迷える仔羊部へようこそ!

06:初めてのアルバイト


 高校生のアルバイトと言われて思い浮かべるのは、コンビニや飲食店の接客だ。クラスでは『食品工場でバイトしてる』とか、『引越しの荷物運び』という力仕事を行っている者もいる。
 だから、こんなバイトがあることがあるなんて想像もしていなかった。
 部活のメンバーと一緒に、マンションの一室でパソコンと向き合うなんて。


「……という感じで、そんなに難しい仕事でもないし、入れる時だけ入ってくれればいいから。よろしくね」
「は、はい……」
 職場に着いて早々に紫乃は別室に連れて行かれ、真白たちとは別行動となった。
 壁にみっちりと並んだ本棚に圧倒されていると、このバイトの中で一番ベテランだという、大学生の東雲空(しののめ そら)と対面する。
 空はさっぱりとした、気さくに接してくれるお姉さん的存在だった。
 仕事について簡単な説明を聞き、連絡先など必要事項に記入する。その後、緊張でがちがちの紫乃を察してか、空さんと仕事前に雑談することになった。
「私さ、文芸部……ていうか、仔羊部が出来た時にいたOB的な感じ? なんだよね。大学入って暫くして、ここの会社の社長……ていうか先輩と知り合って、働かせてもらってるんだよね」
 それから、その先輩は空の二年上で、株などで資金を稼ぎながら様々なビジネスに挑戦している話をされた。漫画の登場人物のような人だなという印象を受けたが、現実に存在しているらしい。
 しかし紫乃は、そんな会社の社長のことよりも、もっと気になることがあった。
「OBって……空さんも悩みがあって、部を作ったんですか?」
 ただのOBではなく、部の創設に関わった人物だ。
 なかなか自身を明かさない部長の真白のことを知るチャンスかもしれない。身を乗り出しながら紫乃が尋ねると、空は困ったように笑う。
「うーん……そこはちょっと、事情があってさ。ま、青柳が話してないならもう少し待ってあげてほしいな。ごめんね」
 だが、真白と同じように明言は避けられてしまった。
「私からは言えないけど、悲しいこととか悩みとか、少しでも手助けできたらって気持ちで生まれた部であることは本当だよ。私は紫乃ちゃんの悩みを知らないけど、私にできることなら手伝うからね」
 にこりと笑う空の表情は、優しさと慈愛に満ちている。
 おそらく当時何かあって、空と真白が立ち上げた部なのだろう。
 そうやって勝手に想像しながらも、紫乃は一旦考えるのをやめた。
 ここにはアルバイトで来ているのだ。それを忘れてはいけない。
「じゃ、仕事場行こっか」

 空に連れられて訪れた部屋は、通常のマンションでいうところのリビングだった。文芸部の部室にあったのと同じ型の大きな長机と椅子、ノートパソコンを広げて部のメンバーが作業をしていた。
 六人掛けの席には、真白、蒼真、琥珀の順で横並びに座っており、琥珀の向かい側には若菜が座っている。
「紫乃ちゃんは真ん中座って~。基本的に私が教えるけど、何かあったら若菜ちゃんに聞くか、最悪野郎たちに聞いてもらえる?」
「野郎の扱いがひどい」
 手前側に座っていた真白がこらえきれずにツッコミを入れると、空は適当にあしらいながら真白の向かい側の席に座った。
「あんたはさっさと作業する!」
「……うーっす」

 席に座ると、空からの説明があった。
 ノートパソコンの簡単な使い方から入り、次に具体的な仕事の説明に入る。
 ニュースサイトの運営をやっているらしく、外部から納品されたニュース文面を校正ソフトに流し込んで誤字脱字のチェックをしたり、専用のソフトでニュース記事のアップロードする作業がメインらしい。その他には社長が好きなアイドルの情報収集をするなど、訳の分からない作業もあった。
「こんなのでお金もらえるんですか……?」
 怪訝な表情で紫乃が尋ねると、
「社長様はやりたいことが多すぎるから、お金を払ってでもやってもらいたいんだって。ま、そこまでお給料が高いわけでもないし、暇つぶしみたいな感じで気軽にやってみてよ」
「は、はぁ」
(不思議な部に、不思議なバイトだ……)
 心の中だけで呟き、紫乃は空に指示されたファイルを開く。
 そこには様々なテキストファイルがずらりと並んでいて、これが外部から納品されたニュース記事の文面らしかった。
「校正ソフトにテキストをドラッグして、何かエラーが出たら確認して。大体誤字脱字で引っかかるから、正しい文字に直してもう一度校正させるとエラーが消えるはずよ」
「は、はい」
「確認が終わったらこっちのフォルダに移動させて。分からなかったら遠慮なく聞いてね。ゆっくりでいいから」
 そこまで難しい作業ではなく、紫乃は内心ホッとする。
 周りの人間が優しい人しかいないおかげで、リラックスできているのかもしれない。
「東雲だけじゃなくて、俺に聞いてくれてもいいし、蒼真と琥珀もいるからな!」
「まあ、オレより真白さんの方が詳しいけど」
「すまない……僕は若菜さんの質問しか受け付けてないんだ……」
「黄山! ちゃんと紫乃ちゃんにも優しくしなさいよ!」
「いつでも聞いていいよ紫乃さん!」
 わいわいと騒がしい雰囲気に、紫乃の固くなった表情が柔らかくなっていく。
 数日前に失恋したのが、クラスメートたちに冷たく当たられたことが嘘のようだった。


(ここはいいなぁ……あったかくて、楽しくて……)


 ぽかぽかと温まっていく心に刺激されたのか、じわじわと涙腺が緩んでいく。
 意識していなかったはずの過去が、走馬灯のように脳内を駆け巡り、紫乃は気が付くと泣きそうになっていた。


 暁と付き合っていたあの頃。
 これ以上の幸せは存在しないのだと、信じて疑わなかった日々。
 だけど今の紫乃は、あの時とはまた別の幸せを噛みしめている。
 暁がいないと生きていけないと泣いた日もあったはずなのに、今の紫乃は別の人間と楽しく過ごすことができていた。

 暫く恋愛はできないかもしれない。
 もしかしたら、過去の傷を思い出して苦しむかもしれない。
 でも、この部にいれば……迷える仔羊部にいれば……。


「みなさん、ありがとうございます。これからよろしくお願いします」


 穏やかな雰囲気の中、紫乃がぺこりと頭を下げて感謝を伝える。
 そんな紫乃を、残りの五人が温かく受け止めてくれるのだった。