迷える仔羊部へようこそ!

03:負傷のスポーツマン・橙野くん


 赤崎紫乃は、迷える仔羊部というおかしな部活について、一晩中考え続けた。
 おかげでその晩、失恋にどっぷりと浸かってダメ人間になる予定だったが、そうもいかなくなってしまったのだ。

 あの部室の前で泣き崩れた紫乃を、救い上げたあの男子生徒……青柳真白のせいで。


***


 夏休み初日、快晴、最高気温三十五度。
 クーラーの効いた部屋でごろ寝する予定を変更し、紫乃は駅前に来ていた。
 時刻は午後一時。約束の時間には三十分早い。
 平日も休日も関係なく人通りの多い駅前の日陰部分を陣取り、立っているだけで自然と額に浮き出てくる汗を拭う。
 服装は悩んだが、特に意味がなさそうな英単語が並ぶTシャツに、デニムのショートパンツ、ヒールが低めのサンダル。髪型は左側に一つ結びのサイドテールに赤いキャップをかぶっている。
 だが、ここに来て『アルバイトに行く恰好か?』と自問自答が始まる。一人の時間というのは、余計なことを考えてしまうからよくない。
 紫乃は夏の暑さで朦朧とする中、あれやこれやとうじうじ考え込んでしまう。まったく悪い癖だとため息をついた。

「お! 来てる!?」
 その時、少し離れたところで一人の男が紫乃めがけて驚きの声をあげる。
 よく考えると、『昨日初対面だったというのに、今日いきなり私服の相手を見つけることができるのだろうか?』という今更な疑問に辿り着いた。
 だが、あの衝撃的な出会いを果たした相手のことを、紫乃はよく覚えていた。顔を見た瞬間、すぐに誰であるかを把握する。
 しかし、相手は一人ではなかった。
「え? こいつですか? 真白さんが言ってたのって」
 もう一人は、昨日見た写真に写っていた記憶がじわじわと蘇る。
「そうそうー。実はうっかり名前聞きそびれてさー。でも会えたからいいっしょ」
(そうだった! 言い忘れてた!)
「適当っすねー」
(ほんとだよ)
 男二人に囲まれ、紫乃は心の中でツッコミつつも、戸惑い度はぐんぐん上がっていく。
「えーっと……」
 無意識のうちに零れる声に、二人の注目がますます紫乃へと集められる。
「暑いし、一回ファミレス行くか」
 真白のその提案だけは誰も異論はなく、三人は早足に移動を始めた。


***


「俺の名前は昨日も言ったけど青柳真白ね。んで、こっちは橙野蒼真(とうの そうま)。キミと同じ一年生だ」
「……どーも」
 爽やかに紹介する真白とは違い、蒼真はつんとした態度で軽く会釈する。
「一年A組の、赤崎紫乃です」
 蒼真の態度が引っかかりながらも、真白に続いて自己紹介をした。ぺこりと頭を下げ、緊張の面持ちで男二人の反応を待つ。
「そういえば蒼真は紫乃ちゃんのことを知ってるみたいだけど、知り合い?」
 早速下の名前にちゃん付けで呼ぶ真白に驚きながらも、その問いかけには興味があった。
 紫乃自身は知り合いという認識はないのだが、蒼真の方はどこか意味ありげの態度なため、何かありそうだという感じがしたのだ。
 その瞬間、蒼真が大きくため息をつきながら、話をしてくれた。

「赤崎紫乃……せっかく可愛くて男連中でも人気で、狙ってるヤツがうじゃうじゃいたのに……よりにもよって、あのサッカー部ナンバーワンゲス男にあっさり引っかかった残念な女っす」
「ひどい……」
「やはり女子はちょろいのか、イケメンは最強であると多くの男たちを絶望に突き落した罪な女」
「あんまりだ……」

 想定外の理由に、紫乃の方が絶望している。
「マジか……確かに紫乃ちゃんは可愛いからね……蒼真も辛かったね……」
 わけの分からない状況に、紫乃は喜んでいいのか怒るところなのか、何故か謝るべきなのかと様々な感情に揉まれていた。
 蒼真はほおづえをつきながら、明後日の方向を見つつため息をついているし、真白は蒼真の肩をぽんぽんと叩き、同情しているようだ。
「何この状況……」
 思わず紫乃の本音が漏れる。
「てか、なんでここにいるわけ?」
 我に返ったように蒼真が尋ね、
「あ、もしかしてフラれた?」
「うぐ」
 傷心の紫乃にはきつい一言が心にぐさりと突き刺さった。
 だんだんと昨日の絶望が蘇り、涙腺が緩み始める。泣いたらもっと酷いことを言われるかもしれない。
 そう思ってこらえようとするが、意識すればするほど紫乃は冷静さを失っていく。
「え? マジ?」
 どうやら蒼真のセリフは冗談だったらしい。ツンツンと冷たい態度を取っていたと思いきや、気付くと動揺一色に染まっている。
 だが、図星を食らった紫乃には緩み始める涙腺をコントロールすることはできない。
「あーあ、蒼真が泣かしたー」
「な、泣いてないです! まだ!」
「まだって、泣く気かよ!?」
 真白がちゃかすように蒼真を非難すると、ずーんと重たかった空気が少しだけ軽くなり、叫んでみると意外と涙も落ち着いてきた。
「そっか。昨日部室の前にいたのは、そういうことだったんだね」
 優しい声色で尋ねてくる真白に、紫乃は小さく頷いた。

 それからこっぴどくフラれ、濡れ衣を着せられ、絶望に突き落されたことを、ぽつぽつと話始める。
 他人に話すと、自分ばかりを責めて苦しんでいた気持ちも和らいでいくようだった。辛いことは誰かと共有すると楽になることもあると聞いたことがあったが、今の紫乃の心境はそのような感じである。
「あ……ごめんなさい……こんな話」
 我に返ると、いたたまれない気持ちが紫乃を襲う。
「謝んな」
 しかし、先ほどまで言いたい放題だった蒼真から意外な言葉が飛び出した。
「謝るのは……無神経なオレの方だ。悪い」
 ぺこりと頭を下げた蒼真は思っていたよりも素直で、悪いことは悪いと認められる男だった。
「お、蒼真があっさり謝るとは」
「だって、ほんとゲス男すぎて同情心しか湧いてこない」
 真白がちゃかしても、反論することなく紫乃を憐れんでいる。
「ありがとう……」
「え? 何で今オレ礼を言われた? 別にオレはただかわいそうな女だなって思っただけだぞ?」
「それでも!」
 どんな言い方でも、今の紫乃には肯定してくれる誰かがいるというだけでよかった。
「う……これが人気女子の笑顔……まぶしい……」
「蒼真のキャラがぶっ壊れてる」
「ええ~~。真白さんには効果ないんっすか?」
「ないわけじゃないけど、わざわざそんなことは言わない」
 流れる雲のように空気もゆっくり変化していき、重たかった雰囲気はあっという間に和やかになっていた。


「あ……そういえば、バイトはいいんですか?」
 話に区切りがついたところでふと気になり、紫乃は真白に尋ねる。
 時計は十四時をとっくに過ぎていた。
「え? うん。今日はバイト行かないし」
「えっ」
 だが、あっさりと真白は言ってのける。それは嘘の呼び出しだったというネタばらしだった。
「真白さん……またそんな嘘で釣ったんすか?」
「うん。蒼真で効果を実感できたし!」
「……橙野くんも同じ手で……」
「悪かったな! そうだよ!」
 どうやら蒼真が入部した時も似たようなシチュエーションで呼び出されたらしい。
「あれ……というか、橙野くんは何でこの部に?」
「てか君付けやめろ」
「う……じゃあ橙野」
 一瞬、蒼真の表情が硬くなる。ここまで来てようやく疑問は同級生へと向けることができたが、紫乃は蒼真の顔を見てしまったと後悔した。
 しかし大して躊躇することもなく、すらすら紫乃の質問に答える。
「……オレは、ずっとサッカーやってたんだよ。でも中学最後の大会前に事故に巻き込まれて……サッカーができない身体になった。それだけだ」
 内容の重さに、紫乃の顔色はどんどん青ざめていく。
「ご、ごめん! 大変なことを聞いちゃって……」
「別に。お前に気遣われたくて言ったわけじゃねーから。そりゃ、サッカーが続けられなくなったのは悔しいけど、将来プロになるかって聞かれたら悩んだだろうし……辞める時期が早まっただけだ」
「などと供述しており……」
「ちょ! 真白さん! 犯罪者のニュース読んでるみたいなのやめてください!」
「いや、場を和ませようかと」
「和ませ下手かよ!」
 事情を知っているからか、真白はムードメーカーとしての務めを果たしているようだった。
 迷える仔羊部という名の悩み相談を部長として、今までに何人もの人間からこんな話を聞かされてきたのだろう。

「紫乃ちゃん。あのね、今『自分なんてちっぽけな悩みなのに』とか考えなかった?」
 真白の問いかけに、紫乃は思わず身体をびくつかせる。
 まさに、罪悪感を抱いているところだったのだ。
「昨日も言ったけど、悩みのスケールなんて些細なことだよ。蒼真の不運な出来事は、この部の中でもかなり辛いことに分類されるかもしれない。でもそうやって決めていいのは俺たちじゃない。そして……やっぱ本人が辛いならそれは他人なんて関係なく、辛い悩みだと思うよ」
 優しく話しかけてくれたことは、昨日の出来事を思い出すには十分だった。
 それはきっと、おそらく紫乃の悩みを受け止めてもらえた証なのかもしれない。
「そうだぞ。お前も随分不運だよ。オレと比べるにはジャンルが違う。だから気にすんな」
 蒼真もあっさりそう言い、受け止めてくれた。
「……よかった」
 ホッとため息をついた紫乃は、目の前に座る二人の男が味方であることに安堵する。ここ最近、周りはみんな敵にしか見えていなかったせいかもしれない。


「お、若菜ちゃんもうすぐ来るって」
「あ、来れるんですか。若菜さん」
「そそ。ちょっと遅れるーって言ってたけど、今駅に着いたって」
「???」


 紫乃が安心したのも束の間、真白と蒼真はスマホを見ながら何やら会話をしている。
 意味が分からない紫乃は、首を傾げるしかなかった。