恋の病につける薬なし

湯神×ちひろ


 付き合って三年ほどの月日が過ぎた。
 大学生だった私たちも就職し、社会の荒波にもまれ、時には愚痴をこぼしたり心折れそうになりながらも、新しい環境に慣れることに必死だった。
 意外にも湯神くんは一般的な会社に就職しており、着実に仕事での成果を上げているようだ。なんだかんだでそつなくこなしそうだし、壁にぶつかるとするなら、人間関係の方かもしれない。
 一方の私は、仕事での失敗を引きずったりすることもあるのだけど、

「会社を出たら仕事のことは忘れた方がいいよ。どんなに考えてもどうしようもないし、残業代が付くわけでもないし。翌日反省すればいいんじゃないか」

 相変わらずの湯神くん理論で、なんとか前を向いている。


 そんな社会人カップルのとある食事時。
 花の金曜日の夜、スーツを身にまとった私と湯神くんが行きつけの居酒屋で近況報告をしている時だった。

「そろそろ一緒に住むか」

 何の脈絡もなく、湯神くんは生ビールを飲みながら言い放った。
「ん?」
 聞き間違いかと思い、私は首を傾げる。
「この間、いい感じの物件があったんだよ。予定が空いていたら一緒に見に行こう」
「ん?」
 宇宙語でも話しているのだろうか。
 だけど、そんなことを考えているのは私だけだろう。
 そんな夢みたいな提案を、しかも湯神くんから持ち掛けられるなんて思ってもみなかった。
 時間差でじわじわと喜びが押し寄せてきて、思わず両手で顔を覆う。

「な、なんだ!?」
「これ……夢じゃないよね?」
「大丈夫だ。俺でさえまだ酔ってない。あなたはちゃんと覚醒してる」
「何の話……?」
「あなたが何を言ってるんだ」
「だって……」
 右手を少しだけ開いて、指と指の間から湯神くんを覗き見る。
 少し呆れたような顔をしていて、冷めかけた焼き鳥を豪快に頬張っていた。
 私はというと、今もまだ気持ちがふわふわしていて落ち着かない。
「あの、おひとり様至上主義の湯神くんが、二人暮らししようだなんて……」
 なんだかむずがゆくて、再び視界から湯神くんを追い出すように顔を隠す。
 今の私の顔は、きっと真っ赤になっていることだろう。
 それは飲酒のせいじゃない。
「まあ、それは俺が一番驚いてるよ」
 やけに落ち着いた声色で語る湯神くんが、妙に大人びて見える。
 見えると言いつつ、今は視界を覆っていて姿なんて見えないけれど。

「ああ~~!! もうっ!」
 言葉にできないくらい、たくさんの感情に押し寄せられる。何かがぷつんと切れた私は、おもむろにビールを飲み干した。
「もうっ!! 好き!!」
「は?」
「なんかもう~湯神くんが好きすぎて~」
「急に壊れるのやめて」
「正常! 素面! 私は元気!」
「何がどうしたっていうんだ……」
「愛が! あふれている!」
「というか、俺は一緒に住もうって話を……」
「明日不動産屋に行くんだよね!? 行こう!」
「明日とは言ってないけど……じゃあ、明日で」
「好きっ」
「急に壊れるのやめて」


 付き合って三年ほどの月日が経つと、変わっていくものがある。
 湯神くんの価値観だったり、私が躊躇いなく好きと言えたり。
 それはとても不思議なようで、だけど当然かもしれないことでもあって。
 喜ばしい気もするし、どこか寂しい気もする。


 うまく言葉では言い表せなくて、もどかしかったりもするけれど……まあ、それはそれでいいのかもしれない。


「なんだ?」
 感慨深い気持ちに浸っていたせいで、どうやら黙り込んでいたらしい。
 じっと見つめた先にいる湯神くんは怪訝な表情を浮かべている。
 さっきは酔っていないと言っていたが、頬が赤く染まっているのを見ると、気づいていないところで酔い始めているようだ。
「ううん、好きだなぁと思って」
「まだ壊れてるのか」
「じゃあ~湯神くんが直してよ」
「これだから酔っ払いの相手は嫌なんだ……」
「これだから私に対抗して限界超えて酔っぱらう人を介抱するのは嫌なんだ~」
「……それは昔の話だろ」
「うーそ。ほんとは嫌じゃないよ、湯神くんを介抱するの」
 ほおづえをつきながら、愛しさのあまり少しだけ表情を緩ませる。
 今の私の顔がどんな風になっているか分からないけれど、少しは想いが届けばいい。
 ……たぶん、酔って忘れてしまうだろうけど。


 そして……本当に介抱することになってしまったのは、もう少し先の未来のことだった。





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「同居にまつわるエトセトラ」を書きながら、思いつくがままに書き殴った没ネタでした。(お題26より)