素直になれない

湯神×ちひろ


「誕生日おめでとう」

 それは、何度目かの誕生日のことだった。
 別に期待していたわけではないし、かといって何もないわけでもないだろうなどと複雑な気持ちを抱きながら、誕生日と付くだけのただの日常を過ごした。
 大学に行き、バイトに行き、晩ご飯はなんだろうな……なんて考えながら家に辿り着いてみたら、意外にも湯神くんが出迎えてくれたのだ。
「えっ…………えっ」
 うまく言葉にできないのは、湯神くんに祝ってもらう現実が頭の中に描けないせいなのかもしれない。
「とりあえず、家に入ったらどうだ?」
 いつも通りの湯神くんが、私の腕を掴んで促してくる。
「あ、うん。入ります」
 急いで靴を脱ぎ、引きずられるように家の奥へと進んでいく。

「わぁ」

 テーブルに、小ぶりだけどちゃんとホールのケーキが用意されていた。苺が乗っかっているベーシックタイプ。
 そこに二本のろうそくが立てられ、メッセージが書かれたチョコレートの板も飾られている。
「ありがとう! 湯神くん!」
 そばに置いてあるピザはおそらくバイト先から持って帰ってきた物だろうけど、わざわざケーキまで用意してもらったのは予想外だった。
「あれ……」
 少し落ち着いたところで、私はあることに気が付いた。

「あのさ、湯神くん……ケーキ、どうやって買ったの?」
「は?」

 先ほどまでどこかどや顔の湯神くんが、呆けたような表情を見せる。
「それは……ケーキくださいって」
「そうじゃなくて、このプレートだよ!」
 私が言いたいのは、何もそんな当たり前のことではなかった。
 チョコレートの板に書かれたメッセージには、『ハッピーバースデー ちひろちゃん』と書かれてある。
「なんて言って、これ書いてもらったの?」
「それは…………」
 あからさまに気まずそうな表情を見せると、湯神くんは私から視線をそらして皿の用意を始めだした。
「ねぇってば~。教えてよ~」
 だって、まさか『ちひろちゃん』なんて書かれているとは思わないだろう。
『ちひろちゃんでお願いします』なんて頼んでいる湯神くんを想像しただけで面白い。

「はっぴーばーすでーちひろちゃん」

 不意に、湯神くんが明らかに棒読みでメッセージをそのまま読んだ。
「フルネームじゃなんだからって店の人に言われて、仕方なくだよ……」
「えぇ、そうなの?」
 それでも、どんな顔をしてケーキを購入したのか、興味津々な私。
 というか、これを機に互いの呼び方を変えるのもありなのではと思い始めていた。
「じゃあ、今日からちひろちゃんって呼んでみて」
 提案してみると、あからさまに嫌な顔をしてくる。本当に顔に出やすい人だな……。
「じゃあ、ちひろの『ちひ』を取って『ろ』って呼ぶよ」
「逆に呼びづらいでしょ」
「じゃあ言わせてもらうけど、あなたは俺を下の名前で呼べるのか?」
「裕二くん」
「ぐっ…………」
 日頃からこのような状況にいつ陥ってもいいように、脳内トレーニングしていた甲斐もあって、すんなりと名前を呼ぶと悔しそうな表情を浮かべて歯を食いしばる湯神くんがいた。
「……まだしばらくは、フルネームで呼ばせてもらうよ」
 結局、呼び方は改善できない様子で、白旗を揚げた湯神くんは小さくそれだけを述べると、今度こそお皿を用意し始める。

「……フルネームで呼ぶ方が珍しいと思うけどなぁ」

 ぽつりと呟いた声は幸いにも湯神くんの耳には届いていないらしく、この話題はここで終了となった。
 いつかはちゃんと呼んでもらいたいけれど、ドラマやアニメの夫婦が「あなた」とか呼んでいるのを想像すると、結局名前で呼んでもらえないんだろうな……。
 そう考えて、ちょっぴり寂しいようななんとも言えない複雑な気持ちを抱きつつ、せっかく祝ってもらえる誕生日を楽しみたいなと思う私であった。





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恋する100のお題 092:素直になれない
(同人誌「同居にまつわるエトセトラ」設定のアフターストーリー/恋人同士/同居)
めっちゃ照れながらもケーキ買ってきて欲しい……。