迷える仔羊部へようこそ!

08:夏休みの宿題


 アルバイトを始めて、約一週間が経過した。
 仕事に慣れたかったことと、家にいても暇だからという理由で、紫乃はほぼ毎日アルバイト先に顔を出していた。
 どうやら空か真白が仕事場にいる時しか開放することができないらしく、どちらも来られない日は必然的に休みになるのだが、初日から数えて既に五日は出勤している。
 なんとなく雰囲気にも仕事にも慣れ始め、部のメンバーとの打ち解けていくようになった。


 高校生初めての夏休みはすっかりアルバイト漬けの日々だったが、今日は少し様子が違う。
 普段はほとんど何も入っていない、筆記用具と財布を入れた紫乃のリュックには、どっさりと大荷物を詰め込んでいた。
「う……さすがに全部は……いらなかった……よねぇ……」
 紫乃は炎天下の道を歩きながら、大きくため息をつく。
 だらだらと流れる汗をぬぐい、よいしょっとリュックを背負い直した。
「やっほー! 紫乃ちゃん!」
 仕事場があるマンションまで辿り着くと、入り口で若菜と遭遇した。
(緑川若菜さん。眼鏡のせいか真面目そうな見た目だけど、結構明るいし接しやすいんだよなぁ。あとスキンシップが激しい)
 若菜は長い髪を二つに分けて三つ編みにしており、麦わら帽子と紺色のワンピースで登場してきた。
「こんにちは、若菜さん」
「今日も紫乃ちゃんは可愛いっ!」
 挨拶もそこそこに抱きついてくる若菜に、紫乃は動揺を隠せない。何度もやられていることだが、一向に慣れないのだ。あと状況がまずかった。
「あああ!! 若菜さん! わたし今、汗やばいんですけどーっ!?」
「そんなことないよーうりうり」
「ちょ! どこ触ってるんですかぁ!」
「こんな真昼間に……僕の好きな女の子が変態になってる……」
 女同士でじゃれ合っていると、一人の男が会話に乱入してきた。
 顔が見えずとも、声や台詞で誰かは察しが付く。
「こ、琥珀さーん! 助けてくださーい!」
(黄山琥珀さん。学校一の美男子として自他ともに認められていて、取っつきにくいかと思ったら意外とノリがいいんだよなぁ。若菜さんに一途すぎて時々キャラ崩壊するけど)
 助けを求めるために声を上げるが、間に入ったのは元凶の若菜だ。
「黄山、よくも私たちの邪魔をしてくれたわね?」
「え~~~!? そりゃするよ! しますよ! そういうのは僕だけにしてよ! さあ!!」
 琥珀は両手を大きく広げ、いつでも若菜を受け止める準備をしている。
「だーれがあんたの胸に飛び込むもんですか!」
 しかし、紫乃から離れるどころか、さらに抱きしめる始末。
「ちょ、ちょっと! お二人とも!」
「……紫乃さんが羨ましすぎて、僕の頭が爆発しそう」
「これが地獄……」
 二年生組からよく分からない状況に追い込まれた紫乃は、お手上げ状態で途方に暮れる。


「……な……何やってんですか……?」
 そこに、ドン引きした蒼真が登場した。
(橙野蒼真。同い年で同じマンションに住んでるヤツ。まあ無神経なところも多いけど、根はいいヤツだよね、うん……多分)
 先程から一人一人の特徴を思い返しているが、そんな場合ではないと首を大きく横に振る。
 我に返ったのは、完全に蒼真の苦い顔を見たせいかもしれない。
「あ! 橙野! 助けて!」
 紫乃は思わず声を上げた。
「そうだ! 蒼真くん、紫乃さんを助けてやるんだ! 若菜さんは僕が引き受ける!!」
「蒼真くーん。そこのバカ黄山は蒼真くんに任せる!」
「地獄かよ……」
 このどうしようもない地獄に引きずり込まれた蒼真は大きくため息をつき、無理やり紫乃と若菜を引き剥がした。
「クソ暑いとこで遊んでないで、さっさと行きますよ」
 すたすたとマンション内に入っていく蒼真を、残された三人は我に返った様子で見守る。
「蒼真くん、男前だねぇ」
「まあ、僕の方がカッコいいけどね」
「顔だけは認めてあげる」
「ほんとっ!?」
「さ、行こ行こ」
「もう一回言ってください!!」
「さ、行こ行こ」
「そっちじゃなくて~」
 ようやく二年生コンビも歩きだし、紫乃は安堵しながら後を追いかけた。


「お! みんな来たな」
 バイト先であるマンションの一室に足を踏み入れると、そこには文芸部部長の真白が自席で待機していた。
(青柳真白さん。文芸部……というか、迷える仔羊部っていうちょっと風変わりな部を作った張本人。わたしに優しくしてくれて感謝してるけど、まだ真白さんの悩みは知らないんだよねぇ……)
 もやもやと真白のことを思い出しながら全員が自席に座ると、いつも机に置きっぱなしにしているノートパソコンを片付け始める。
 その代わり、一同はそれぞれ持ち込んだ夏休みの宿題を机に広げた。
 紫乃が大荷物を抱えていたのはそれで、問題集や教科書、ノートなどを大量に背負っていたせいである。
「みんな、どこまで終わってる?」
 真白が尋ねると、ざわざわしていた室内が一瞬で静まり返る。

 そう。今日はバイト先のこの場所を使って、夏休みの宿題をやることになっていた。
 去年も同じようなことをやっており、社長からの許可も下りていると誘われた時に言われていたのだが……。
「全然やってない人ー?」
 真白の声かけに、何人かが手を挙げる。
「……全員かよ」
 何人か、というより、全員だった。
「いやいや、まだ七月ですよ? まだ慌てる時間じゃないっすよ」
 笑いながらそう言うのは、高校生初めての夏休みを迎えた蒼真。紫乃も同意するように頷く。
「ま、今から頑張れば余裕だよな」
 何かお説教でも始まるかとびくびくしていたが、真白自身もへらへらとそんなことを口にし、一気に和やかな雰囲気へと変わった。
「も~! いっつもそうやってビビらせるんだから~真白さんは~」
 若菜がからかうようにそう言い、問題集を開く。
「若菜さん、分からないところがあったら是非僕に聞いてほしい」
「ありがと。なんで黄山には友達ができないの?」
「僕は若菜さんさえいればそれでいいのさ」
「そういえば、紫乃ちゃんは勉強得意なの?」
「スルーは辛い!!!」
 すっかり名物となった二年生コンビの夫婦漫才的なやり取りに紫乃は苦笑しながらも、自身の学力について思い出す。
「頭はいい方です」
 思い出そうとしてすぐ、きっぱりと言い放った。
「えっ、マジ? オレもオレも」
 そこで同意してきたのは、まさかの蒼真。
「わたし、期末四位」
「ぐ……オレ五位」
「ふっふーん」
「くっそ……お前なんて、色ボケで頭悪いかと思ってたぜ……」
「橙野は脳筋だと思ってた……」
 それぞれ失礼なことを口にするものの、何故か波長が合う。
 そんな一年生コンビを、どこか遠い目で見守るのが上級生組だった。
「なんだこの会話」
「私、成績悪い組だから絶望しています……」
「僕も学年一位だけど、学年違うから張り合いが」
「黄山の裏切り者ー!」
「若菜さんっ!?」
「大丈夫だ……俺も低空飛行組さ」
「真白さんっ……! 仲間!」
「ぼ、僕も墜落するしか!」
 上級生もなかなか危ない発言が飛び出すほどの盛り上がりだった。本来の目的を忘れ、成績トークで独占される。

 まとめると、琥珀、蒼真、紫乃は上位組、中の下を彷徨っているのが真白と若菜であった。
「こういう時ってさ、もう少しバカが多いもんだと思ってたよー」
 見た目に反した成績の若菜がぶつぶつと呟きながら、大きくため息をつく。
「若菜ちゃん……もう忘れよう。忘れて宿題やろう。あわよくば写させてもらおう」
「真白くん。君、三年だろ。君だけみんなと学年違うから写せないぞ?」
「世知辛い世の中に全俺が泣いた」
「涙拭けよ」
 琥珀がわざわざ真白の元へ跪くと、ハンカチを差し出した。少女漫画の王子様のような一連の流れに、他の面々は思わず見入ってしまう。少女漫画にいるイケメン男子が飛び出してきたような容姿のせいかもしれない。
 そんなキザなことをされた真白も、どこか感激したようにときめいている。
「琥珀がモテるのなんか分かる……」
「誰にでも優しくするわけじゃないんだよ、僕は」
 ついには手を握り合う二人に、
「わたしたちは一体何を見せられて……」
「ほっときましょ。茶番はもういいから宿題するよー」
「ういっす」
 黙って見守っていた紫乃はついにツッコミを入れてしまい、そこからなし崩し的に本題である夏休みの宿題に手を付ける。


 そんな迷える仔羊部一同は、賑やかに学校から飛び出しても絶好調活動中だった。