迷える仔羊部へようこそ!

04:緑川さんの複雑な家庭事情


 二人が言っていた『若菜さん』は、それほど経たないうちに姿を現した。
 眼鏡をかけており、二つに結んだ長い三つ編みを揺らし、急いだのか息を切らしながらの登場になる。真っ白なワンピースと麦わら帽子が印象的で、どこか大人しく儚い雰囲気を感じ取った紫乃だったが……。

「女の子の新入部員だ~!!」

 キラキラの笑顔を浮かべながらはしゃぐ姿は、それらの幻想をぶち壊していった。
「そうだよ~~。あ、この子はメールでも話した新入部員候補で、赤崎紫乃ちゃん」
「理不尽な失恋で傷を負った哀れな女っす」
「橙野の悪意が半端ない」
「うわっ! こんな可愛い子を振る男がいるなんて、私には理解できない……」
 蒼真のダークな冗談を受け止め、心から心配する若菜。
 どんな人かと緊張していた紫乃だったが、接しやすそうな雰囲気に安心する。

「私は緑山若菜(みどりかわ わかな)って言います。二年だけど、気楽に接してね」
「よ、よろしくお願いします!」
 二人で一通り挨拶をすると、若菜は紫乃の隣に座る。チーズケーキとドリンクバーを頼み、飲み物を取って来たところで改めて話をすることになった。
「私の話をすればいいのかな?」
「そーいうことになるね」
「はーい。じゃ、簡単に」
 迷える仔羊部というへんてこな部活に入っているということは、何か悩みを抱えているということだ。紫乃も打ち明け、蒼真も先ほど話したところ。次は若菜ということだ。
「私はまあ、もともと文芸部に興味があったんだけどね。来てみたらこんな部でさぁ。でも、その時私も悩みがあったからさ。そのまま入部しちゃった」
「へぇ……」
 確かに、表向きは文芸部ということになっている。
 本来、文芸部に入りたい人だっているはずだ。
 それはまずいのではないか? という気持ちを込めて、紫乃は真白へ視線を送ったが、にこっと笑うだけにとどまった。
「それで私の悩みなんだけど……私の家族ってね、私とお父さんだけだったの。小さい頃にお母さんが病気で亡くなって。で、去年の春に再婚したのね。もちろん新しいお母さんはいい人なんだけど……やっぱり複雑というか、気まずいというか。そういう感じかな」
 若菜の悩みを聞き、紫乃の心はずしんと重たくなる。
 ちっぽけな自分の絶望を思い出すと、いたたまれない。
 両親健在の紫乃にとって、まだ家族の死というものを経験したことがない。それだけでも耐えがたいことかもしれないのに、見知らぬ人間がいきなり家族になるというのも複雑な問題だろう。
 だが、真白や蒼真に言われたことを思い出して、罪悪感を振り払った。
「でも、若菜ちゃんは最近うまくいってるんだよね?」
「はいー! おかげさまで。真白さんやみんなと接してるうちに前に進む決心がつきました~。家族円満です!」
 真白のおかげで空気は穏やかになり、若菜は悩みの欠片もないほどニコニコと笑みを浮かべている。
「てか、オレが入ったころにはもう解決してた感じっすよね?」
 蒼真が尋ねると、若菜は笑顔でうなずいた。
「解決したら部はやめるべきかなって思ったけど、まあ文芸部として活動したい野望は諦めてないし、もう少しいようと思ってるよ~」
 その話を聞き、男性陣は「へぇ~」と意外そうに驚き、紫乃は部を辞める選択について、改めて真白の話を思い出していた。
(そういえば、絶望から救われた時、退部を勧められるんだっけ)
 昨日の帰り際に話されたことは、なんとなくでしか受け止められなかった。
 それはまだ、絶望の真ん中にいるからかもしれない。
「ま、部の存続のことを考えると、人数的に若菜ちゃんがいてくれるのは助かるけどね」
 フォローするように真白が話すと、若菜はほんの少し顔を赤らめながらはにかむ。
「へへ、ならよかったでーす」
 先程までの表情とは明らかに違う雰囲気に、紫乃はどこか引っかかった。

(なんか……この二人……)
「真白さんと若菜さんって付き合ってるんですか?」

 心の中で留めるはずの疑問は、無意識のうちに紫乃の口から漏れ出していた。
「は?」
 最初に声を出したのは蒼真だった。
「え?」
 それから何を言われたか受け入れられない様子の若菜が反応し、
「ん?」
 何言ってるんだコイツ? と言いたげに首を傾げる真白も反応。
 それから一瞬空気が止まり、ようやくここで紫乃は発言の重大さに気が付いた。
「す……すみません! いきなり変なことを……」
「この流れのどこでそんなこと思ったんだよ! 頭の中お花畑かよ!」
「ちがっ! なんか二人の間にわたしたちとは違う何かを感じただけだし! お花畑じゃないし!」
「あぁ?」
 気が付くと紫乃と蒼真は言い合いになり、当事者の真白と若菜は置いていかれる状態となった。
「ちょっと、変な妄想で喧嘩するのやめてよー! てか付き合ってないし!」
 二人の間に割って入った若菜が、全力で否定する。
「うん。付き合ってないね! 若菜ちゃんに漫画とかラノベとか借りてるけど、それくらいだね!」
 続いて真白もあっさり否定。
 二人の否定の仕方はあまりにも清々しく、潔かった。
「ちょ、真白さん! こんなとこでそれバラします?」
「え? ダメ?」
 付き合っていることよりも、漫画の貸し借りの方に若菜は食いついてきた。
 あまり言いふらされたくなかったのか、複雑そうな表情で若菜はオレンジジュースを飲み干す。
「貸し借りならオレも琥珀さんも知ってますよ?」
「うーん……別に、別にいいんだけど……なんでもない」
「難しいお年頃だねぇ」
 一同がすっきりしない空気に包まれる。
 紫乃自身も何か言えたらよかったのだが、否定されたことも受け入れていないため、黙り込んでしまった。
(真白さんはともかく、若菜さんは……)
 どこか落ち込んだ様子でため息をつく若菜の姿に、紫乃の中でもどかしい気持ちを抱く。
「飲み物とってくるね」
 すると、先程飲み干したグラスを持って、若菜は逃げるようにドリンクバーコーナーまで歩き出す。
「あ、わたしも」
 同じく空っぽのまま取りに行くタイミングを失っていた紫乃も、後を追った。
「いってらっしゃ~い」
 にっこり笑顔で紫乃を送り出す真白の表情には、もう先程の気まずさなど一切残っていなかった。


「若菜さん!」
 どのドリンクにするか悩んでいる若菜に声をかけると、にっこりと紫乃に笑いかける。
「紫乃ちゃんも取りに来たの?」
「はいー」
「ここのドリンクバー、無駄に種類が多いから悩むよね~」
「ですねー」
 まだ一対一で話すのは緊張する紫乃だったが、幸い、相手は穏やかで優しいタイプ。真白もそうだし、蒼真は……少々面倒な部分もあるが、基本的にいい人という印象を持っている。
 だから紫乃も気楽に接することができた。今だって、普通に会話が成立している。
「さっきのさ」
 その時、少し残念そうな表情で若菜が口を開いた。
 アイスティーのボタンを押しながら、グラスに注がれる様子を見つめた状態で、どこか改まった様子で話し始める。
「付き合っては、ないんだ。付き合っては……」
 そして、その言葉の意味が分からないほど、紫乃は鈍感ではなかった。
 心の中で引っかかっていた疑問は、勘違いではなかったのだ。
「そう、ですか」
 口にするのは躊躇われたので、簡単な返事に留める。
「鋭いなぁ、紫乃ちゃんは。さっき会ったばかりなのに」
 グラスいっぱいに注がれたアイスティーを手に取り、苦笑いをする若菜。
「ごめんなさい……無神経でした」
 じわじわと罪悪感が込み上げてきて、紫乃は思わず謝罪した。
 先程の蒼真の無神経さを思い出したせいもあるのかもしれない。
「えぇ!? 若菜ちゃんが謝ることないよ! ていうか、自分の分かりやすさに反省してたとこ」
「でも」
「はい! この話はおしまい!」
 うじうじした気持ちを吹き飛ばすように、若菜は紫乃の背中を優しく叩いた。
 それから何事もなく席に戻っていく。
 取り残された紫乃は一度大きな深呼吸をすると、若菜と同じアイスティーのボタンを押し、急いで席へと戻っていった。


***


 他愛のない雑談を繰り返していたが、店内が込み始め、長時間座っていた四人は店員からの直々のお願いで店を後にした。
 紫乃の中では『もっと話がしたい』気持ちがあったが、既に十六時を過ぎている現実に驚く。
(……あっという間だった)
 昨日失恋したとは思えないくらい、心は軽くて楽しい時間だった。
 三人と紫乃は連絡先を交換し、次回の集合について話している。
「明後日バイト来れる人ー?」
 真白がそう言うと、全員がゆっくりと手を挙げた。
「お? 紫乃ちゃん初出勤だな。東雲に言っとかねーと」
「東雲? さん?」
「バイト先の先輩っていうか、私たちの部活のOBなの」
「そうなんですか!」
 それから時間と集合場所について指示があり、今日は解散ということになった。
「じゃ、明後日また~」
 真白は早々に一人で歩きだし、
「またねー」
 若菜も後を追うように歩き出した。
 二人は商店街の中へと消えていき、取り残された蒼真と紫乃は顔を見合わせる。
「橙野はどっち?」
 このまま立ち尽くしているわけにもいかず、紫乃は蒼真に問いかける。
「え? 赤崎は?」
「わたし? あっちの方」
 そう指をさしたのは、商店街とは別の方向。
 駅から真っ直ぐ歩くと商店街に入っていくのだが、紫乃の家は駅を出て右に曲がって歩いていく。大型の団地や様々なマンションや一軒家が並んでいる、いわゆる住宅街。駅から十五分ほどの距離にあるマンションに住んでいる。
「ふーん。オレも同じ方向に家あるぜ。ま、今日はおつかい頼まれてて無理だけど、バイト帰りとか今度一緒に帰るか」
 一通り説明すると、蒼真がさらりとそう返事をした。
「えっ!?」
「じゃーなー」
 一人動揺している紫乃を置いて、蒼真も商店街の方へと歩き出す。
(今、とんでもないことを言われたような……)
 何故か心の中では『今度一緒に帰るか』という台詞が何度も再生されている。


「いや、ないな」


 一瞬浮かんだロマンスの可能性をあっさりとなかったことにし、紫乃もようやく歩き出す。
 失恋したばかりで、少しドキッとするような台詞を吐かれただけでなびくようでは、過去の恋愛を繰り返すような気がしたからだ。
 ロマンスを確信するなら、もっと先のどこかになるだろう。今じゃない。
 そんなことよりも、紫乃の心は別のことで浮かれていた。


 夏休み。
 紫乃にとって特別なものになりそうな、そんな予感からだった。