迷える仔羊部へようこそ!

13:その先には行けない


 心の中で祈っていた電車の運転見合わせもなく、遅延もなく。
 仔羊部一行はスムーズに電車へと乗り込んだ。全員が座席に座ることができ、しばし談笑する。だが次の乗り換えまで距離があり、朝早くの移動から日中のはしゃぎっぷりに疲れたのか、何人かはうとうとし始めていた。
 電車に揺られ三十分近くが経った頃には、紫乃と真白以外の四人が夢の中に飛び込んでいるようだ。
「みんな寝ちまったな~」
 たまたま隣に座っていた真白に話しかけられ、紫乃は微笑みながらこくりと頷く。
「あと少ししたら起こしてやらないとね」
「そうですね」
 乗換駅まであと五駅ほど。それまでは寝かせておこうと真白は笑う。
「紫乃ちゃんも寝てていいよ?」
「いえ、わたしは大丈夫です。真白さんは?」
「俺も平気」
 そこで会話は途切れ、少しの間、電車の音だけが車内に響く。
 正直なところ、紫乃はこっそり盗み聞きした真白と空の会話について問いたかった。それが気になって眠れなかったというのが本音である。
 初めて会った時に手を差し伸べてくれた真白がいなければ、この『迷える仔羊部』というおかしな部を作ってくれなければ、紫乃は今ここにいなかった。こんなに明るい場所に来られなかった。
 まだまだ紫乃は助けられてばかりで、誰の力にもなれていない。
 この先もずっとそうなのかもしれない。
 それでも、紫乃はこの部のメンバーの力になりたかった。
 そして……それは真白も例外ではなかった。


「あの、真白さん」
 無理に聞いても意味はない。
 分かっていても、紫乃はひとつの決意を胸に秘め、勇気を出して話しかけた。
「ん?」
 穏やかな表情で、真白は首を傾げる。
 それからひとつ呼吸をおいて、尋ねた。
「真白さんは……真白さんの悩みは、なんなのでしょう」
 遠回しに言うのは端から諦め、直球で尋ねる。
 すると、真白の表情が一瞬歪んだのを紫乃は見逃さず、次の瞬間には無理矢理作られた笑顔が浮かんでいた。
「どうしたの? 急に」
「急……じゃなくて、ずっと気にはなってたんです。橙野に聞いても知らないって言うし、空さんは本人から聞いてって言ってましたし……」
 普段の真白なら、穏やかに話をしてくれるものと予想していた。
 しかし驚くほど真白の声色は冷たい。紫乃は動揺しつつも素直に事実を述べる。嘘はひとつも言っていない。だが、真白の反応は紫乃の予想を裏切り続け、困ったように答えた。
「ごめん。言いたくないって言ったら、そっとしてくれたりする?」
 人の闇を垣間見たような、そんな気分だった。紫乃は真白の反応に言葉を失う。
 さすがにまずいと思ったのか、真白は少し早口で話を続けた。
「でもね、みんなを助けたい気持ちは本当さ。むしろそれが間接的に『俺を助けること』になってるんだ。だから……別に紫乃ちゃんは何も気にしなくたっていいんだ」
 声にぬくもりが宿り始め、表情が自然と柔らかくなっているように感じる。真白はいつものように笑って、表情とは裏腹に、紫乃を突き放した。

 助けられた分、恩返しをしたかった。

 ただそれだけの想いは、本人によって打ち砕かれる。
「それより、紫乃ちゃんはどうなの? まだ仮入部だけど、何か進展あった?」
 気付くと、真白はいつもの様子で尋ねてきた。
 一瞬思考が飛んでいた紫乃だったが、すぐに立ち直って
「あ……わたしは……」
 そして、先日蒼真に助けられたことや、琥珀に気遣ってもらえたこと、アルバイトのおかげで元気を取り戻せたことなどをざっくり話した。
 真白は真剣に話を聞いてくれ、自分のことのように喜び、二学期からどうしていきたいかも続けて問われる。
 よくよく考えると、暁とのことは一旦決着がついたが、理不尽に受けた悪意のすべてが消えたわけではなかった。
 まだ次のステップが待ち構えている。
「まあ……これからゆっくり考えていこう。一緒にね」
 一緒に。
 そう言ってくれた真白の言葉は心強かった。
 内心では先ほどのいつもと違う真白が引っかかったが、話を戻したところで収穫はなさそうで、紫乃は流れに身を任せるしかない。
「あー……そろそろ起こさないとな。紫乃ちゃんも手伝って」
「は、はい!」
 あっという間に目的の駅のひとつ前まで近づいていて、紫乃と真白は眠っていた四人を起こした。
「あれ……もう乗り換えかい?」
「そうだよ琥珀。ちゃんと起きろ」
「うーん……よく寝たぁ」
 二年生コンビを起こした真白と、
「起こしてくれてありがと、紫乃ちゃん」
「……」
「ちょっと橙野! 起きなさいよ!」
 寝起きのいい空に、未だ目を開かない蒼真の身体を揺らす紫乃。
 そうこうしているうちに駅に到着し、一行はなんとか電車を降りる。
 慌ただしく乗り換えた先の電車は、どうやら遅延していたらしい。
 ほぼ満員状態の電車に揺られながら、なんとか地元まで辿り着いた。

 着いた頃には時計は二十時前を指していて、そこまで遅くならなかったことにホッとする。
「じゃあ~みんなまたね~」
 へろへろな様子で手を振る若菜と、真白、空は同じ方向を歩いて行き、
「若菜さーん! 道中お気を付けて~!」
 相変わらずぶれない琥珀は、一人で別の道を歩いて行く。
「んじゃ、オレらも行くか」
「うん」
 残った紫乃と蒼真は同じマンションのため、必然的に並んで歩き始めた。

「いや~はしゃいだな~」
「疲れたねぇ」
 うーんと伸びをしながら話しかける蒼真に同調しつつ、紫乃の心はずっと真白の言葉でもやもやしていた。
 突き放されてしまったことに、ショックを受けている自分を認めざるを得ない。
「おーい、赤崎?」
「ん?」
「なんでもねーけど。急に反応なくなったから」
「え、そう? ……ごめん」
 気付くと蒼真を無視してしまったらしい。
 紫乃は思考をリセットさせるように首を横に振り、後ろ向きを振り払う。
 せっかく楽しかった思い出なのだ。暗い気持ちで上書きするのは避けたい。
「あのさ、橙野」
 紫乃は改まるように、蒼真に尋ねた。
 心のどこかで気になっていることのひとつで、蒼真なら教えてくれるかもしれないという、淡い期待を込めて。
「なんだよ」
「橙野はさ。その……暁と、サッカーで繋がりがあってさ。でも、もう一緒にサッカーできなくなっちゃって……今はもう、平気だって言ってたけど……本心だったのかなって」
「はぁ? なんだよ急に」
 話し始めると、予想以上に支離滅裂で、紫乃は自分でびっくりしていた。本来聞きたかったこととずれている。そう思うのに、考えれば考えるほど何を話したいかが分からなくなり、うまく言葉に出来ない。
 そんな混乱した様子の紫乃に気付いたのか、ぽりぽりと後頭部をかきながら、蒼真は小さくため息をついた。

「そりゃ……好きだったことが出来なくなるって悔しいし、今でも悩むけどさ。やめるって決めたのはオレだから」
 そして、呆れつつも蒼真は話し始めた。
「オレが怪我して、サッカーから離れて。その間にいろんなヤツらがどんどん強くなって、オレは身体が回復し始めても前みたいに身体が動かなくて。嫉妬とか絶望感で気が狂う日々を過ごして」
 おそらく、紫乃の失恋の何倍も辛かったことだろう。
 初めて会った日も暁と遭遇した時も、なんでもないみたいに話していたが、ずっと強がっていたに違いない。そう思うと、胸の奥が苦しくなる。
「でも、オレは運良く生き残っちまって、別にスポーツが一生できないような身体になったわけでもなくて。多分これから、もっといろんなことができると思ってる。サッカー以外でも、好きなことを作って……何かとりあえず前向きになりたくて。……サッカーやめて、ここにいる」
 蒼真の笑顔が心からのものなのかは分からなかったが、紫乃には今見えるものと、彼の言葉を信じるしかない。
「てか何? またお前なんか悩んでんの?」
 そこで紫乃にボールが回ってきた。
 図星をつかれてドキッとしつつ、何も思いつかないまま話し始める。
「あのねっ! 自分の悩みのこと、踏み込まれて嫌じゃない?」
 思い出すのは、低い温度の表情と声色。心の距離を感じたあの瞬間。
 蒼真は一瞬驚いた表情を見せて、すぐに何かに思い当たったような顔になった。
「あー。さてはお前、真白さんに突き放されたんだろ?」
「……」
「何故それを? という顔だな。オレもそうだったから」
「……うん、まあ……当たってる」
 楽しそうに笑う蒼真に、紫乃の心は複雑だ。
「あの人は、多分誰よりも辛いことを経験してるような、そんな気がする。まだまだ新参者のオレたちには心を開けないってことだろ」
 簡単に話してくれるが、紫乃はそうやって割り切ることが出来ない。
「でも……同じ部で……真白さんは人の悩みにガンガン踏み込んで、引き入れてさ……ずるいよ」
 自分は踏み込むけれど、他人には踏み込ませない。そのスタンスが、どうしても割り切れなかったのだ。
 話しながら歩いて行くうちにマンションへ辿り着き、入口のオートロックを解除してエレベーター前へと向かう。
「オレに言われてもなー」
 上行きのボタンを押すと扉が開き、エレベーターに乗りながら蒼真はぼやいた。
「まあ……そうだよね」
 紫乃は四階と六階のボタンを押し、扉を閉める。
 エレベーター移動は一瞬で、あっという間に蒼真の家がある四階についた。
「ま。オレは話したいヤツにしか悩みなんて話さないし、真白さんが話したくなったら聞いてやろうぜ」
 去り際にそれだけ言うと、「じゃあな」とあっさり降りていった。
 ありがとうを言う間もなく、取り残された紫乃は六階へ向かう。


 だけど、蒼真と話すことで、なんとなくすっきりしている自身がいた。
 まだ話せるほど、心を開いていないだけ。
 それは一見寂しいことだが、まだ出会って一ヶ月も経っていないことを考えると、蒼真の話していたことも納得できる。
 紫乃だって、誰彼構わず悩みを打ち明けられるわけじゃない。その物差しが、紫乃と真白で異なるだけだ。
「うん。橙野の言うとおりだ」
 いつか自然と話したくなる時が来るかもしれない。
 そうしたら、何十倍も恩返しが出来るように受け止めよう。
 そう思い込むことにして、あの電車での出来事は心の奥にしまい込もうと決めたのだった。