迷える仔羊部へようこそ!

02:迷える仔羊部へようこそ


『文芸部』と書かれた札の扉を開いた男子生徒の後を追い、紫乃は初めてその部室に足を踏み入れた。
 紫乃の学校で部活は自由ということもあり、なんだかんだで部活には入り損ねた紫乃は帰宅部として過ごしていた。部外者だからという理由で、部室に入ることに何故か居心地の悪い想いを抱く。
 文芸部の部室には、大きな長テーブルが一台あり、椅子が六脚置いてある。壁側は本棚がいくつもあり、見たこともない本がぎっしりと並んでいた。それ以外には特に目立った物はなく、正直に言ってしまえば殺風景な部屋という印象が、紫乃の中で焼き付けられる。
「何もないとこだけど、まぁ座ってよ」
 窓際に一番近い席に座った男子生徒の向かいに紫乃は座る。一体これから何をするのだろう。そもそも、どうしてこの男子生徒についてきてしまったのだろう。
 徐々に頭の中が冷静になるにつれて、紫乃は自分自身の安易な行動にため息が漏れる。
 きっと今までも、こうして流されながら生きてきたのだろう……そう思うとなんだか自分が情けない気がして、さらにため息が零れた。


「俺は青柳真白(あおやぎ ましろ)。三年で、一応文芸部の部長ということになってる」
 落ち着かない気持ちの中、男子生徒……青柳真白と名乗る男は自己紹介をした。……それには少々、引っかかるところがあるが。
「さっきもちょっと言ったけど、文芸部ってのは仮の姿なんだ。俺たちは『迷える仔羊部』って呼んでて、人生にいろいろ絶望したけど前に進みたいヤツらが、ここに集まってるんだよ」
 さらに詳細を伝えてくるが、紫乃の混乱は増すばかりだった。
「え……そんなことしていいんですか?」
 まず浮かんだ疑問はそこだった。
 部活をのっとって好き勝手に部を作り、活動するなんて許されるのだろうか。
 紫乃は真白を怪訝な目で見つめる。視線の先ではにっこりと胡散臭い笑みを浮かべる真白がいて、動揺する雰囲気もない。
「元々文芸部は廃部予定だったんだよね。んで、まあ俺自身いろいろあって、表向きは文芸部として一年の時に作った部なんだよ。ちゃーんと顧問もいるんだぜ?」
 得意気に語る真白を見つめながら、何故だか紫乃は少々後悔していた。
 来てはいけない場所に来てしまったようで、今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのだ。
 しかし真白の話は続き、紫乃はなかなか席を外せずにいる。
「ここにはさ、あと三人在籍いてるヤツがいる。絶望して道に迷って、立ち止まってたヤツが。それで、前に進みたいって願いのために手伝ったり、助け合ったり。基本的に好き勝手過ごしてるだけなんだけどさ、ちょっとずつでも前に進むために頑張ってるんだ」
 紫乃の目をじっと見つめる真白の瞳は真剣で、嘘を言っているようには見えない。


「人の悩みも絶望も、人それぞれだ。他人にはちっぽけなことでも、当事者的には重大なことだってある。人に話したら『そんなことで』って笑われることもあれば、大変だねって心配してくれても、その後どこかよそよそしい態度になることだってあったりして。キミの絶望のことは分からないけれど、もしよければうちに入らない? ここでは誰も、キミのことを笑ったりしない。少しでも傷が癒えて、前に進めるように助け合えたらいいなって思っているよ」


 そこで真白の言葉が途切れる。
 紫乃はその話を聞いて、戸惑っていた。
 このまま、身を任せてしまっていいのだろうか。本当に、自分の絶望は癒えるのだろうか。そもそも明日からは夏休みであり、その間に勝手に傷が癒えていそうな気がする。それとも部として何か活動するのだろうか。というか、実際どんなことをしているのか、全く想像がつかない。
「そんなこと急に言われても……って顔してるねー」
 にっこりと笑いかける真白に、紫乃はドキッとした。
 真白のカンがいいのか、紫乃自身が分かりやすいのか……真意は定かではない。ただこの状況で理解できることは、紫乃の思ったことが筒抜けになっていることだった。
「そりゃ……まあ……変な部に勧誘されちゃってますからね……」
 引きつりながら本音を口にすると、「そりゃそうだ」と真白はけらけら笑う。
「やっぱさ、どの文芸部にも真の姿ってあるわけよ。世界を大いに盛り上げたりさ、異能力を使ってバトルしちゃったりさ」
「えーっと……全国の文芸部に謝った方が……」
「まあそれはラノベとかそういう類の世界だけどさ」
「ラノベ……」
 ますます紫乃の警戒心が高まっていくような気がした。
 しかし、真白がからかうためにここに連れてきたとは思えず、この場からは動けない。
 出会ってから、数十分ほどの時間を一緒に過ごしただけだ。決めつけは良くない。でも、人を見た目とちょっとした表の部分だけで恋人を作り、大きな傷を負った紫乃には、少々高いハードルのように感じる。
「あー……ごめん。ちょっと和ませたかっただけなんだけど……失敗失敗」
 真白が頭を掻きながら苦笑した。紫乃の微妙な反応にもすぐに気付く辺り、一応は空気を読めるタイプらしい。

「本当にね、助けられたらいいなって思ってるんだ。キミはこの部のことを知らずに扉の前にいたけどさ……それって何か縁を感じるんだよ」

 あくまで優しく、怖くないんだよと言うように、真白は語りかけていた。
 その言葉ひとつひとつを噛みしめながら耳を傾ける紫乃も、多少は同じ気持ちを抱いている。何も知らずにここに来た紫乃だったが、こうして巡り合えたことにある種の運命を感じていたことを。
「正式な入部じゃなくてもいいよ。明日から夏休みだしさ。夏休みの間でいいから仮入部してみない?」
 聞くところによると、明日部員と集まる予定があるという。
「というか、この部活のOBみたいなヤツ? がバイトしてる会社がさ、時々人が足りないって大騒ぎしてんの。だから、その手伝いみたいな? あ、バイト代も出るよ」
「それって……部活というより……」
「バイトだね!」
 紫乃はぽかんと口を開けたまま、これ以上何も言えなかった。これは……思っていた以上に予想外の展開だ。
「でもさ、気晴らしにはなると思うよ」
 どうしようかと思った矢先、真白が口にした言葉がやけに心に刺さる。
 仔羊部とかいう胡散臭い部のことはさておき、アルバイトはお金も稼げるし、家でボーっとしているよりは有意義な感じがする。紫乃の学校はアルバイト禁止でもなく、許可が必要というわけでもない。
「そんなに難しくない、パソコンを使った簡単なお仕事だからさ。アットホームで楽しい職場だよ!」
 どこかで聞いたことのあるようなキャッチフレーズを、生で聞くとは思いもしなかった。
「もし興味があったら、学校の最寄駅前に来てよ。昼の一時半ね」
 それから紫乃が返事をしないうちに、真白の連絡先と、口頭で伝えられたアルバイトの待ち合わせの情報が記された紙を手渡された。
「時間が過ぎたら待たずに行っちゃうから、気が向いたら来てよ。来なくても責めたりしないから」
 にこりと笑いかける真白に、紫乃の思考は追いつかない。

「えっと……他のメンバーの話を、もう少し聞いてもいいですか……?」

 混乱しながらも、紫乃はなんとか質問できた。
 変な人間がいるなら、踏み入らない方がいいという、心の中にいる冷静な紫乃がそう言っているからだ。
「んー……ちょっと待って」
 少し何かを思い出す素振りを見せながら、真白はスマホを操作している。
「ほい、これ」
 すると、一枚の集合写真的な画像を見せられた。
「今年の春、新入部員が入った時に撮ったんだよねー。一年に橙野ってヤツがいるんだけど知ってる?」
 名前を言われて思い出そうとするが、なかなか思い出せそうにない。だが指をさされた顔には見覚えがあり、紫乃はうーんと考え込む。
「あと、こいつとかはどう? 二年の黄山。校内で美少年とかちやほやされてるヤツ」
「あ、それは知ってます。誰も近寄れないって噂の……」
「そそ」
 紹介された黄山という男は、親衛隊やファンクラブなど、複数の集団に囲まれる美少年である。入学当初からクラスで噂になっていたため、一応名前や顔くらいは知っていた。
「んで、こっちは二年の若菜ちゃん。見た目大人しそうだけど、意外とノリもいいし優しくていい子だからすぐ仲良くなれるよ」
 一通りの説明を受けた頃には、紫乃の警戒心もそこそこに薄れていた。見知った顔やおかしな人間がいないように見えたからかもしれない。


「もし前に進む気持ちがあったら、明日来てよ」
 真剣な眼差しで、真白は最後にそう告げた。


***


 行かなくてもいい。
 他の道を目指してもいい。
 そのまま立ち止まってもいい。

 でも、もし少しでも前に進みたいと思う気持ちがあれば……俺たちはいつでも力になる。

 だから、ちゃんと考えて。
 自分自身の意志で決めてね。