と一緒に洗って大丈夫だったか?」
だが、伝えたかった言葉とは全く異なるものが飛び出していた。
「ほら……あなたも父親と一緒に洗濯しないでとか思うタイプかもしれないと思って」
「え? 思ったことないけど……」
素っ頓狂な話の流れに、彼女は呆気に取られている。
「それに別々に洗ったら手間だし、水道代とかもったいなくない……?」
正論を浴びせてくる彼女は、いまだに無自覚のまま首を傾げていた。
「いや、その通りだ……その通りなんだが……いいのか? 自分の洗濯物が俺に見られても」
俺はかごに視線を移し、じっと女性物の下着を見つめる。
「あー……」
ようやく気付いたらしい彼女は、小さなうめき声をあげた。
何故かしてやったりな気分になり、羞恥に染まりかけた彼女の表情に謎の優越感が芽生える。
だが、それも一瞬のことだった。
「……うん……そうだよね、やりづらいよね。うん。私も買い物に行ってる時にすごく考えてた……」
てっきり何も考えていないと思っていたが、俺のあずかり知らぬところで考えていたらしい。
「でもまあ、湯神くんは恋人なので……いいかなって」
何がいいのか明確には言葉にしないものの、真意が理解できないほど鈍感ではない。
彼女は彼女なりに考え、そう結論付けたのだ。
「そうか」
それだけを言うと、何度もかごから出し入れしていた彼女の下着を改めて手に取り、綿貫ちひろとしっかりと向き合った。
「干し方、教えてくれないか」
俺は俺で、きちんと向き合わなければならない。
きっと洗濯以外にも難題に直面するかもしれない。
まだ恋人同士になって日は浅く、同居は二日目なのだ。
俺たちはその度に大げさに悩みながら、少しずつ歩み寄っていく。
これは俺たちが奮闘する物語の……まだまだ序章に過ぎなかった――。
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冷静になって、何で湯神くんに「意外とあるな」なんて言わせたんだろうと天を仰いでいます。
(同人誌「同居にまつわるエトセトラ」設定のアフターストーリー/恋人同士/同居)