「近くに漫画喫茶があるな。あそこで夜を明かすか……」
駅の近くに建っている漫画喫茶を指さした湯神くんに、私は何度か瞬きをする。
「そういえば私……漫画喫茶って行ったことないかも」
「なんだって!?」
大げさに驚いている湯神くんは、アルコールのせいで変なテンションなのだろう。
「とりあえず行くぞ!」
気が付くと予定が決定となり、マイペースに歩き出した湯神くんの後を慌てて追いかけた。
「まあ、行く当てもなかったし……いっか」
いろいろあって、私の身体は休息を欲している。路頭に迷うよりはずっといいだろう……そう言い聞かせながら、私たちは漫画喫茶へ入店した。
***
しかし、初めての漫画喫茶は大変ハードなものだった。
「ただいま込み合っておりまして、ペアシートでしたらすぐにご案内できますが……」
申し訳なさそうにそう告げた店員に、湯神くんの顔が葛藤で歪んだ。
受付に辿り着くまで、ぺらぺらと個室で過ごす漫画喫茶の素晴らしさについて聞かされていた私も少し残念な気持ちを抱くが、路頭に迷うよりはマシだろう。
「私は全然、ペアシートでもいいけど……」
どんなものかよく分からないが、別の滞在先を探す手間をかけるのは気が引けたので、そっとお伺いを立ててみる。
苦虫を噛んだことはないけれど、きっと今、湯神くんが浮かべている表情がそうなのだろう。勝手な妄想をしながらくすくす一人で笑っていると、湯神くんは湯神くんで勝手に話を進めていた。
「あなた、とりあえず会員登録して」
腹をくくったらしく、ペアシートでの滞在が決まった。
促されるまま、会員登録のための申込用紙に必要事項を記入していく。身分証を見せ、無事に登録は完了。
「では、ここを真っすぐ行っていただき、右の一番奥がブーストなっておりますので。ごゆっくりどうぞ」
店員が簡単な場所の説明をしながら、私たちはブースの番号が記載されたバインダーを受け取って、その場所を目指した。
「思ったより……狭いんだね」
声を出すのも躊躇われるような静寂の中、フラットタイプのコンパクトな空間に思わず本音が漏れた。
「いつも一人だったから、俺も初めてだが……これは……」
湯神くんの表情には、どこか気まずさを感じる。
とはいえ、ここまで来てしまえば後戻りなどできない。
「よし」
私は意を決して靴を脱ぎ、奥側に荷物を置いて座った。
湯神くんも同じように、空いたスペースへ腰かける。
落語の会場の席で隣同士に座るよりもずっと近くに感じる距離が、妙に心臓に悪かった。静かなのが余計に落ち着かない。
「寝るなり漫画を読むなり、好きにしてくれ。俺は寝るぞ」
「うん、おやすみ……」
備え付けられたブランケットの一つを手渡され、もう一つは湯神くん自身にかけられる。
アルコールを摂取したことにより相当眠かったらしい。しばらくすると、隣から小さな寝息が聞こえてきた。
***
本当に、ここまでいろいろあった。
私はそのあれこれを思い出しながら、しばしボーっと虚空を見つめていた。
……どうしても、ぼんやりせざるを得ない状況に立たされてしまったのだから、仕方のないことだった。
これからどうしようか。店内を少し探検したい気もするし、寝てしまってもいいかも……などと考えているうちに、器用に座ったまま眠っていたはずの湯神くんが、バランスを崩して私の肩にもたれかかってきたのだ。
「うぅ……」
もはや、私の選択肢は一つしかない。せめて入り口側に座っていればなんとかなったかもしれないが、奥側に座ったのが運の尽きだった。
気持ちよさそうに眠る彼を起こそうという選択肢は、最初から存在しない。
「この状況でよく寝られるなぁ……」
夢の中にいる彼には届かないうえ、ほとんど物音がしない空間だから私の呟きに意味などない。
一度意識したら最後。
おそらく、これは冷静になった者が負ける。
そして敗者となってしまった私には、湯神くんと同じように眠りにつくことは不可能だった。
ブランケットの手触りを確かめながら、ぼんやりと考える。
「こんなこと、『普通の友達』ともしたことないんだよなぁ……」
漫画喫茶で夜を明かすのは、今日が初めてのこと。
友達とも認められず、恋人でもない私たちのふわふわした関係だからこそ、普通の枠を飛び越えた出来事が待ち構えているのかもしれない。
しかし、考え事に集中しようとしても、隣で眠る湯神くんがいちいち邪魔をしてくる。
すぐに敗者であったことを思い出してしまい、行く当てを失った視線は天に向かった。
(本当は寝顔とか見たかったけど……)
密かな欲望は、状況悪化防止と引き換えに封印されていく。
……湯神くんの体勢がさらに崩れてしまったら……。
その先を想像する勇気もなく、目を瞑って眠気の訪れを静かに待つ私なのでした。
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将来同人誌で発行したい話です。2つ目と3つ目は同人誌で!