迷える仔羊部へようこそ!

11:海!


「海に来たぞー!」

 本日の仔羊部の活動は、いつものバイト先を飛び出して海に来ていた。
 そう考えると、紫乃はまだ一度もまともな部活動をしていないような気もするが、今はひとまず目を瞑る。
 全員が水着を着用し、快晴の空の下ではしゃいでいるところに水を差すのは気が引けるからだ。
 先陣を切ってはしゃぐ真白に続いて、ぞろぞろと後を追う。
「いや~晴れてよかったね!」
「はい! 一昨日まで雨がすごかったですけど、昨日から晴れてましたし。よかったです」
 空に声をかけられ、紫乃はここ数日の天気を思い出していた。海へ行くことが決まった翌日からずっと雨だったせいである。
 しかし、昨日晴れだったおかげで砂浜はすっかり乾ききっていた。
 今日はいわば、海水浴日和である。

「紫乃ちゃんの~可愛い水着が拝めて~私も眼福だよ~!」
 すると、若菜が会話に加わり、にっこり笑顔でそう言う。
 海に行くと決まってからは乗り気じゃなかった若菜を思い出すと、今はすっかりノリノリだ。
「いやいや……若菜さんも実に美し……まぶしすぎますよっ!」
 若菜がいるところ、琥珀なし。
 心の中で浮かんだ言葉にひっそり噴き出しながらも、期待を裏切らない琥珀は相変わらずの一途さで若菜を褒め称えていた。
「はいはい、ありがとうありがとう」
 若菜は棒読みで礼を言うが、表情はどこか照れた様子でまんざらでもなさそうだ。
 それを知ってか知らずか、琥珀は嬉しそうに笑っている。
 若菜は落ち着いた緑色を基調とした花柄のワンピース型。体型を隠すためなんて言っていたが、若菜の豊満な胸部とシュッとした体型であれば、ビキニでもいけるだろうと紫乃は心の中で思っていた。
 水着というのは残酷なもので、露出がすごい分、体型もわかりやすい。
 青系で大人っぽいシンプルなビキニの空と若菜が男性陣の視線を集める中、紫乃は自身の幼児体型っぷりにため息をつく。
 赤いドット柄のワンピースを選んだのは、ビキニだと貧相な感じがするという思い込みから。

「おーい、赤崎」
 ぼんやり考えながら一人で落ち込んでいると、いつの間にか紫乃の隣には蒼真がいた。
「え! あ、何?」
 驚きながら返事をすると、呆れた顔をした蒼真が注意をしてきた。
「あんまりボーッとするなよ? お前が一番変なヤツに絡まれそうだから」
「べ、別に絡まれないし!」
「黒屋と付き合ってたお前に説得力はなーい」
「うぐ」
 暁の名前を出されると、紫乃は何も言えなくなる。
 本来、ここでその名を出すのは無神経なように思えるが、蒼真に助けてもらった後の紫乃はすっかり失恋からも立ち直り、冗談も笑えるようになっていた。
 少し前の紫乃ならここで泣いていたかもしれない。

「蒼真~? あんまり紫乃ちゃんをいじめちゃダメだぞ? 可愛いからナンパされないように気をつけてねって言えばいいのに」
 すると、会話に突然真白が乱入してきた。
 からかっているだけだと分かっていても紫乃は照れ、蒼真はムキになる。
「なんでそんなこと言わなきゃいけないんっすか!」
「蒼真くん。女の子には優しくしてあげないと。モテないぞ?」
 気付くと琥珀も会話に加わっており、すっかり先輩に遊ばれていた。
 紫乃は遠目でじゃれ合う男子トリオを見守る。


 海へ行くことが決まって数日後の金曜日。
 仔羊部は電車を乗り継いで一時間半の場所にある海水浴場へやってきていた。
 夏休みの影響で、平日にも関わらず人は多い。
 様々な客層にもまれながらも、なんとかレジャーシートを敷き、パラソルを立てて休憩場所を確保する。
「ふぅ、なんとかなりそうね」
「そうだな。荷物番は二人一組で交代制にするか」
「はい! 僕は若菜さんと二人で一生ここの荷物を守ります!」
「巻き込むな!」
 空、真白の先輩組が話しているところに、安定の二年生コンビの会話が挟まる。この流れだと、紫乃は蒼真と組むかもしれない。
 そう察した時だった。
「こうなることを想定して、俺はあみだくじの紙を用意している」
「わざわざ持ってきた真白さん律儀っすか!」
 真白に遠慮なく蒼真がツッコみつつも、一同は律儀に名前を書いていく。


 ……それで決まった組み合わせはこうだ。


 真白と蒼真、空と若菜、そして琥珀と紫乃。
「おーーーーーーーう!!!」
 激しくショックを受けている琥珀は、この世の終わりみたいな顔をしていた。おそらく若菜以外の人には同じ反応を見せることだろう。
「す、すみません……」
 分かってはいるものの、紫乃は気が付くと謝罪を口にしていた。
「女の子を傷つける黄山サイテー」
「うっ……! 紫乃さんが嫌なんじゃなくて、若菜さんと組めなかったことを嘆いてるだけですからー!!」
「あーもう、分かったよ。最初は俺と蒼真が荷物見てるから、今のうちに若菜ちゃんと遊んでこい」
「真白くんはやはり神だったのか!!」
 コロコロと忙しそうな琥珀に対して、大人な態度を見せる真白。
「ま、いっすよ。荷物見つつ人間観察でもしてます」
「じゃ、私たちはいこっか!」
「はーい!」
 そして、真白と蒼真を置いて、四人は海へと走り出した。


 それからはただただ夏を満喫していた。
 水を掛け合ったり、ぷかぷかと浮き輪で浮いているだけでも楽しい。紫乃は構ってくれた空と遊んでおり、どうやら琥珀を気遣ってとのことだった。
 上機嫌の琥珀は、泳げない若菜をエスコートしている。最初は不満そうだった若菜も、気が付くとすっかり楽しんでいる。琥珀の教え方のおかげか、少しだけ泳げたことを喜んでいるようだった。

 途中で空と若菜が荷物番を交代することになり、今度は砂浜でビーチバレーを楽しむ。
 真白・蒼真チームと、琥珀・紫乃チーム。
 女一人で不利になるかと思いきや、紫乃を気遣って手加減をしてくれたおかげで、なんとか接戦に持ち込むことが出来た。
 ……最終的に、負けず嫌いの真白・蒼真チームが勝ったのだが。

 それから少し海に入り、空と若菜に代わって琥珀と紫乃が荷物番をすることになった。
「はぁ~遊びましたね~」
 紫乃は軽くタオルで水滴を拭き取ると、自分の飲み物をごくごくと飲んでから座った。
「あぁ、たまにはこういうのもいいね」
 隣に座る琥珀は若菜と離れることで不機嫌になるかと思ったが、意外と友好的に接してくる。
 もしかしたら、ああいうハイテンションのキャラは若菜の前でしか出さないのかもしれない。
 勝手に想像しながら、遠くの方で遊んでいる四人を見守る。
「紫乃さんは最近どう?」
 すると突然、琥珀が近況を尋ねてきた。
 驚いた勢いで琥珀を見つめると、ふわりと何かに落ちてしまいそうな笑顔を浮かべている。
 紫乃は少しだけドキッとしながら、最近起こった出来事を思い出す。
 話すかどうか悩んだが、今自分を気にしてくれている先輩の好意を無駄には出来ず、紫乃は大人しく話すことにした。
「あの……ちょっと前に、わたし……失恋相手に復縁を迫られまして」
「おお、なんてヤツだ」
「それで……おどおどしてたところに橙野が助けに来てくれて……やっと、前に進めた気がします」
 暁のことを思い出すと、たくさんの言葉に出来ないような複雑な感情に飲み込まれそうになる。
 だけど今は、それだけじゃない。
 あの日置き去りにしたものは大きくて、その代わりに持って行くものも大きかった。
「今はすっごく楽しいです!」
 だから今、笑って話が出来る。涙腺が緩む気配さえない。
「それはよかった!」
 微笑んでいる琥珀は、自分のことのように喜んでいる。
「紫乃さんにはまだまだ素敵な人が待っているはずだよ。これからたくさん楽しもう!」
 そして、嬉しい言葉をたくさんかけてくれた。
 普段はおちゃらけているように見えて、実はこんなにも優しい一面がある。
(琥珀さん、頑張ってほしいなぁ……若菜さんと)
 心の中でぽつりと呟く紫乃は、遠くで真白と砂の城を作っている若菜を見つめる。
 二人は楽しそうで、若菜はどこかさっきよりも楽しそうに見えた。若菜の気持ちを知っている紫乃には複雑に見えて、何故か胸の奥が苦しくなる。

「……いいなぁ、真白くんは」
 一瞬訪れた静寂に、ぽつりと琥珀が呟いた。
 その言葉の意味を問わずとも、紫乃には理解できた。
 しかし、なんと言葉をかけていいのか分からない。それを察してか、琥珀が独り言のように話し続ける。
「……でもね、結末が見えかけていても……可能性がゼロになるまで諦めきれないし、好きな人が誰かを想う気持ちを含めて、僕は彼女が好きなんだ」
 どこか照れたように、だけど寂しそうにも見える表情を浮かべる琥珀に、紫乃は吸い込まれるように見つめた。
「なんてね」
 体操座りのまま、顔だけを紫乃に向けてウインクを一つ飛ばす。
(あ……ぶなぁ……)
 天性の容姿と相まって、二人きりの空気に飲み込まれるところだった。
 傷心で病んでいる頃だったら、ころっと落ちてしまいそうだったと思うほどに、今の琥珀にはどこか女心をくすぐる何かを持っている。


「わー。二人がいちゃいちゃしてる」
「目の保養」
 すると、そこに怪訝な視線を向ける若菜と、何故か拝んでいる空が乱入してきた。
「お? まさかあの琥珀さんが……赤崎に……」
「どうしてこうなった!?」
 からかうように蒼真が冗談を口にすると、慌てて琥珀は立ち上がる。
「僕は先輩として、紫乃さんのカウンセリングを行っていたわけで」
「わー! 琥珀やらしい!」
「真白くんっ!!」
 さっきの紫乃と琥珀だけの空気が幻だったかのように消失し、あっという間に賑やかな雰囲気に包まれた。
 ほんの少しホッとしつつ、それでも紫乃の中の複雑な気持ちは消えない。


『好きな人が誰かを想う気持ちを含めて、僕は彼女が好きなんだ』


(こんなこと、考えたこともなかった)


 賑やかな空気の中で、紫乃は自分だけに話してくれた琥珀の本音を思い出す。


(ああ、この人には幸せになってほしいなぁ……)


 そして、複雑な心境ながらも、この願望だけは心の奥底でしっかりと存在感をアピールしていた。