大人げない話

湯神×ちひろ


これは、今思えば大変大人げない話である。


***


「おつかれさまでしたー」
 バイトの時間が終わり、俺は帰路についていた。
 これから家に帰って、家の掃除をする予定がある。
「トイレと風呂……風呂が先か。あとは……ゴミをまとめて、明日出せるようにして……」
 ぶつぶつと呟きながら、家に帰った後のシミュレーションを行う。
 俺に課されたミッションは三つ。トイレ掃除、風呂掃除、ゴミの片づけだ。
 今日は綿貫ちひろが夕飯係のため、その間にどれか一つを片付け、夕飯後に残りを片付ければいいだろう。
「完璧だな……」
 小さく笑いながら、ご機嫌な気持ちで歩いていく。
 明日の大学は二限からだし、少々夜が遅くなっても問題ないだろう。明日は俺が夕飯係なので、何を作るか考えておいてもいいのかもしれない。
「無敵すぎるのでは……?」
 自身に酔いしれながら、先ほどよりも足取り軽く……いや、待ちきれない俺は走り出していた。


***


「ただいま!」
「おかえり~!」
 ご機嫌モードで帰宅すると、綿貫ちひろもまたご機嫌モードで出迎えてくれた。
 なんだろう……卵を割ったら黄身が二個入っていたのだろうか。
「バイトおつかれさま」
「あ、あぁ」
「夕飯できてるよ!」
「もう!?」
 ニコニコ笑顔の彼女は、どや顔をしながらご満悦である。彼女のご機嫌の理由が分かると、出迎え方にも納得がいく。
 しかし、ここにきて一つ俺の予定が狂ってしまった。……まあ、バイト終わりで腹ペコだから、ちょっとの狂いは致し方ないだろう。
 少しモヤモヤしたが、早めに夕飯を食べ、風呂掃除を先にやっておけば、彼女が風呂に入っている間に残り二つのタスクをクリアできるはずだ。
 脳内に作ったTodoリストを書き換えると、まだ今日はやり直せることに気づき安堵した。
 だが、次の言葉ですべて狂ってしまうことになるとは、想定していなかった。

「ねぇ、聞いて~。今日ちょっと時間あったから、掃除しといたよ!」
「……なんだって?」
「湯神くんバイト大変かと思って、トイレとお風呂掃除しといたんだけど」

 俺はすっかり忘れていた。
 彼女が変なところで、とんでもないお節介を焼くことを。

 この世界ではきっとここで礼を言うべきところなんだろうが、今の俺にはそれよりも怒りが勝った。
「おい……なんのための当番表だ……?」
 ふつふつと湧き上がる怒りが、ふるふると俺を震わせる。
「え?」
 きょとんとした彼女はよく分かっていないようで、まだピンとすら来ていないようだった。
 その様子がまた俺を苛立たせる。
「あなたが俺の分まで家事をやってしまったら、どんどん損するのはあなたなんだぞ」
「えっ、何!? 湯神くんに喜んでもらおうと掃除してあげたのに……」
「それ! してあげたってなんだ! 俺は頼んでないぞ!」
「何よそれ! ちょっとくらいお礼言ってくれてもいいじゃない~」
「いや! 俺は言わん! こっちにはこっちの事情があるんだ! 俺の予定が台無しだ!」
「ひどい~~~」
 俺は俺で意地があり、綿貫ちひろは泣きはしないものの俺の言葉に食らいついている。
 そう遠くない未来に、子どもじみた自分自身に頭を抱えてしまうのだが、冷静さを欠いた今の俺にはそんな余裕など微塵もないのだった。

「だが、夕飯は食べる! 冷める前にな!」
「湯神くんって、高校時代からちっとも変わってないね……」
「なんだって?」
「なんにもないです~」
 一瞬呆れられた気がしたが、あまり気にしているとキリがないので、さっさと夕飯が待つリビングへ移動することにした。


 夕飯は、ハヤシライスなるものとサラダが並んでいる。
 明日は俺が夕飯当番なのだが、鍋を見ると明日の分を作る必要がない大量に作られており、これもまた俺の癇に障った。
「いただきます」
「いただきます」
 お互いに所定の位置につき、二人で手を合わせる。
 その後は会話もなく、黙々と食べることに専念した。

(しかしこの人……なんかいつも通りだな)

 俺が一人苛立っていても、目の前で呑気に飯を食べる綿貫ちひろはいたっていつも通りを貫いていた。
 本当に怒っている理由を分かっているのか分かっていないのか、はっきりしない様子がさらに冷静さを奪っていく。
 確かに最初は、自分の予定を崩されたことに腹が立っていた。
 しかし、徐々に彼女が一人損を被っていることに気づいて、そればかりが気になってしまっている現状である。
(このままだと、当番表がすべて綿貫ちひろになる日も……)
 そんな思考に辿り着いた時、俺はぶんぶんと首を振った。
(いつの話だ! 来ないぞ!)
 そんな不確定な未来など来ない。俺は今の話がしたいだけだ。
 当番表を作り、二人で分担してやっていこうという決め事を守りたいだけの話である。


「湯神くん、まだ怒ってるの?」
 すると、食べ終わったらしい綿貫ちひろがお伺いを立てるかのように声をかけてきた。
「怒っている……が、その理由を分かっているのか?」
「分かってるよ。よかれと思ってやったことが癇に障ったんでしょ?」
「言い方」
 彼女が理解できたことは分かったが、ストレートに言われると、何故か胸が痛い。
 明るく言い放っているが、もしかしたら一番怒っているのは彼女かもしれないと思うと、少しだけぞっとする。
「よく考えたら、自分の当番なのに勝手にやられてたら迷惑だよね。ありがた迷惑? というか」
「そこまでは言ってない」
「でも、そういうことだよね。もし食事当番でブッキングしちゃったら、食材が余っちゃうところだったし」
「まあ……そうなるな」
 先ほどとは立場が逆になったような気分で、どんどん言葉のナイフで攻め立ててくる彼女に俺はサクサクと刻まれていく。
 その中に怒りが含まれていて、だんだんと生まれた余裕が俺の冷静さを戻してくれるような気がした。

「ごめんね、いろいろ気が利かなくて」

 とどめが刺されたところで、俺の完敗が決まった。
 にっこりと笑う彼女に果たして謝罪の意思があるのか分からないが、この流れは完全に敗北の流れだった。
 冷静さが戻ってくると、なんとも大人げない自分自身と対面する。

「……俺もムキになって悪かった。だが、当番表がある以上、守ってもらうからな」
「分かってるよ。気を付けます~」
「本当だろうな」
「もう怒られたくないもん」

 そう言って立ち上がった綿貫ちひろは、俺の分の食器もまとめて流し台に置き、また所定の位置へと戻ってくる。
「洗い物は俺がやっておくから」
「ありがとう~」
 本来ならこのやり取りですべて片付くのだが、ここに辿り着くまでに相当遠回りしてしまった。

(俺ももう少し柔軟に対応できればいいんだけどな……)
 だが、そこに辿り着くにはまだまだ時間がかかりそうだった。





---------------
(同人誌「同居にまつわるエトセトラ」設定のアフターストーリー/恋人同士/同居)
絶対こういうちっさいことで怒り出すだろうなって妄想して書きました(笑)