迷える仔羊部へようこそ!

05:黄山くんには友達がいない


 夏休み三日目。
 今年の夏は真夏日が続き、クーラーがないと生きていけないような気温が続いていた。
 紫乃が自室の窓から外を眺めると、近くの道路にまったく影がないことに気が付く。セミの大合唱のおかげで、外出前から思わず顔をしかめた。
「……準備しよ」
 だが、今日はあいにく出かける用事がある。
 文芸部……迷える仔羊部が不定期で働いているという、とある場所でのアルバイトという大事な用事だ。それは紫乃にとって初めてのアルバイトだった。
 今日も駅前に十三時半集合。真白との待ち合わせで、蒼真と若菜は直接会社へ向かうらしい。
 会社といっても、マンションの一室らしいが……。


 家で昼食を済ませ、手早く外出の準備を始める。
 上は白の七分袖のシャツ、下はネイビーに白ドットのキュロットを穿いて、手足には日焼け止め、薄めの化粧を施す。左側のサイドテールも忘れない。
 黒いリュックの中に、必ず持ってくるようにと指示されていた印鑑と筆記用具、一応ノートを入れて、紫乃はそれを背負った。
 部屋を出ると、リビングでは母親がのんびりテレビを観ている。普段は働いているのだが、今日はたまたま休みを取っていた。
『たまには息抜きもね』
 仕事人間の母親でも、そういう時があるらしい。
「おかあさーん。バイト行ってくるから」
 一言声をかけると、ようやくテレビから紫乃の方へと視線を移す。
「お! 初出勤がんばれ~」
「うん!」
 母は紫乃へエールを送ると、玄関まで見送りに来てくれた。
 アルバイトの件は一昨日、部のメンバーと会った日の夜に両親へ話をしてあった。何を言われるかと内心びくびくしていたが、意外にもあっさりとOKが出た。
『学業に支障が出ない範囲ならいいぞ』
『ま、社会勉強にもなるしね。いいんじゃない?』
 理解があってホッとした紫乃は、許可を得たおかげで今こうしてバイトへと向かうことができている。

「いってきまーす」
「いってらっしゃい」

 快適な自宅を出て、暑さに顔をしかめながら紫乃は一階へ降りる。六階に住んでいるため、移動はエレベーターだ。一階に着いてマンションを出ると、本格的な暑さと太陽の眩しさに、頭がくらくらする。
 十五分ほど歩かねばならない現実にため息をつきながら、急ぎ足で待ち合わせ場所へと向かうのだった。


***


 一昨日と同じ場所に待ち合わせ場所を指定され、紫乃は待ち合わせの十分前に到着した。
 駅前はやはり人通りが多く、同じように待ち合わせのため、待機している者は多い。
 きょろきょろと辺りを見渡すと、まだ真白の姿は見えないようだった。
 日陰で一息つくと、そこでようやく緊張感が紫乃を襲う。初めてのアルバイトだ。気付いてしまった瞬間、一気に緊張で支配されてしまった。

「紫乃ちゃん、やっほー」
 そこで不意に、真白が姿を現した。Tシャツとジーパンという、ラフな格好だ。
「あ……どうも。今日はよろしくお願いします」
 すっかりカチコチの紫乃が堅苦しい挨拶をすると、真白がぷっと吹き出し、
「よろしくね」
 と返事をした。
「あ。一昨日紹介できなかったもう一人のメンバーがもうすぐ来るから、ちょっと待って……あ! 来た!」
 真白の説明が途切れ、次の瞬間、遠くの誰かに手を振る。視線の先を追ってみると、そこには一際オーラが異なる美男子が歩いていた。
 真白が犬系、蒼真が猫系としたら……そこまで考えて、視線の先に当てはめるべきカテゴリが思いつかなかった。
 アイドルという表現よりも、モデルの方が似合うかもしれない。あんな人物の写真集があるのなら、思わず手に取ってしまうだろう。
 目はぱっちりと大きく、バランスよく整ったパーツと小さな顔、ショートの黒髪。灰色の半袖シャツに黒いパンツ姿で、気が付くと紫乃の目の前に立っていた。
 背もすらりと高く、真白と比べても十センチ以上の差があるようだった。
「紫乃ちゃん、こいつが黄山琥珀(きやま こはく)。こっちが赤崎紫乃ちゃん」
「は……はじめまして」
「よろしくね」
 にこりと笑いかける琥珀の表情に、紫乃は思わず目が眩む。
「これが……学校一美少年と言われている黄山先輩の笑顔……!!」
「あは、一昨日の蒼真みたいなこと言ってる」
「やっぱり僕の美しさは全国共通!」
 デジャブを感じるやり取りを済ませ(一部よく分からない発言があったがスルーした)、三人はバイト先のマンションへと向かう。
 場所は商店街を通り過ぎた先にある住宅街にあるらしく、少し距離があるらしい。炎天下の中、三人は並んで歩いていた。

「あれ? 琥珀と紫乃ちゃんが並んで歩くとすごく絵になるヤツ……?」
 少し経ってから、真白が先を歩きつつ振り返ると、突然茶化すようにそう言った。
 そんなことを校内で言おうものなら、紫乃など一瞬で存在を消されそうな破壊力だった。
「真白さん! 黄山先輩に失礼なので謝ってもらっていいですか!?」
「そこまで!?」
「真白くん! 僕に一番大切な人がいると分かっての発言、許せない!」
「すまん!」
「許す!」
 テンポのいいやり取りに、紫乃はようやく居心地の良さを感じていた。
 琥珀は意外とノリがよく、自分に正直な人間のようだ。
「あ、ごめんね紫乃さん。僕、同じ部の緑川若菜さんにこの身を捧げているから、先に言っておくね」
 そして、恥ずかしげもなく自身の想いを打ち明けていた。
「えっ!? そうなんですか!」
 真白も既に知っているらしく、呆れた様子で見守っている。
「そう。僕ね、友達ができないのが悩みでこの部に入ったの。僕ってご存知のとおり見た目がいいでしょ? だから女子には騒がれ、興味のない女子も下手に近寄ってこなくて。それで男は嫉妬で僕をハブっててさ。だけど若菜さんは僕と普通に接してくれるし、優しいし可愛いし、運命の人なのさ!」
 聞こうと思っていた入部のキッカケについても勝手にしゃべりだし、紫乃はただただ圧倒されている。
 ……想像以上に熱い男だった。
「あは、琥珀熱いなー。ただでさえ外暑いのに」
「すまない!」
「許す!」
 親しげな二人を見守りながら、紫乃は静かに微笑む。
 完璧超人で、いつも周りに囲まれているとばかり思っていた美男子も、孤独を抱え、悩んでいたことを知って親近感が湧いたからかもしれない。
「今はこの部で居場所が出来たから、あんまり寂しくないのだ! 若菜さんもいるし! うん! はあ……早く会いたい」
 一途さを惜しみなくアピールする琥珀を微笑ましく思っていたが、ここで一つ……重大なことを思い出す。
(そういえば、若菜さんって……)
 視線をそっと楽しそうに笑う真白に移す。
 それから、ぺらぺらと若菜のよさについて語る琥珀を見つめた。


(前途多難な予感が……)
 何故だか頭痛がするような気がしたけれど、紫乃は無理やり暑さのせいにした。