柊くんに触れる、
独りぼっちは退屈な世界だ。
誰かに語り掛けたくても、わたしの世界にわたし以外は存在しない。
別の世界に飛び込むにも誰にも背中を押してもらえない。キッカケすらない。
全部自分で何とかしないといけなくて、臆病なわたしはうずくまることしかできず……結局は、退屈な世界を受け入れるほかなくなってしまうのだ。
それは自業自得で、全部わたしが前へ進むことを拒んだせい。
誰かがキッカケをくれるなら……そうやって無意識に助けを求めている時点で、わたしは終わっていたのかもしれない……。
だけど……結局わたしは、その『誰か』に救われてしまう羽目になる。
突然現れた救世主。
その優しさに触れた時、君の涙に触れた時……わたしの世界は、退屈から遠ざかることになった。
救世主の名前を、柊恭平という。
「月宮さん、帰ろうか」
空がオレンジに染まり始めた放課後、誰もいない教室に柊くんが現れた。
独りぼっちで待っていたわたしは気持ちが落ち着かなくなっていき、挙動不審な様子で柊くんへと駆け寄っていく。
「かっ……帰りましょう」
余裕のない返事はかっこ悪くて恥ずかしい。もっと可愛らしく言えたらどれだけよかったか……。
そうやって何度も自己嫌悪に陥っていくというのに、わたしはどうしても自分に甘くなってしまう。
柊くんの嬉しそうで満足げな笑みを見てしまえば……問題は問題でなくなってしまうのだ。
恋人になって以降、変わったことは携帯電話にアドレスが増えてメールを頻繁にするようになったことと、放課後に柊くんと帰ることくらいだった。
関係が変わっても頻繁に教室で話すことがない理由は、彼がわたしを気遣った結果らしい。
『いずれは教室で話したりお昼ご飯を食べたりしたいけれど、突然一気にやりたいことをやってしまうと月宮さんが大変かもしれないから……』
誰かと仲良くすることに関して慣れないわたしとしては、その申し出はちょっぴり有り難かった。
友達より先に恋人が出来てしまっただけでも戸惑いは大きく、普段送らないメールを送るだけでも精一杯で、一緒に帰るだけでも息が苦しくなってしまう。
きっと柊くんなら全部難なくこなしてしまうんだろうけれど、基本すら落ちこぼれのわたしには少しずつ慣れていくことしか出来なかった。
そんなわけで、帰りは人に知られないように放課後誰もいなくなったことを見計らって、二人でこっそりと帰っている。付き合って一週間、それはちゃんと続いていた。
ただ隣を歩いているだけで、柊くんが話しかけてくれることにつまらない返事を返すだけで精一杯のわたしは……まだまだ余裕を作れない。
正直わたしと一緒にいても楽しくないんじゃないかな。
いつも通り捻くれたことを考えるけれど、その度に柊くんはそんな気持ちさえも忘れさせてくれる。
わたしは……わたしに持っていないものをたくさん持っている柊くんを、いつしか羨ましく思っていた。
「どう? 少しは慣れてきた?」
その問いは、柊くんとの『恋人関係』のことだろうか?
突然振られた話題にどぎまぎとしながら、わたしは彼の顔を見つめたり逸らしたりを何度も繰り返す。
「ゆっくり慣れてくれたらいいからね」
答えずとも柊くんには伝わっていたらしい。
優しげに笑う彼はやっぱり優しい言葉をかけてくれて、世界は淡くあたたかな色に染まっていく。
戸惑いは少しずつ薄れていき、やがてわたしにも話せる程度の余裕が生まれ始めていた。
「……柊くんは、もっとその……先に、進みたい……ですか?」
今口にすべき言葉とそうでない言葉がごっちゃになっている。
そう気付いたのは、問いかけてしまったことに気付いた時だった。
「あ、えっと……ごめん、なさい。その、わたしが足を引っ張っている気がして……ほんとはもっとやりたいこととか希望とか、あるんじゃないかって」
慌てて言い訳しようにもどんどん墓穴を掘っているような気がして、どんどん頭の中が混乱してしまう。
そしてその動揺が移ってしまったのか、柊くんが告白を受けた時以来とてつもなく驚き、動揺している姿が目に映った。
ここでも余裕を見せるものかと思っていたわたしは、意外な様子に驚きつつもホッとしてしまう。
……だって、何でも余裕でこなされたらへこむもの。
「えっあっ! な、何で急に……?」
今にも裏返ってしまいそうな、焦りが全面に押し出された言葉はちゃんとわたしに届いた。
この先を話すのは正直恥ずかしいけれど、わたしは頼ってばかりもいられないことを知っている。
だから、想いを言葉に変えるんだ。
「わたしに合わせてくれることは嬉しい……柊くんが優しいのは嬉しい。でも、柊くんはそれでいいの? わたしばっかり優先して、柊くんの想いや希望は……どうなってしまうの?」
心のどこかで気になっていたのは、柊くん自身の意思だった。
基本的にわたしを優先してくれて嬉しかったけれど、いつか他人をひたすら優先している『柊恭平』という人間を見失ってしまいそうで……何だか怖くてうずくまりそうだったから。
告白された時から、ずっとわたしは思っていた。
もっと自分に貪欲になればいいのに、って。
そしてそれは、わたしが『柊恭平』という人間を知りたいという気持ちの現れでもあった。
立ち止まったわたしに、柊くんも驚いた表情のまま立ち止まる。
まだ付き合って一週間ほど。
全てを知るには時間が短くて、知らないことがあるのは当然だ。
「告白された時、わたし言いました……柊くんのことが知りたいって。わたしは下の名前さえ知らなかったから……優しいことしか知らないから」
一度話し始めてみれば、自分の気持ちなんて簡単に言葉にできる。
そんなことさえ知らなくて、それだけでも感謝の気持ちでいっぱいになった。
……いや、感謝したいことなんて山ほどある。ここでは数え切れないくらい、だ。
なのにわたしは、何も返せていない。
きっと彼も見返りを求めているわけではないんだろう……分かっては、いるけれど。
「……優しいね」
口を開かなかった柊くんからは、動揺が薄れているように見えた。
穏やかな表情で、思いもよらぬ言葉にドキッとしてしまう。
「優しくは、ないです。わたしは、柊くんを利用して前に進もうとしてる不純な人間だから」
素直に嬉しい言葉を受け取れず、またしても捻くれた言葉が飛び出していった。
「ううん、優しいよ。もしも本当に利用するだけなら、こうしてオレの気持ちを気にしたりしないだろうから」
だけど、柊くんはお構い無しにわたしに反論する。
それは次の言葉が思いつかないような、その通りの意見だった。
「オレも、臆病者の一人だからね。なかなか本心を口にするのは怖くて。月宮さんに告白するので力を使い果たしちゃって……オレがこの先どうしたいとか、気持ち悪くて軽蔑されるのが……怖かったんだ」
いつもの余裕を忘れてしまうような、柊くんの別の一面。
誰だって完璧ではいられない。弱い部分だってちゃんとある。
彼の言葉がそれを教えてくれているようで、やっぱりどこかホッとする自分がいた。
勿論わたしなんかと同じレベルなんて考えてはいないけれど、手が届かないような遥か彼方にいるんじゃないかと思っていたので、頑張れば手が届くかもしれないという希望の光は嬉しい。
「言ってみて……ほしい。わたしは柊くんの……か、彼女、なので」
立ち止まる彼を後押しするように、わたしはわたしのしてほしいことを伝えた。
その想いは無事に彼に届いたのか……気付けば不安そうな表情を浮かべていた柊くんは、一度だけ息を呑んで小さく頷いた。
「オレは、月宮さんと付き合えるだけで嬉しい。でも、願いが叶ってしまったら次の願いが生まれてしまうんだ。月宮さんとずっと一緒にいたい。月宮さんの下の名前で呼びたい。学校でももっと話したいし友達に自慢したいし、いろんな場所にデートしたい。手を繋ぎたいし、抱きしめたいし、キスだってしたいし……」
やっと触れた彼に、軽蔑なんて気持ちは生まれなかった。
むしろ嬉しくてお礼を言いたくなるほどで、柊くんが願いを一つ言葉にする度に、知らなかった彼を知ることができるのが幸せだと思う。
「正直その……恋人らしいこともたくさんしたくて、ドンビキすることもいっぱい考えたりして……それで、何と言えばいいのか……」
恥ずかしそうに笑う柊くんは、どこかスッキリしているように見えた。
そしてわたしは……安心している。
「じ、じゃあ……また一個増やし……ますか?」
勇気を振り絞ってくれた柊くんを目の前で見てしまったから、わたしもまた勇気をもらえた。安心をもらえたから、頑張ろうと思った。
恋人になって、メール交換をして、誰にも見られないようにこっそり一緒に帰る。
それにもう一つ、
「恋人らしいこと……しますか?」
わたしは手を繋ぐ誘いをかけた。
「……え? あ、え?」
わたしの顔と手へ何度も交互に視線を送る柊くんは、明らかに動揺している。
もしかして何か間違えてしまっただろうか?
動揺は更なる動揺を呼び、変に冷静を意識していたわたしも動揺一色に染まってしまう。
「あ、あの……変ですか? 順番おかしい? あれ……えっと……」
そのまま手を取ってくれたら助かったけれど、二人して動揺してしまえばどうしようもない。
「変じゃないけど……月宮さんは、いいの?」
柊くんの言葉に、わたしは一瞬だけ考える。
だけどそれほど考えることもなく答えは出てしまっていた。
「わたしだって……恋人らしいことしたい」
人に慣れることが第一であることは分かっている。
分かっていても、彼氏という存在がすぐ傍にある以上、一度も恋人らしいことを考えなかったわけじゃない。
気持ちに触れるだけじゃなくて、誰かの体温にも触れたかったんだ。
珍しく強気な目を向けたわたしに、柊くんは目を丸くさせている。
何とかわたしの本気が伝わりますように……そう願いながら、必死で見つめるしかできなかった。
「……カッコ悪いなぁ……オレ」
小さく呟く声が聞こえて、それからすぐに引っ込めた手をぐいっと掴まれた。
高鳴る心臓は柊くんにも聴かれそうで恥ずかしい……でも、妙に気持ちが弾んでいる。
嬉しくて、あったかい気持ちになれて、幸せで。
それが全部心臓の音に表れているようだった。
「ありがとう月宮さん。オレすっごく幸せだよ」
柊くんの言葉にまたわたしは舞い上がり、小さく笑みを零す。
「お礼を言うのは、こっちの方だよ」
……そしてその先は、心の中だけで留めておくことにした。
わたしを好きになってくれて、本当にありがとう。
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