迷える仔羊部へようこそ!

16:元には戻せない


 灰谷から解放され、また再びわいわいと一同と過ごす紫乃だったが、最後のデザートが出てきた辺りで時の終わりを感じていた。
「もうすぐ休みも終わりかぁ。嫌だな~」
「僕も、若菜さんと過ごす時間が減るのはつらいです……大変つらい……」
「はいはい、そういうつもりで言ったんじゃないんだからね~」
 二年生コンビのやり取りを見守りながら、デザートのシャーベットを口に放り込む紫乃。
 すると、灰谷が皆の前に立ち、話し始めた。
「みんな、今日は腹いっぱい食べたか?」
 その問いに、歓声を上げる一同。
 料理はおいしく、空腹も満たされて幸せな気分だ。
「今後もいろいろあるかと思うが、俺と萌ぴょんのために頑張ってもらいつつ、何かあったら気軽に相談してくれ」
「れもん先輩! お給料三倍にしてください!」
「では、ある程度落ち着いたら店を出るから準備をするように」
「スルー!?」
「社長と呼ばぬ者に反応する必要がないと先ほど気づいたのだ」
「そんなぁ」
 大学生組のやり取りを横目に、帰り支度を始める。
「真白さん、大丈夫ですか?」
 ふと目に入った真白の顔が暗く感じ、紫乃は思わず話しかけた。
「え? なんで?」
 だが、その表情も一瞬だったようで、真白はどこか作ったような笑みを浮かべる。
「いや……なんかぼんやりしているように見えたので……」
 本当は大学生組をじっと見つめていたことを尋ねたかったが、さすがに真っすぐ尋ねる勇気はなかった。
「そう? 満腹になったからぼんやりしちゃったのかもね」
 聞きたかった答えと全く異なる回答に紫乃は苦笑する。
「それなら、よかったです」
 これ以上話は広がることなく、準備ができた者から店を出ていく。

「じゃあ、解散!」
 終わりはやけにあっさりで、一同もそれぞれの帰り道を歩いていく。
 琥珀と灰谷、真白と若菜と空、紫乃と蒼真の三手に別れた。
「んじゃ、帰るか」
 いつもの流れで蒼真が紫乃に声をかけ、特に気に留めることもなく隣を歩き始めた。
 前まではなんとなく気恥ずかしかったはずなのに、すっかり心を許した親友のような存在にまで上り詰めたせいなのか、ちっとも恥ずかしい気持ちが湧いてこない。
 駅のそばを通り過ぎ、二人の自宅であるマンションを目指していく。

「あのっっ!!」

 刹那、背後から聞いたことのない声が紫乃たちを呼び止めた。
 今日の話で盛り上がっていた二人は、足を止めて振り返る。
「やっぱり……赤崎さんだった……」
 一人の女性が紫乃の名を口にする。どこか緊張の面持ちで、だけど視線はあまりにも真っすぐだった。
「知り合いか?」
「うーん……」
 蒼真の問いに紫乃は考え込む。知らない人物のはずなのだが、どこかで会ったことがあるような気がしていたからだ。
 しかし、すぐそこまで出かかっているにも関わらず、思い出すことができない。
「私、暁と付き合ってた……」
「あぁ……」
 彼女がヒントを出したところで、紫乃の記憶が蘇った。
 あまりにも苦く、辛い記憶。思い出したくないがために、封印されていたのだろう。
 そうだ。彼女は、紫乃に強烈な一言を浴びせ、元カレの暁と共に去っていったのだった。
「うわ……ここにも悪趣味な女が……」
 明らかに失礼な態度を見せるのは、暁の素性をよく知る蒼真。
 わざとらしく自分を抱きしめながら、ドン引きしているようだった。
「ちょっと橙野……否定はしないけど、今の彼女に失礼だよ」
「お前もたいがい失礼だぞ?」
 フォローするつもりが、苦い思い出に邪魔されて失敗する紫乃。
 学校生活までめちゃくちゃにされてしまえば、簡単に許すことなどできはしない。
「いいの。分かってるから」
 彼女は二人に向かって申し訳なさそうな様子で口を開いた。
「私ね、どうしても赤崎さんに謝りたくて。新学期が始まったらすぐ謝りに行こうと思ってたんだけど……すごい偶然」
「え? どういうこと?」
 紫乃の頭上にはクエスチョンマークが浮かぶ。
 以前、初対面に向けるとは思えぬ恐怖の表情で「最低」と吐き捨てた人物とは思えないほどしおらしく、彼女は話していた。
「赤崎さん、クラスメートに無視されてたでしょ? あれ、私のせいなの。暁に赤崎さんが酷いヤツだって一方的に吹き込まれて……何にも確かめずに思い込んで……」
「えぇ……」
「でも、夏休みに入ってしばらくして、私……知ったの。暁が四股してたってこと」
「うわぁ、やべぇな」
 紫乃だけでなく、蒼真の表情も凍り付いていく。
 もしかしたら、紫乃が付き合っていた時も、他に彼女がいたのかもしれない。
 そう思うと、メールをするなと言われたり、デートが制限されていたことも納得がいく。
「あー、私って暁にいいように使われてたんだなぁって思ったらバカらしくて。赤崎さんのことも、周りに嘘を吹き込むように仕組まれてたんだって気づいて」
「別れたの?」
「うん……別れた」
 彼女は少し切なそうな表情を浮かべ、笑いながら事実を述べる。
 元彼女の紫乃は何と言っていいか分からず、目の前にいる彼女を見つめることしかできなかった。

「んで? 赤崎はあんたのせいでめちゃくちゃ傷ついたわけなんだけど、どう責任取ってくれんの?」
 だが、微妙な空気など知らんぷりを決め込んだ蒼真は、冷たい目をして彼女に言い放った。
 笑みを浮かべていた彼女の表情は申し訳なさそうなものに戻っていき、だんだんと顔が俯いていくのが分かる。
「あのクズに引っかかるのはどうでもいいけど、だからってやっていいことと悪いことがあるのは分かるよな?」
「ちょっと、橙野」
「今言っとかないと、赤崎が後悔するんだぞ」
「そうだけど……」
 正論を浴び、涙目になっていく彼女。言いすぎだと制するものの、蒼真のセリフに反論する言葉を持たない紫乃。
 正直なところ、あまりの急展開に戸惑いばかりが能を埋め尽くし、冷静に考えられなくなっている。
 彼女に対して、言いたいことはたくさんあったはずなのに、いざ目の前にすると、言葉が出てこない。
 明らかに重たい空気だけが流れ、沈黙が痛々しかった。
「私……取り返しのつかないことをした」
 その中で、彼女は口を開いた。
「新学期になったら、赤崎さんに対して流したことは全部訂正していく。私がしたことだから、元に戻せるように……全力を尽くすよ」
 夢物語のように希望を話す彼女に、紫乃の心はまたしても複雑になっていく。
 いや……不思議と笑えて来て、思わず笑顔を浮かべてしまった。

「絶対、元には戻らないよ」

 笑顔で言い放った言葉は、諦めの言葉だった。
「でも、わたしには何もできないから。せめて嘘だけは訂正してほしい」
「うん……本当にごめんなさい」
「うん」
 蒼真の瞳は物足りなさそうなものを感じたが、彼女にできることも多くなく、紫乃はこれ以上何も言わなかった。
 すぐに許すこともできず、元の学校生活を送れるとも思っていない。
 だけど、ずっと引きずるのもバカらしく思い、彼女とのかかわりも最小限にとどめたかった。
 聖人になれない紫乃には、一刻も早く楽になって、彼女のいない世界を生きたいと願うことしかできない。
「じゃあ、そういうことで。謝ってくれてありがとう」
 話すことは終わったと察し、紫乃はこのまま去っていく。
 それを引き止めることのない彼女に、本当に終わったのだと感じた。
 歩く足は自然と速くなっており、曲がり角を曲がったところでようやく足を止める。

「大丈夫か?」
 後ろから黙ってついてきていた蒼真が声をかけた。
 すると、張り詰めていた力が一気に抜けていき、紫乃の口から大きなため息がこぼれた。
「あー……もう、何あれ」
 その場でしゃがみ込み、大きな独り言があふれていく。
 幸い周りには人がおらず、蒼真も一緒になってしゃがみ込んだ。
「急にあんなこと言われてもさ、どうしようもなくない?」
「そうだな、急だった」
「元になんか戻せないって。人の悪意をなかったことになんかできるわけない」
「そうだな」
「許せるわけない」
「許さなくていいんじゃね?」
「ほんと?」
「少なくともオレはそう思う」
 二人は目が合うと、何故か笑いが込み上げてきた。
 いつもは言い合いをしている間柄なのに、こういう時にはまじめに話ができるのだから不思議だ。
 紫乃の頭をポンポンと撫でた蒼真は、ゆっくりと立ち上がりながら手を差し伸べる。
「新学期になっても飯食うヤツがいなかったら、オレが一緒に食べてやるから」
 それは、一人ではないのだと教えてくれるようで。
 顔を上げ、蒼真の笑顔を見つめる紫乃は、その存在の大きさだけがまぶしく感じた。
「うん……ありがと」
 差し伸べられた手を掴み、紫乃もゆっくりと立ち上がる。
 心強い味方がいる限り、まだ未来は明るく感じ、希望はあるのだと教えられているようだった。

「あーあ。また橙野に助けられちゃった」
「気にすんな。なんかあったら助けてもらうから」
「りょーかい」
 そして掴んだ手を離すと、二人は笑いながら再び目的地を目指すのだった。